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「…お前、案外良い男だな」

 素直に一之江がナトリにそう告げ、灰を落として笑った。

「青臭くてセンス無さすぎるけどかっけぇなお前。お前には、俺はそれしか出てこねぇよ日本語が。
 いーんじゃね?やってみろよ。なぁ真樹。泣いてる場合じゃねぇんだよ」
「よーちゃん、でも」
「でも先生。真樹は、真樹だよ。こんだけ言うにはなんかあんの、あんたにさ。俺はそれも疾患だと思うよ。
 んなんじゃ連れて帰ったって意味ねぇの。だからなんでどうしてって聞いてんだよ。まぁ義理もねぇけど。恩はあるだろ多分。
 真樹、どうしたってお前はそう、バカなんだ?なぁ、お前はいつもそうなんだ。だけど忘れんなよ。こっちは待ってんだからお前の答えを、話を。
 無理をさせたことはないだろ?俺お前の口にみかん突っ込んだか?んなことしねぇよ」
「ナトリ…ぃ」
「だからいーよ。居たきゃいろ。気が狂うまでいろ。あんたもだ。ネジ戻るまでいろよ面倒だから」
「…うん、はい。
 ただまぁ、なんつーか、引っ越し、するか?なんなら隣でもどうだと、言おうと思ったんだが」

 言いにくそうに一之江は言った。ナトリは灰を落としそうになったが自ら気付いて灰皿で揉み消した。

「いや、え?」

 真樹が顔を上げて一之江を見る。
 子供みてぇな顔だなぁ、ホント。

「隣ならお前らもすぐ、なんかあっても来れるだろ」
「と、隣ぃぃ!?」
「家はキャパが」
「わかるわかる」
「ぷはっ、」

 文杜が吹き出した。

「真樹にとっちゃ家2つだね」
「いや、お前らが引き取れよ。
 お前らがいないとき家にいればいい、その方が俺の手を離れる時に楽だろ、生活スタイルとか慣れといた方がいいし。
 隣なら、喧嘩したら来ていいぞ真樹」
「え、あぁ、はぁ、」
「なんだ不満か。
 大体なぁ、お前いたらなぁ、セックス中毒は家に誰も呼べねぇのです。つーかぁ、俺お前を飼い初めてからんなんねぇじゃんあんま」
「飼うって…。
 この前寝てたと思ってんの?打撲で来た2年のなんか喋り方的にナトリくらいかるーい感じのさぁ」
「なんで18歳未満が寝てねぇんだよクソが」
「だって昼でしたから、学校でしたから。たまたま起きちゃったんですよ。お薬頂戴って言いそびれて過呼吸こいたわバカ。人知れず!あんた気付いたの30分後でしたね!」
「だからあんとき機嫌悪かったの」

 なんと言う会話をしているんだか。

「仕方ないなぁ、お前もさ、じゃぁ」
「ハゲ、文杜!引っ越そ!この人ちょっとネジ2本錆びてる!」
「お前が言うのかぁ、そうだなぁ」
「俺的には真樹は3本飛んでてVテンにはネジなんてないと思ってるよー」
「あ、激同だわ」
「ハゲ同意した」
「うるせぇハゲてねぇわ今は!
 はい、じゃぁ佐川さんはあんた持ちで真樹、お前ちょっとお出掛けするよ。文杜、行くぞ」
「えなにそれ」
「ホントにお前ら来んのぉ?」

 文杜が、ちらっと一之江を見ると一之江は置いて行かれた感、ポカンとしていた。

 しかしどうやら少年は珍しく、目付きは悪いが綺麗な、深い漆黒で見つめてきやがる。
 何が欲しいのか、言葉か、態度か。

「行くって?」
「族抜けってやつ」
「あぁそう」
「お節介二人が来るとか言っちゃってて」
「あっそう。行ってら」

 更に細められた文杜の目。
 だがそれはこちらが与えるべきではない。あくまで自分は非常勤の保健室の先生、医者でしかない。

「怪我したら来れば?手当てくらい」
「よーちゃん」

 多分初めてだろう。
 真樹の方からふと一之江の肩に両腕を回して抱きついた。それには流石に閉口、唖然。

 ただ微かな、少し早い動悸には気付けて、甘いような、湿った呼吸が首筋や耳朶に掛かるそれに。

 俺はこいつの何を見た気になっていたのだろうと、その小さい背筋を撫でるように手を置いた。

「バカなやつ」

 鼻先を真樹の耳元に埋める。優しく甘い臭いがした。

 真樹と一之江にそんな事情を見せつけられたような気がどうしてもするけど、何故か泣きそうになるほどの甘い陶酔に、文杜は優しい気持ちになれたのも事実だった。

「行くよ、二人とも」
「うん。オカモト先生、悪いけど足、よろしく」
「…クソガキが」

 真樹を離してふぅ、と一息吐いて立ち上がる。一之江はそれから奥の寝室に引っ込んだ。

 そして文杜はえらく機械的にケータイを取りだし耳に当て、しばらくしてから「もしもし」とえらく低い声で言う現象も生々しくも排他的。

「抜けますわ。行くあてとかなく。やめます。
 あぁ、大丈夫です。|牛嶋《うしじま》さんとこにも電話しますから。ただ順序的にはあんたが総長、あんたが先やろうと、勝手な俺の筋立てです。
 今から車で行くんでせーや、どこがえぇ?考えといてくださいな」

 それから切ってまた掛けて。

「牛嶋さん?
 すんません、世話になりました。俺、バイクいらない」

 しばらくの沈黙の後、さて、どうなっちゃうかと、準備を終えて寝室から出てきた非常勤もナトリも真樹も釘付けになった。

 文杜は破顔した。いつも通り、ゆったりと、紡ぐ。

「うん、そう。へへっ。バレてたかー。
 でも悪いね、やっぱりなんかさ、まぁ、一応は、あん人にさっき電話した。あんたより先に。これ言わん方が、よかったかいなぁ?だからね、その…ここ集合!言われたら、ぶん殴られると思った方がってえぇ、ごめんなさい、はぁ!?え、でもなんで?そ…。
 は、」

 それから少し噛み締めて、震えそうな声で。

「ふ、ははは!そ、れは、はい、すんません。ごめんなさい。なんなの?でもあんた好き。
 最後に、ありがとうございます。世話になりました、あぁそしてそして、え、え?もぅ、はい!気が短いなぁ。言わせて、欲しいなぁ…。はぁーい、はい」

 電話を切った文杜の網膜が反射してキラキラしていた。これは情だろう。突っ走った、最後の。

「…うるせぇんだよ優男!って、意味わかんないと思わない?
 解散集会。せんせーごめん殴られてくるわ。いっぱいみんな殴られるから病院開けといて」
「…ヤだよ」
「場所は廃工場」

 それだけ言って文杜はにやりと笑い、ポケットから輪ゴムみたいな黒いゴムを一本出し、前髪を結って後ろに流した。

「さて、ぶっ殺するったいか」

 急に殺伐とした目付き。そうこいつ、狂犬だ。

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