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 手を離して俯いた穂に文杜は走らずに歩くことにする。

 一階分の階段を登り、音楽室についてみれば、ドアが開け放たれたままだった。

 ナトリは立ち往生で中を伺ってみて。

 先客は、いた。手すりに寄りかかって外を眺め黄昏ている銀髪の先輩で。

 後ろから少し遅れた文杜が覗く。
 静かな声色で問う「真樹は?」が底冷えする低さ。
 ナトリが振り返れば無表情すぎる顔で文杜がその銀髪を眺めていた。

「…文杜?」

 そして文杜の後ろから現れた穂は、どことなく安心したように見えたが。文杜が振り向けばその場で硬直するように立ち止まり、文杜を見つめるのだった。

「…いなかったようだね。ドア、開いてるもんね」

 話し声に銀髪が気付いたようだった。
 それとほぼ同時、穂の位置的に銀髪の姿は捉えられなかっただろうが、穂はナトリと文杜の間に割って音楽室に入って行った。

「よしゆき先輩」

 銀髪、よしゆき先輩は三人の姿を目を細めて上から下まで吟味するように眺め、「なんだよ」と、心底嫌そうに穂に吐き捨てた。

「聞きたいんだけど…ここに、誰かいた?」
「…はぁ?」
「…まぁ、いなかったなら良いんです。すみません」
「…まぁ、鍵開いてたけどなんだよ、待ち合わせ?」

 そうよしゆき先輩に聞かれて穂は二人をふと振り返るが、二人とも首を振る。

「お前か俺くらいしか部員は鍵持ってねぇじゃん。てっきり保険医か後輩か…アテがありすぎてわかんねぇけど、密会の予定でもあったのかと思ったがな、お前の事だし」

 その一言は。
 穂ではなくどうやら文杜に向けられたものらしい。よしゆき先輩は挑戦的に文杜を見つめてそう言った。
 どうやら喧嘩は売られている。

「…そうですね。まぁわかりました。
 来てないってよ」
「そうっすか」

 ナトリもナトリで、少しこの男は気に入らなかったようだ。
 素っ気なく返し、さっさと踵を返して文杜に去ろう、と促すが。

「で?あんたらあれからどうなの?
 よかったろぉ?こいつ最初の頃なんてなぁ、泣いちゃって泣いちゃってどうしょもなかったんだよ?なぁ、穂」

 去ろうとした文杜の足が止まった。それにナトリは文杜の怒気を瞬時に感じ取った。

「3回目くらいだよな、良くなったの」
「うるせえよクソ野郎」

 あぁぁ。やはりかぁ…。

 再び先輩へ振り向いた文杜の顔は明らかに頭に来ている。だって片方ひきつってるし。

「…文杜、おい、」

 文杜はそのまま先輩に向かって行きそうな勢い。文杜の肩を掴んだナトリはそのまま制するように力を入れる。

 だが、よしゆき先輩も頼みもしないがどうやらこちらまでお出ましたようで。穂の腰辺りの裾から手を少しだけ入れる様が生々しい。

「よしゆき先輩、」
「黙ってろよ穂」

 穂はよしゆき先輩を睨み上げるが、それから手付きがなんとなく後ろの方へ、下の方へ入るのが見えて「ねぇ、先輩っ…、」と、肩で息して拒絶する穂の姿を見て、ナトリはさらに文杜の肩を掴む手に力を入れた。

「下品なヤツだな、あんた」

 代わりによしゆき先輩に言うのはナトリだった。
 友人として、これしかナトリにはしてやれない。

「あっそう」
「胸くそ悪ぃよ、全体的に」
「そりゃどーも」
「文杜、行こう」

 文杜はナトリに返事をせず、ただよしゆき先輩を見つめている。
 穂は穂で密かに手元で抵抗をしているようだが、その手は力強くよしゆき先輩に掴まれてしまったようで、少し顔を歪めていた。

「穂、それでもお前は俺がいいんだよ」
「…よしゆき先輩、」
「…穂さん、あんた」
「…文杜くん、」

 痛そうだ。
 だがそれでも笑う穂が凄く嫌で。

「…穂さん!」
「いい気にならないで」

 その穂の一言で息が詰まった。

「ふん、ははっ!」

 よしゆき先輩が笑う。
 後ろから穂を緩く抱き締め、耳元辺りに鼻を埋め文杜を半笑いで挑戦的に睨み付けた。

「調子こいてんじゃねぇよ一年が」
「…なんだよ、」
「よしゆき先輩、」

 穂は甘い声で先輩を呼ぶが。
 横を向いて微笑んだのは左側の口元だけで醒めた目付きで薄い唇が言う、「調子に乗らないでくださいよ」に、よしゆき先輩は黙って穂を見つめ返した。

「あんたなんて、ただの、そーゆー関係だってあんたが言ったんじゃないですか。初めて、出会った放課後に」
「…お前、」
「文杜くん、」

 そして今度は文杜を見て言う。
 悲しいほどに、切ないほどに。

「君との話は…楽しかったのかもしれない。だから早く、君は友達のところに行くと良い、聞いてあげたらいいよ」
「穂さん、」

 よしゆき先輩はまた「ふん、」と穂を離し音楽室に戻って行った。
 それに振り返り、一瞬見えた穂の笑顔が、少し泣きそうだった気がして。

「穂さん…!」

 もう一度呼んでみた。振り向いてはくれたが、凄く嘘臭い、けれども妖艶な微笑みで、

「それでも、あの人を許せるのは俺だけだから。
 ありがとう」

 それだけ残して穂も音楽室に入って行った。

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