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案の定というわけでもないが、期待も裏切らず娘と翡翠の背中が見えた。
京を出たときよりも伸びた髪を結った翡翠の顔が、穏やかなのがより、朱鷺貴の言葉を詰まらせる。
娘の名前は「みよ」という。18の頃合い。いつも夕方頃に寺へ賽銭を投げては手を合わせていくのだ。
「そして与兵衛は引窓の紐を切り、濡髪を見逃すのでした」
「いやはや、恋とは複雑ですなぁ…」
何の話をしているのか。穏やかに過ごしているように見える。
ふと、翡翠が背後の朱鷺貴に気付き、「あぁ、トキさん」と言うのだからなんとなく話が急かされる気がしてしまう。
みよもそれに気が付き「どうも、こんばんは」とにこやかに言った。
「こんばんは」
翡翠が楽しそうに「歌舞伎やて」と朱鷺貴に伝える。
「歌舞伎?」
「はい、|竹田出雲《たけだいずも》の“|双蝶々曲輪日記《ふたつちょうちょうくるわにっき》”というもので」
…恋がどうとか言ってましたけどそれはそれは麗しゅう…。
更に尻込みする思い。
「何かご用かしら?」
まるで迎えに来たかのような朱鷺貴に翡翠がそう聞いてみたが「あぁ…うんいや後ででも…」と朱鷺貴の歯切れが悪い。
ちらっとみよを見ては
「そろそろ更けますねぇ。トキさん、おみよさんを送ってきますわ」
気を効かせる。
「あぁ、そうだな」
ペコリと頭を下げるみよと、然り気無く先導するような翡翠。
その二人の背を見送っては「なんだかなぁ、」といった気分で。
勿論仏門であればそういった、恋情などは切り捨てなければならない、これは当然翡翠もわかるだろうが、師となるか兄となるか、先導者なのかもしれない朱鷺貴は、翡翠とみよを悪いと思わない、むしろ良いだろうと思うのだから厄介なのだ。
良い機会、ということで切りたくもない、良い機会というのであればくっ付けたいような、という心情。
あいつはわりと女なんて困らないだろうけどな。
そんな翡翠がみよに対し何か、今まで翡翠の多くを見てきたわけではないがわかる、それまでの雰囲気となんとなく違う空気がある。
現に先日「おみよさんがねぇ」と朱鷺貴に話してきた内容は雑談の域も出ない、他人が聞いても面白いか不明な内容であったが、
「城下の、川沿いの桜が満開だそうで。川を花が流れて行くんがええと。
その池の桜も、風流なもんですよと、話していたんやけども」
だなんて穏やかな、それはそれは母親のように穏やかな顔で言われるくらいに全開であれば、「そうか」とは言ったがそりゃぁ暖かくなるもんじゃないか。あの口の悪い従者が桜の話をしようなど、温度が高すぎる。
「しかしまぁ、正直わては川よりも、池の方が好きですよと言うたんですけどね。三途の川のようで嫌やなぁ、と、そうは思いませんかトキさん」
知るかよこの野郎、と言いたいところだがそう、案外あの従者の感性は自然に出来上がっているのだから違和感も嫌味感もないのだ。
これはどうにも言いにくい。急げば一日くらい猶予はあるだろうか…。
そもそも二人がどれ程の仲なのか。恐らくはいつもここで話している程度と見て取れるのだが。まず翡翠から色恋の話、と銘打って話をされたことはないし。
どうやって切り出そうか、朱鷺貴はモヤモヤした気持ちで部屋に戻る。
いくら考えても結局「帰京命令が出た」以外に何もないのだしそもそも本来何も引っ掛かる事案でもない。
クソガキとはいえ子供でもないのだからわかってはいるだろうが、だから少し心苦しいような、と思っていれば時も待たずに「ただいま帰りました」と翡翠が襖を開けるのだから背筋が凍りそうだった。
「あっ、お帰り、」
「…どないしました?悪事がバレた子供のような面やねトキさん」
俺って多分顔に出やすいよね。
という反れそうになった思考に「違うわ」と突っ込む。
「そんで、なんやろうかご用事とは」
「あぁ、うんそーやね」
翡翠が髪留めを解く。
何故だか先程から歯切れの悪い坊主に「トキさん?」と翡翠は聞くのだけども、それで咄嗟に出てきた返答は「みよさんはどうした」という物で。
「…はぁ?」
「いやぁうん、」
「今し方お家までわてが送って参りましたけれど」
「…そーだね。うん偉い」
「…なんなん?」
「いや君達はいまどんな感じなんだろうかと気になりまして」
「ん?」
翡翠は意味が汲み取れないといった表情。そうだろうね俺は聞きたいのか言いたいのかよくわからずに大分ぶっ込んでいる気がするからねと朱鷺貴は苦笑。
「どんな、も何も…何が言いたいん?」
「…いや…なんか良い感じだよねって」
少し眉を潜めた翡翠が「はぁ…」と、不機嫌なのかこちらを推し量ろうとしているのかは朱鷺貴に読めず。
翡翠も翡翠で、お咎めでっしゃろか、例えばここの和尚にでも「女人と話すなど」だなんてちくりちくり言われているかしら、と考える。
「…すまへん、お話相手でして。トキさん、何か嫌味でも」
「あー…ごめんそうじゃない。
…京への帰還命令が出てなぁ…」
予想とは違う答えだった。
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