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 それから昼下がり。

 今か今かどうしようか、と一之江がうだうだしていた結果、少し涙目の真樹が気性荒子こと二条麻子と一之江の病室に訪れたのは、診察開始から1時間半くらいを要してだった。

 いきなり扉が開いたときには西東も、一之江も唖然と言うか驚いていた。
 ちょうど二人はいま、二条を噂していた。それからまさかの、泣き顔の真樹を張本人が連れて来るだなんて。

 一之江は思わず、「きしょ、二条先生、」と、相手の名前を一瞬間違えてしまった。
 西東が背筋を気持ち伸ばしたので、ヒヤッとしたのだろう、目に見えてなんとなくわかった。

「誰が気性荒子だ放蕩ドラ医院長が。一之江先生、まずこの子に一言謝って下さい」
「はえ?え?あんた泣かせておいて」
「あんたがまず謝って下さい。いいですか?この子ね、最近ショックな出来事でまず最初にあんたがぶっ倒れた話を出してくるってなに?聞いたらもう現場に遭遇しちゃったらしいじゃん、あんたバカじゃないの本気で」
「はい、はい確かにそうでした。真樹ごめん」
「あたしにも謝れヤブ医者ぁ!え?お前のせいでカウンセリングひとつ増えたわ笑えないんだけどバカ。あんた何度目なのバカなの?学ばない人のことをバカと言うのだよ医院長先生?わかりましたか!」
「はい、すみませんでした…」

 西東、顔を背けて肩を揺らしている。
 だってあの生意気かつ人生をナメきった、そのクセ勝ち気な男が太刀打ち出来ないでいる。しかも相手は女性だ。こんな面白いことはない。

 そしてその女性は人生ナメきった男の予想に反し、甘ったれ高校生の方へどうやら転んだらしい。あくまで患者を大切にする。非常に仕事熱心な人かもしれない。

 だがどうやら、それも予想に反するようで。

「で、いい?天崎さん。
 あんたに言いたかったのはいま彼が謝ったことで、あんたわかった?」
「…へ?」
「あんたは、一之江にされて嫌なことを、あんたも一之江にしていると私は言いたいんだよ。こいつも言うなら自傷行為だ。こいつはあんたの自傷行為をどうにか止められないかと自分の身を持ってあんたと同じ方法でやってみた、それだけの話だ。
 だがそれは君のせいじゃないんだ天崎さん。そう訴えたかった一之江の気持ちも人として受け入れろとは言わない。何故なら私は医者としては二人とも受け入れられないからだ。
 言っている意味わかるか?」

 確かに。

「…わかってもらおうだなんて、」

 一之江がそう食って掛かろうとするが、真樹の、気が強いがなんとも堪えるような表情に言葉が吸い込まれた。

 それを見た二条は、一息吐いて少しだけ表情を緩め、真樹に向かい合った。

「悲観が出来るうちはまだ楽観だって待ってる。よかったな一之江。お前にもまだ泣いてくれるクソガキがいたようだ」
「…うるせぇなクソババァ」
「だが泣かせていいとは言っていない。お前らが今やってんのは傷の舐め合いです。それも上等ですがそんなんじゃいつまでも大人にはなれないでしょ?
 結局心なんて安定することは一生ない。一生不安だ。その度に薬飲んでたんじゃ負け犬だわ」

 刺さる。
 だが理論なんだ。それも。

「先生にもまぁ、きっと色々あったんだろうね。陽介、この際、あまちゃんはこの先生に預けたら?」
「なんで」
「君らしばらくそうやって距離置かないと、殺し合うんじゃないの?同じ種類の病気の生き物は最後、共食いしちゃうじゃない?メチレンブルーに漬けたって」
「…金魚」
「そうそうあまちゃん。よく知ってるね。僕あれ嫌いなんだ。気持ち悪くて色が。あれに漬けこんで長生きした金魚なんて見たことねぇしさ。
 知ってる?あれ呼吸障害なんだよ?息出来ないの。君らいまそれにしか見えなくて、僕にはさ」

 ふと西東が一之江を見て微笑む。

「君、昔から大人になれないね。こんな会話、昔したじゃない、僕と。
 君は少し、世界をナメている、優しいほどに。それって残酷だよ陽介」
「…よっちゃん、」
「けど僕、それは最早君の疾患だと思ってる。唯一の友達だ、それを受け入れるだけの度胸はある。
 あまちゃん、君にとってもそれ、疾患だよ。それは水槽の中でしか出来ないんだ。
実際水はあんなに青くない。無色透明で現実と同じ色、じゃぁ、無色透明って何?それをまだまだ君は探していい」

 その言葉に思わず息を飲んでしまった。

 現実は、無色透明。その感性は、考えは、この関係は、そうか、何一つ夢なんてものは観ていないだろうけど。

「…わかった」

 また西東は微笑んだ。

「君はこいつより賢いです」

 なるほど、なるほど。

「…聞きたいんだが、コントールからソラナックスにしてみようかホリゾンにしてみようか悩みどころなんだが」
「そうか、そろそろな…。
 身体が小さいから大体は1回1錠、ダメな時にもう1錠にしていた。あとはなぁ、吐き気はないなぁ、今のところ。無難に行けばホリゾン、上手く行けばソラナックスかなぁ、ただなぁ、コントールでも依存性は少し見える」
「なるほど。じゃぁいっそホリゾン…1錠にして、そのあとソラナックスにしたらどうだろう」
「ただどちらも依存性のある薬だ」
「うーん、どのみち天崎さんは現状、コントールで今がある。しかし今はやめられそうにない、ならば」
「まぁ、確かに、」
「うん、ホリゾンで行こう。
 天崎さん、今日から君、薬を変えます。コントールが進化します」
「え」
「なにそれ面白い」
「いや面白くないからご友人。コントールが進化した薬、それがホリゾンです。コントールを増やすくらいならこれを少し飲んで様子を見た方がいいです。これはまぁ今胃をぶっ壊してる医院長様には飲めない薬なので安心して預けられるな。
 長く効くので寝る前1錠。ただ今日はそうだなぁ…まぁいい。今日の夜から飲んでください。ただし、胃が痛くなったら一度やめて、こいつに連絡してください。そしたら私が朝一で君を診ましょう。そしたらコントールを2錠にします。いいですね?」

 真樹は黙って頷いた。

「余ってるコントールは医院長がお持ちか?」
「そうだけど」
「じゃぁ没収するのは楽ちんだな。毎日来るの?天崎さんは」

 それにも黙って頷いた。それを見て一之江は、少し微笑んで、「真樹、」と手招きをする。

 ダルそうに緩く、しかししっかりと一之江はベッドの上から真樹を抱き締め、頭を優しく撫でた。

「…悪かったな、クソガキ」
「…うん」

 その事情に西東と二条は顔を見合わせる。

 なるほど、こいつらなんだか。
 類友やら親友やら恋人やら、生徒、患者、なんかそういったものとも違う雰囲気。だってこれらには、こんな妙な遠慮と、アットホーム感は入り交じっていない。

 赤の他人、しかしまぁ。
 二人には見えないが、一之江が真樹の目元を拭っているのが見える。

 不思議なもんでどうやら、家族のような、そんなものらしい。曖昧だけど、確かなものだ。

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