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 教室フロア左、下駄箱からは目の前にある、進路指導室。
 鍵も掛かっておらず開いてしまった。もとは教室だったのだろうか、3年フロアの最果て。

 授業中のお経じみた教師の声しか聞こえてこない。すぐそばにある、事件があったトイレの水道ですら音がしないもんだ。

 なんでじゃぁ、あの時、あんなに派手に物音がしてもなにも、誰も、ナトリや文杜以外に来なかったんだろうか。

 わりと乱雑に、足から指導室に真樹は降ろされた。バランスを崩しそうになりつつボンタン吉岡が支えてくれて、というよりは無理矢理立たされた。

 先に開けて入った北郷がそのまま真樹を真っ正面から抱き締めてきて漸くちゃんと立つ。

 しかし状況はわからん。
 けどこれって一体なんだ。

 頭で想像したのは、またなんか北郷に後ろへぶん投げられてボンタン吉岡キャッチ、またぶん投げられて本郷キャッチのあの苛めだったけど。

「じゃ、」

 とボンタン吉岡が背中でそう言って扉が閉まったのがわかった。

 えっ、なにそれ。よくわかんない。

 北郷も真樹を片手にもう片手を吉岡に振って「テキトーにな」とか言ったし。

 はぁ?

「え、ガチタイマン?」

 ここに来てぇ?

 力づくで北郷から離れてやろうとしたが、どうも本郷、離れてくれそうにない。
 それどころか髪を耳にかけられ、その耳元に熱く湿った息で「そうだよ、チビちゃん」と北郷が言ってきたのに真樹の背筋が氷った。

「ま、待った、は?」
「あぁ、お前さぁ、はぁ、俺にインポっつったよなぁ?」

 え、そういうタイマン?

 あ、思い出した。
 お前そう言えばっ。

 てか凄くそのアレが俺の右ももあたりで主張されていましてそのあのえっと。

「言ってにゃ、」

 なんでこんな時噛むんだぁぁ俺ぇぇ!

「言った言った。3回は聞いてんだよ、なぁ、」

 やべぇ。
 本気でどうしようこのパターンのタイマン考えてねぇよ。

 右ももあたりに押し付けられ、北郷の手がベルトに伸ばされたあたりで頭は回転。

 まずは北郷の左足を踏みつけるという抵抗。
 「い゛っでぇぇ!」と目の前で蹲っているのを見て、よし、ドアは真後ろと振り向いたらまた足首を掴まれて転んだ。

「てんめぇぇ、この、」

 ヤバイぞこいつ。
 てか。

 極度の緊張と高揚、焦燥が弾けたような気がした。胸から急速に、コンマの早さで脳まで血液が逆流したような。ヤバさセカンド、それは。

「あ、はぁ、はっ、ううっ、」

 真樹は過呼吸に陥った。
 だが、うつ伏せだ。

「な、んだお前っ、」

 北郷が覆い被さったのがより圧迫を呼ぶ。

「まっ、くっ…るし、た、助けっ、」

 冷や汗が出る。息も吸えない。生理的に涙が出てきた。
 急速に体が冷めていく。

 視界が急に反転し、天井と北郷のにやけ顔がぼやけて見えた。気道確保に、切り裂かれたような呼吸を再開。

「苦しいか、ん?」

 喋れない。
 せめて水でいい。薬を飲ませてくれと言いたくて真樹は床をバシバシ叩いた。だがそれも押さえつけられてしまい。

「ちょ、ほん、…薬、み…水!」
「あぁ?」

 ダメだ。
 取り敢えず息を整えようと深呼吸を繰り返した。
 起き上がろうと、最終手段、左腕に力を入れ最早北郷に抱きつくようにして無理に半身を起こす。

 それに北郷は唖然、力が弱まったところで右腕に体重を掛ける。

 少し呼吸は楽になった。だが、北郷は真樹の首筋に唇を当てる。しかし構っている余裕が真樹にはない。

「あん、ふぅ、マジで、はぁ、俺っ、い、息、が、出来な…いのっ、ねぇ!」
「かーいいこと言うなぁ」
「バカなっ、じゃないのっ!ねぇ、明らか…お、おかしぃで、しょーがっ、おい!」

 喘いでるわけじゃねぇよ。
 いや喘いでんだけどそうじゃねぇんだって。マジで酸欠で…。

 目眩がしてきた。
 呼吸も足りなくなってきた。
 これはヤバい。

 悔しくて最早涙が出る。

 真樹の感情はまた急激に上がっていき、倒れたが、最後の理性でムカついて腕で顔を隠した。

「え?マジなの?」

 なんかそんな北郷の声もしたがどうでもよくなってきて悲しくなり、しかし意識は遠退く、息は浅い。あぁダメだこりゃ。死んじゃうかもしれないな。

 腕がパタンと落ちた真樹は最早気絶していたかもしれなかった。
 だがまぁ、息はあるなぁと、北郷は一瞬怯んだがそのまま脱がせる手は止めず。

 何より、やはり綺麗だ。

 わりと脱がせて色々やってみたが体はまぁ動く、反応はあるらしい。
 北郷の手が止まったのは真樹のヘソの横にあったケロイドだった。

 なんだろう、これ。

 そう北郷の頭に疑問符が過った瞬間、がらがらとドアが開いた。

「なんだそれ」

 上から降ってきた声は。
 なんと、非常勤保険医、一之江だった。

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