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 確かに、|宇治《うじ》へ渡るまでの間、自分達が京から出たばかりのころと雰囲気が違うような気がした。
 どこか混沌とし血生臭いような、空気。

 文を手にして江戸を発ち、期限の4日には間に合った。
 帰って早々出迎えた幹斎は「はぁ、遅いわアホ」と、口は悪いが遥かに疲れたような、口調。

「あまりに長くて死に絶えたかと思ったわ」
「…残念ながら生きて帰ったわ。よかったなジジイ、お家取り壊しは免れたようで」

 寺の前で朱鷺貴と幹斎が「ただいま」「お帰り」と話す中、従者は幹斎と目も合わさずにいる。

 一年近くも前だがまだ発って間もなくの近江で、義兄の鷹から、幹斎が鷹や、藤嶋と取引をするしないと言う話を聞き及んでいる。
 それを朱鷺貴に伝えるべきか、どうにも翡翠は機会を逃したと逃げ、結局伝えてはいないし、何より確証かどうかはわからなかった。

 幹斎はそれに構うのかどうかは読めないが「…後に奉行署へ行くでお前ら」と言いながらも、寺に入れようとはしないのだ。

 何の気もないように幹斎は「そうだ、」と、袈裟から新しい位牌を取り出し「ほれ」と朱鷺貴に渡した。
 「あー、そうだった」と受け取った朱鷺貴はそのまま「ほれ」と、横流しのように位牌を翡翠へ回すのだから「ん?」となる。

「そうか、お前のとこのか」

 幹斎がそう言ってどうやら隣敷地の墓地へ促して来る。
 朱鷺貴も慣れたような、当たり前に何も考えずと言ったように荷物も置かずに墓地へ行こうという仕草なのだから翡翠は立ち尽くすのだが、幹斎がそれに「墓だ墓」と声を掛けた。

「家に帰ればまずはお帰りと告げるものだ」

 なるほど。

「お前の墓の隣に置いといたぞ」

 それを聞いた朱鷺貴は振り返り翡翠を見る。

「…えっと…」
「俺が書いた戒名…覚えてるか」
「……それは、えっと、」

 意味を飲み込めないらしい翡翠に、朱鷺貴は「は?」と、こちらもよくわからないようだった。

「お前江戸を経つとき墓参り行くか、に「そうですね」って悟ってたよな」
「…ん?」

 そうだっけ。大してなんも考えてなかったんだけど。
 と言う表情だっただろうか、しかし飲み込めてきては「もしかして…」となる翡翠に「あぁ」と朱鷺貴はさも当たり前のように返事をする。

「まぁ、本当は墓の話など、生きているうちは縁起でもないと言うけどな。迷ったんだが死んだ子供の話かと、送っておいたんだよ」
「……そうだったんですか、」

 そんなところで少し、朱鷺貴が|気障《きざ》な気がして、何よりまさかと、どんな感情で処理するべきかと戸惑い「そう……」と言葉を飲む翡翠を見た朱鷺貴は満足したような、そんな心境になった。

「悪かないだろ?」
「…えぇ、そうかもしれないですね」

 幼い日に死別した父、母、姉を思い出す。
 朱鷺貴は何を考えるだろうかと翡翠はふと思った。確か、朱鷺貴の父親は死罪で母親は|狐狼狸《コロリ》で死んだと聞いている。

 勿論、表情で伺えるものではない。

 三人で墓所へ行こうにも幹斎と朱鷺貴は「変わっただろう」、「変わったな」と話している。

 墓所は血生臭さとは少し違う、もう少しは時が経ったような、そんな臭いや空気があった。
 広くはない墓地だった。

 敷地の真ん中あたりで幹斎が立ち止まり、朱鷺貴が「あぁ、」と見る。
 新しい木の|卒塔婆《そとば》が4本刺さるのみだった。
 そこに何もないという空気はあるのだけれど、「ここだ」と朱鷺貴から伝えられた。

「…そうか…」

 母は盲で身体が弱かった。
 父は真面目な働き者だった。
 姉は家族思いの優しい人だった。

 しかしこうも思い出すのだから自然と、「ただいま」と言う自分がいた。

 薬箱を置きしゃがめば幹斎が「ほれ」と線香を渡してくるので|摺付木《マッチ》が必要だった。

 灯を点しながら翡翠は思い出す。自分の一家は、家族は家に置き去りになった。
 だが燃えるのを見ていれば不思議とその記憶が片隅になる。

 |蛍冴《けいご》、お母さんを守るんやで。
 蛍冴は立派やな。
 蛍冴は男や、頼もしいな。

 家族の笑顔が紫煙のように浮かんでくるようだ。次々と。

 手を合わせ翡翠はそうだと、葉を選び|煙管《キセル》を咥えて火をつけ、その火を線香の上にぽんと落とした。

 「なんや?薬か?」と不思議そうな幹斎の声に「お行儀が悪いですか?」と体裁を聞いてみるが、それも意味はないことだった。

「…お呪いなのですけれど」
「それ、いいな」

 隣で朱鷺貴が言ったことに翡翠はその表情を見た。
 珍しく、一瞬ほど。勘違いかもしれないが朱鷺貴の表情はなんだか、悲しいものだったように見えた気がしたのだけど、ふとまたその泣き黒子は下がり「俺もやろう」と、手を出してくる。

 煙管は渡したが「少々お待ちを」と、翡翠はそうだと、選びながら効くかははわからないが高麗人参を煎じていた物も追加し朱鷺貴へ渡す。
 案の定一度朱鷺貴は噎せたのだが、それから線香の上に灰を落としたのだった。

「…これは一体なんなんだ?」
「…梅干しと南天の実と…わからないけど高麗人参も」
「…よく覚えてんなー…」
「お呪いとして」

 そう言って墓参りを終えた二人に「さてと」と幹斎は言った。

「早速だが部屋に帰る前に言うとく。南側の堂は立ち寄れんわ」
「…なんで?」
「占拠されとるからだ」

 一瞬何の事か理解が出来なかった。

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