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 すべてが済むまで真樹は、どうしても一之江の話が聞きたい、何か話をしたいと思ったのだけど。

 診察室について早々、ベットに座って向い合わせで目を伏せ、一之江は真樹のへその左上にあるケロイドに触れてくる。

「これ、聞いたら怒んの?」
「…え?」
「どう考えても、手術とか、んな綺麗な痕じゃないだろ」
「うーん、まぁ。
 父親に最後、カッターでぶっ刺された。山行った後に」
「は?」
「父親、頭おかしかった」
「…ひでぇ話だな」
「そうかも。
 でも…母さんの、名前を呼びながらこう、泣きながら、死んだ母さんを前にして、まぁそのなんでしょ。あんたが言うように、ジャンキーでも、温もりは欲しかったんだろ、最後くらい。別れる、前くらい。
 死体、まで、それ以上、穢されなくてよかった。それが俺の最後、母さんにしてやれたことで。それしか、」
「ふざけんなよ、お前、」

 手を離した一之江は歯を食いしばって、それでも、暴力は耐えているように見えた。

「こう、なんで頭足んねぇんだよ」
「…ごめんなさい」
「謝ってんじゃねぇよ、なぁ。
 もう少し、もう少し、」

 希望、なかったのか。
 これは偽善だが。

「よーちゃん」
「んだよ、」
「でも俺凄く、やっぱり、おかしいよ。だって、だって」
「あぁぁもういいです!」

 抱き付いて、頭撫でて。
 二人で寝転んだ。そして。

「俺がどうとかじゃねぇよ患者ぁ!
 心臓うるせぇじゃねぇよ、あぁ、もう、生きてんじゃん、なぁほら」

 痛い。
 あれほど優しい包容じゃないけど。

「うぅ、うん、はい、」
「…寝るか。疲れた」
「く、靴はぁ?」
「あ?いいよアメリカ」
「うん、アメリカ…」
「脱ぎてえなら脱げ!」

 そう一之江が真樹に言えば、真樹は足をモゴモゴさせて脱いで。
 一之江自身も靴を脱いで、一度真樹の耳あたりに手を添えて顔を見てやって。

「ブス!」

 そう言って一之江は真樹にのし掛かるように抱きつくようにしてくる。

 しかし少ししてから珍しく、一之江の背中が上下したので。

 あぁ、疲れたんだ。

 ちょっと重くて苦しいから、真樹は一之江をペイっと横に押し飛ばし、一之江に背を向ければ、ふんわりと後ろから包容され、ケロイドに触られて。

 仕方ないなぁ。けどまぁいつものスタイルかも。
 そう思って真樹は目を閉じた。息が掛かって、そうか生きてるなぁお互いに、と感じて。

 しかし深く眠る前に電話の音で起きた。

 ダルそうに起きた一之江はデスクの電話に手を伸ばし、「はい…」と低い声で応答。

「はい、はい、じゃ、下行きます。
え?あぁ、はぁ。まぁ、5人くらいならいいでしょ。
 あぁあの子?あぁ、本気で外れてただけ?へぇ、大したもんですね。はい、はーい」

 電話を切った。

「帰るぞ。栗村マジで外れてただけだってさ」
「スゴいね」

 それから二人で一階のロビーまで降りて行く。診療時間外、二人以外に誰もおらず。

 ダルそうなナトリと文杜は真ん中あたりにいた。
 真樹が「文杜!」と手を振れば、気付いた二人がこちらを見て、文杜が右手をゆらりと振り返してから一之江を見据える。
 切れて腫れていた右頬には湿布が張ってあった。

 そして黙って見つめ合い、文杜はただ立ち上がり、猫背からきっちりと一之江に頭を下げて上げた。

「仲間をありがとうございました」
「…おぅよ」

 そしてナトリも立ち上がる。

「俺からも。ありがとうございました。
さて、引っ越しやるか。文杜、お前も出来そうか?」
「…痛いけどね」
「その前に飯か。せんせー、どっかない?」
「中華でいいな?八宝菜食いたい」
「うわっ」

 文杜が何故だか批判的だが、取り敢えず怪我人は放っておくことにして、「行くぞ、野郎共」と、一之江は先頭切って病院の敷地を出た。

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