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 果たして真樹はどうしたかなぁ。
 どこでこれを、まぁ、音楽室かも。ピアノとか、聴こえたかも。

 開けようとして、「ダメだっつうの」という、男の、笑いを含んだような声が聞こえて文杜は放送室の前でピタッと止まった。

『は、いいなそれ。ほら、ダメだよ、奥を、こう反らして、ほら、喉死ぬぞ、ほら、なぁ』

 咳き込むような、掠れた息が聞こえる。

『ダメか。仕方ないなぁ、まあいいよ。ほら手えついて』

 そして聞こえてくる、小さな、『痛い、』と言う、あの声。

『好きにしてんだから、そりゃ、仕方ないなっ、はぁ、んなこと言って、ほら、こーゆーの、好きなくせに』

 あぁ、これって俺実は今。
 ものすっごく最悪なシーンに出くわしてねぇ?

 目を閉じてみて、深呼吸した。
 「うぁぁ、はぁ、よしゆき、先輩?」完璧だ。これ、やっと聞こえたこの、真樹よりは少し低い声。しかしどうも声、出しにくそう。

「今は、はぁ、あんたの、物だね、俺」

 なんだそれ。

「でも、はぁ、最後だかうぅ、」
「何か言ったか、ん?」
「痛、やだ、」
「萎えてんじゃねぇっ、て、穂。はは、泣くなよ」
「あ゛っ、」
「あ、血」
「…んの、はぁ、っそやろっ、あっ、」

 何故?
 開けてやろうかと思ったのに。

「は、でも、俺しかいねぇだろ?」
「…うん、」

 泣きそうな穂の声がして。
 文杜はドアに掛けた手を下ろした。
 しばらく立ち往生して、なんとなく、終わった頃合いまで動けなくて。

 様々な感情が揺れ動いた。激しく椅子が動く音や、最早机の、動く音まで聞こえた気がして。

「立てねぇの?じゃぁな」

 一連の中で相手の、一番無慈悲な一言のタイミングで文杜はドアを開けた。

 振り向いたそいつは銀髪の、ホストみてぇに整った顔した吊り目の性格悪そうなやつで、文杜を見るなり意地悪そうににやりと笑い、「おい穂、早く立ったら?みっともねぇ」と振り返る。

 穂は机に突っ伏すように蹲っていた。
 両腕だけが投げ出されたかのよう。しゃがんだ状態で振り返り、見上げた穂の一瞬見せた殺伐とした疲労が文杜の胸を打った。

 腹の底に渦巻く感情を処理しきれない。Listen to the感情が不発に終わるのは穂が、それでも無理に笑顔を作りきれず、ぎこちなく、「あぁ、来たんだ」と、弱々しく言ったからだった。

「…に、してん、」

 声になって出ていくのは感情ばかりが先立ってしまって言葉が出ていかない。

 それに穂が無理をするように反動をつけて、立ち上がろうとするのをまずは制そう、というより助けようとして文杜は駆け付けるように、側へ寄る。多分、銀髪野郎はちょっとくらいすっ飛ばしたかもしれない。

「…ちょっ、ねぇ、いいよ、座れる?」
「…はぁ?」
「無理して立たなくていいから。あ、肩貸すべきなの?これって…じゃはい、取り敢えず…」

 手を差しのべてみたら。
 穂にきょとんとされてしまった。

 何か間違っただろうか。だが後ろで「ふ、」と銀髪に笑われた。

 てゆうか銀髪、まだいたのかよ。早く帰れよとか言うのもどうでもいい。
 ただ穂はどうするのだろうと思い文杜が見つめていれば、穂の浮きかけた、立とうとしたその腰がすたんと、床に落ちるように転んで尻餅をついて。

 反射的に床についた手はどうやら痛かったみたいだ。庇うのはクセにもなっているようで右腕を床から離し、穂はそれをぼんやり眺めていて。それからゆっくり、息を一つ吐いた。

 「ふ、」と、銀髪がまた嘲笑うと、漸く去ろうとドアへ向かうので何か言ってやろう、なんならぶん殴ってやろうかと文杜は思ったが、その背を見て穂が一言、「よしゆき先輩、またね」と言った。

 それに対して銀髪、よしゆき先輩は、答えずに、ただ一瞬振り返ろうとした気はする。

 ドアを荒々しく閉め、反動で音は反響し、少し、開いてしまった。

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