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 一之江が俯くと、「お?お?」と文杜が煽る。
 酷くギラギラした獣のような目で文杜を見返し、一之江はニヒルに笑った。

「試すか恋煩い発情期が」

 それを聞いた文杜もふと笑った瞬間、ついに一之江の胸ぐらを掴み、しかし笑う。

「万年発情期に言われたくねぇよ、どの面下げてエゴぶちまけてぇ、んな生徒を患者呼ばわりして匿ってやがんだヤブ医者が。ウチの真樹を返せ、人としてなぁ、」
「文杜、やめ、」
「よく言うなクソガキ。てめぇの頭は偉く虹色に出来てんのな、雨上がりかっつーの。んなバカは傘っつーもん知らんから脳ミソふやけちまったんじゃねぇのかこのポンコツが。
 ガソリン入ってねぇ単車はただの鉄屑だっててめえも知ってんだろ、あ?
 俺がてめえらに与えたもんなんてなんもねぇんだよ、てめぇらが俺んとこに頭下げに来てこれか、笑えるじゃねぇか、笑えねぇよ。
 俺は自分からは何もしねぇさ。てめぇが言うように医者なんざみんなそうやってエゴで飯食ってかねぇと精神死んじまうわ、なぁ、わからんだろてめぇらになんざ、おい!」
「やめろやうるせぇなぁ」

 罵り合い、睨み合う二人に言い放ったのは目の前で見せられていた真樹だった。
 それにナトリは小さく頷いた。

「めんどくさっ。なにウザイ。
じゃ二人で仲良く暮らして。俺ナトリと暮らす」
「は?」
「なんだおま」
「気が狂う。無理。クソみてぇなサナトリウムで頭廻ってねぇままキメセクしてた方がまだましだわ。だって診療時間あるし。医者が話聞いていようがいまいが俺話せたし。
 お前ら二人して話聞けよ。まぁ大した話じゃねぇけどさ、別に良いけど、ただよーちゃんと、離れたくないこの人一人にしたらよくない気がするただそれだけだっつーの、も、いい、死ね!」

 急に立ち上がってふらふらと、出口へ向かおうとする真樹をナトリは掴むと、壁に寄りかかる不安定な真樹の背中。
 両手で顔を覆い、ナトリが掴んだ両肩が小さく震えた、それは掴み合っている二人にも見えて。

 喧嘩している二人を睨むように見るナトリの目が鋭かった。
 何も言わずともわかる。これは目線で「殺すぞ」と言っている。

 少し、頭は冷やすべきかも。
 互いにそう思い、文杜は力なく一之江を離し、一之江も黙って頷いた。

「一之江さん」

 このときばかりはナトリは一之江を“先生”とは呼ばなかった。それがより、考えさせられる。

「コップと、まぁコーヒーとか、ないですか」
「…コップは…そいつのは、なんかその掛かってる猫のやつ。
 コーヒーは…、うん、まぁいいか。
 一応、まぁ聞くなら言っておく。カフェインは好ましくない、薬を飲んで…3時間くらいは。だが、まぁ…大差ないよ、正直。落ち着くなら、それが、一番良いと思う」
「…ありがとう。良いこと聞いた。
 なんかない?先生」
「冷蔵庫に、確か…」
「…リンゴジュース…」

 涙声で真樹が言った。

 「そうだリンゴだ」と言って一之江は、ずれたテーブルを直そうとちらっと見て、それから文杜を見た。
 黙って二人でテーブルを元の位置に戻し、一之江だけソファの奥に座りマイセンに火をつけた。

 然り気無く真樹が一之江の隣にコップを持ってきて座り、その隣にナトリが座って様子を伺うように前屈みになった。

 ナトリもそれからセッターに火をつけ、二人を眺める。

 真樹はじっとコップを眺めていた。コップを持つ手が震えている。

「…ぐ、グレープフルーツは、よ、よーちゃん、飲めないの」

 何を言い出すと思えば。

「…うん」
「で、みかんも…飲めない」
「うん」

 優しくナトリが相槌を打つうちに、またビー玉のような瞳から滴が溢れ袖でそれを拭っている。

 根気強くそれを見守るナトリに感心しつつ、文杜も少し魅入ってナトリの隣の腕置きに凭れて見守る。
 ナトリは真樹の持つカップをそっと真樹の手から取り、テーブルに置いた。

「だって、あの、よーちゃんだって、寝れないから、薬、飲んでてぇ、それが、その、柑橘ダメなんだよ。
 俺知らなかったん。俺も、ずっと、ちょっと前まで、それ、飲んでたんだよ、」
「うんうん」
「でも、病院で、みかん、出てきたよ」
「うん…」
「発疹出て、その薬も、飲んだよ、」
「うん。先生」
「なんだ」
「真樹はどうしたらいい?俺も文杜もバカだから、そういうのわかんない。
 コーヒー、ダメだけど良いとか、柑橘ダメとか、あれとそれ飲んだら寝れない、暴れる、いきなり泣き出す、怒り出す、これならまだいい。
 失神するとか、死ぬとかどうしたらいい?それ、本当に俺らじゃダメ?高校生じゃ…。
 そうかもしんない。俺だって、結局、文杜の家も、真樹の家も、見てるだけ、知ってるだけ。石田くん?だってようわからん。結局そうかも。だからどうしたら良いと思う?
 俺的にはさぁ、退院したら一緒に住めたらなぁとか文杜と話してた。
 文杜といるのは、まぁ、こいつは家から出さなきゃ、きっと死んじまうんだろ、だったら一緒にやれることやれたらいいやって、そんなんだったんだよ先生」
「国木田、」
「ナトリ…」

 一之江も文杜も言葉を探す。文杜は見つからなかった。

 だってどうしたって敵わない。ナトリにだけは。
 というかズルいじゃないか。そんな、綺麗な。

 日本とか台湾とかどうでもよくてもう、お前なんなんだよ。お前国木田ナトリだよ。あとなんでもいーよかっけぇよ普通に。

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