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 また殺気立つのもわかったが、「やはりウチに関係ないんですけど」と朱鷺貴は言い放つ。

 しかし、世界とはなんだろうか、これは俗世ではなく。もう少し狭いがこの寺には広いもんだなと翡翠は考えた。

 果たしてこれをすべて捨てるなど、いまの自分に出来るか、途方もないことだ。

 「だから、」という武市を「いや、言ってる意味わかりますかー?」と言う朱鷺貴がいる。

「まず第一に俺はあんたらが嫌いだから出て行って欲しい。
 とも言いたいがここは寺だからいたいなら働けっつってんの最初から。やっぱ言っとくわ、“郷に入れば郷に従え”と。あんたら、話はデカくともいまは小せぇ寺に腰据えてんだよ。どこが踏み台でも関係ないね。つーか、足元見てから言えば?」
「医者坊主にはやはりわからんか」
「うん。これで伝えたからな。まだ奉行署には言わないでおいてやる。
 ここは土佐じゃないからなぁ、迷惑被ってる、この一言でお縄は充分だ」

 言い切ってから朱鷺貴は「さぁ帰るか翡翠」と促した。
 「見張りはいいんで?」と聞けば「いーや」とやる気がなさそうだった。

「一切関わらなくて良いよ、面倒だ。幹斎にもそう言おう。南堂も、もう遠慮なく使うわ。斬られようものならそれこそお縄で」

 わざと聞こえるように話す朱鷺貴に「たまらんな、」と、トサキンの誰かが言った。

 居場所はなくなったのだろうから、役目も終えた、これでいい。

 しかしまずは協力するものがいなければならない、確かにその通りだ。それをこの小さな寺ごときで学べれば良いがなと、密かに朱鷺貴は思う。

 取り敢えず親のケツ拭いは終えたと考えた朱鷺貴はふと、

「平和に犠牲は必要なんだろうか」

 と言葉が出た。

「踏み台だなんだというのは、確かに足元の話だが…。医者坊主にはわからんと、それは平和ボケということかな」
「…犠牲とも、限らないとは思いますが、そうですねぇ…わては不毛だと感じましたが、藤宮を殺したのを嫌でも最近思い出しますよ」
「そうか」
「そんな風になっていくんでしょうかね、皆」
「かもな」
「…今日は疲れましたな」
「うん」

 仕方ねぇなと朱鷺貴は幹斎の元へ報告に出向く。

 …平和の元に犠牲が必要だというならば、あれは必要なことだったのかと考える自分が少しだけ忌まわしい。
 そんなことすら捨て、初めて自由を得るという教えは、ならばあの者達は正しいというのだろうか、相仏殺仏、相祖殺祖。初めて疑問を抱いた。

 だがそれで無の境地というのならば大分、殺生な話で。正直複雑だった。

 いくらでも捨てて良い。あの頃「捨てるな」と言わんばかりだった戒めは踏み台にする、と言うのとは違うはずで。

 気持ちが濁る。
 なるほど、だから「捨てねばならない」のだとしたらあの者達に腹立てても仕方がない、自然の摂理だ……どうしてもそれほど寛容になれない。これを「親」はなんと言うのか。幹斎の顔が浮かぶ。

 朱鷺貴が黙り込むのだから、翡翠も同じことを考えている。忘れなくても良いとかつて藤嶋に言われたことがあったもんだが、捨てるべきだと、そう。

 …まだまだ自分の世界も小さく矮小なものだ。

 人でなくなるという解釈には様々が存在する。断捨離とはそう言うものか。本当にそれで良いのだろうか。
 本末転倒だとすら、思える。

 一度悲しそうに話した武市と坂本。あの風景が本物ならば、それを捨てるのだろうか。

 「先に部屋へ戻れ」と別れた朱鷺貴の部屋には刀と仏壇があって。

 線香でもあげようかと翡翠は手近な事を考えた。

 …しかし。
 線香を探そうと仏壇の二番目を開けてしまった。

「………、」

 安易に言葉を、失った。
 線香は引き出しの奥にある。
 手前には半紙があり、それは遺髪だすぐにとわかった。
 半紙から見えるその三束、一束は自分があの日幹斎に押し付けたものだとわかるのだけど、あと二束。

 …恐らくそれは朱鷺貴の両親のもので、わかる、血が固まっていて最早遺髪として置いておくには殺伐としていた。

 …気持ちばかりが、濁る。
 どんな思いで朱鷺貴はこの遺髪と、刀を側に置き幹斎は置かせているんだ。

 翡翠は何故だか酷く自分が傷付いたように感じた。だから、朱鷺貴は自分に「冥土の土産など」と、言ったのか。

 気まずくなり、焼香もやめようと引き出しを閉めた。

 畳に寝転び目を閉じる。

 兄と計らい藤宮を殺した時。そこには確かに藤宮の生きた生々しい生があり藤宮は兄に後ろから刺され倒れ込んだ、血生臭く、身体の上で死んだ、それは動転もあったが憎しみから解放され、高揚したものだ。トキさん、わてはそう言う男やで。どんなに自分が憎んだ人間だったとしても…。

 間違いだと未だに思わないのに、嫌なその感触は永遠に消えない。

 急にそんなことを思い出してしまった。

 暫く朱鷺貴は帰ってこなかったが、帰って来た朱鷺貴の顔は少し、厄が落ちたような物に見えた。

「…線香でもやるか」

 考えることはどうやら同じらしい。

「わても…」

 翡翠は言い掛けたが「やはり、いいです」と断った。
 それに何だかわからないが、負の感情を読み取った朱鷺貴は「…見たか」なんとなくそれに行き着いた。

「…あの、」
「そうか」

 それだけ言って線香を出した朱鷺貴に「…やはり、わても」と言った翡翠は朱鷺貴の隣に座る。

「…気持ちが濁っていても、良いもんなんでしょうか」
「…寧ろ、濁らず手を合わせる人間はきっと少ないだろう。そのための経なのかもしれないな」

 …なるほど。

「けど、俺は犠牲にすがることはしたくないなと、思うよ」

 言葉は返せなかった。
 幹斎になんと、言われたのだろうか。

「…どうしましょうね。どんなに言われても、捨てたくない面があります」
「それも、」

 芯なのか、言おうとしてやめてしまったが。

 とにかく今は線香をあげようと、翡翠に線香を渡し、二人で少し長めに手を合わせた。

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