4
閉められた扉を前にして猫背が俯き、拳を震わせている。
斜め後ろからの情景、ナトリには文杜の表情を伺い知れないけれど。
お前は酷く、解りにくいが単純な男だよ。
多分それは愛だの恋だのそれじゃなく。単純な敗北をいま、背負ってしまった気になっているんだろう。
だがなぁ。
しかしまぁ、それに声を掛けるのは友人として最適ではないな。取り敢えず黙って去ろうかなぁ。
そう思って、わりとわかりやすく音楽室からナトリが背を向ければ、文杜が悩んでいるのは見て取れた。
「ナトリ、」
「なんだよ」
「…いや、俺…」
「はぁぁ…」
溜め息が出た。
まったく。
「なんも、言えなかったよ」
「うん、で?」
「だから、なんか。
俺、真樹だって大切なんだよ、ナトリだって。だけど、なんか、だからさぁ」
はぁぁぁ。
結局お前何がしたいんだよ女子かよバカ野郎。
でもわかっちまうのも友人の憎たらしいところだよ。だからはっきりしろよ。
「知らねーよ。知ってるけど。
俺真樹を探しに来てんの。お前の意味わかんねぇ色恋なんざ知らねーよ」
「うん、俺だってさ、」
「お前のそれ、タチが悪ぃよ。
俺はあの人を知らないから、今は真樹を探しに行くけどね」
さぁこの男、
この純粋な黒目をした男はどう出るか。
だが文杜は言葉煮詰まったように、唖然として立ち尽くしてナトリを見るだけで。
そうだろうなと、ナトリが再び行こうとしたときだった。
視界の、端で。
突然文杜は座り込んだ。
それにナトリは面食らう。文杜はただ黙っていてベースギターをケースから取り出して。
空中を眺める黒目が閉じられて。昼よりは夕方に近い日差しが窓から差して照らされている。
路上ライブのシンガーソングライターのような見映えに、ナトリは黙って腕を組み友人を見下ろした。
文杜の頭の中には静かなリフレインのアコースティックスタートで。ポーンと鳴るエレキと、静かなドラムに、底から引っ張られたようなベースギター。
真樹、俺ね、この人の曲好きなの。3ピースで、全然いいんだよ。だって3ピースは、エレキがいないと、やっぱり寂しいじゃないか。アコースティックだってなんだって、そうなんだよ、真樹。
「せーしゅんは先週で終わった 発想は尽きない
どーしょもない方向でいっちまってもぉ
照れ笑ーいで再開」
完全は完璧じゃないや
想像が織り成す
500万画素の別天地なんかを
再現してみたいな
気付けばナトリも向かい合って胡座をかき、優しくも強く、膝をドラムにしてビートを刻んでいた。
「だけどたーまにおもーうんだよーぅ
これは永遠じゃ、なーいんだってぇ
誰かのぉ、手にまたぁ、この命かえーすんだぁ、」
サビ前の息遣いでナトリと目が合って、二人で笑い合った。
弾き止め、叩き止める。立ち上がる前にギターをしまう。
あんたも俺も真樹も普通なんだよ。そんな苦痛に耐えてるから。勇気なんて与えるのは、俺には出来ない。
「真樹より遥かに上手いな、文杜」
「…いや。
それぞまさしくセンシティブでエモーション系マイマインドです。俺は真樹の唄が良い」
ベースを背負って歩き出し、「あの不安定なファルセットみたいなショタ声がね」と笑顔で続ける文杜に、「ごめん、本当によくわかんない」と返すナトリ。
まさかあんなにノっておいてお前、この歌を知らなかったのか、おい。
「ちなみに誰の…」
予想的中。
すげぇよお前ある意味すげぇよと称賛したくなったので。
「はい、これ」
と、文杜は階段を降りながら自前のウォークマンをナトリに貸して流してやった。
少し聞いて驚きの表情で一段下から見上げてくるナトリに、にやりと笑う。
そして音が廊下から消えてみて音楽室では。
鍵が閉められたドアと。
自分を床に組敷き、震える両手で肩を掴んでいる穂から頬に溢れてきた数滴に、稲瀬義之《いなせよしゆき》は無言でその流れる穂の髪を首筋から耳に掛けてやり目元を拭ってやった。
驚いた表情をした穂になんと声を掛ければ良いかわからない。
正直、殴られた方がマシだったな。
「穂、」
「…よしゆき、先輩?」
「初めてだな」
確かに、そう。
あの一年にああは言ったが。
穂は苛めに対しては泣いたことがない。
「調子に乗らないでくださいよ」
この一言にはっとしたのだ。
そうか、そうだったんだと。
歪められてしまった、哀愁という名の摩天楼のような、『穂』という存在に遠近法を疑った。
何を間違ったのか。でもどこかでは。
「…わかってはいたんだ」
「よしゆき先輩?」
「お前なんて、ただ歪んでるだけで、俺が求める物じゃなくて、手の届く物じゃないって」
「よしゆき先輩、それは、」
「俺は音感がない。だから笛の音がわからない。けどさ、初めて見たオーケストラ、実はサックスが一番いいなって、思ったんだよ」
「なんで、それ、今」
「さぁ、わかんねぇな。でもお前が一番ヘタクソだよ。だからかな。笛、お前ホント、ヘッタクソだよなぁ」
子供みたいに笑っている姿が。
「…よしゆき先輩、」
凄く、懐かしくて。
「だからさぁ、穂」
髪の毛を滑り掻き上げて、見つめてくれるその目は。
「調子に乗らせたのはお前だよ」
義之に抱きつかれたせいで穂は体勢を崩した。
だけど二人で横になって、抱き締められて、額に唇を当てられて。
そんなことは初めてだった。
「なぁ、あれ、誰の唄なんだろうな。
悔しいけどあのギター野郎、上手いな。ねぇ、調べてよ、穂」
降りてきた唇が耳元でくすぐったく言う。
話をしようか、そうか。
これを別天地と言うのかもしれない。嬉しいのかどうかはわからないけど。
「なんで?」
「好き、かもなぁ、ジャズっぽさとか」
裾から入り込む冷たい手に。
不浄な罪犯ちの、すべてをここで償ってまた帰るのかと、ぼんやりと穂は思った。
- 66 -
*前次#
ページ: