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「…何にせよ確かに俺の責任だよな、左京」
「…はい?」
「それが普通に見て正しい判断で、」

 何を言っているのだろう。
 ただ…少し寂しいのだとわかる。人は一人なのだけど、こんなときに一緒くたになってしまうのか。

 例えば鳥がいたとして、その鳥が羽ばたくために羽を広げた時に、粘着質な泥…血に近いものが少し引っかかるのなら。いくら綺麗な鳥でもまわりを汚してしまうのならば。

 曲がり、自分の部屋の前の廊下が見えればなるほど、状況は左京に言われた通りになっていた。

「とっ……朱鷺貴殿」

 縁側、庭にも慌てた坊主が数人立ち尽くしていたり、どうにかしようと壮士と翡翠に寄っている。
 壮士の顔の横あたりに二本ほど苦無が刺さっている。どれもしかし、殺しを狙うならば的外れだと誰でもわかるほどの突拍子もない位置。

 翡翠はどうやら壮士の上で、意識がない、いや、寝ているのかもしれない。

 「藤宮が、」と壮士が言った瞬間にしかし、翡翠の指と眉間がぴくっと動いたのを見て取った朱鷺貴は周囲に「待った」を掛ける。

 思い出した。
 軽く流していた、大分前の話だ。

「…そいつは少々寝相が悪いようだが、」
「…は?」

 朱鷺貴と翡翠の部屋は開いている。
 覗けばどうやら翡翠は這ってここまで来たのだろうか、そんな雰囲気で布団が開いていた。

「それは這ってここまで…」
「知りまへんよ、兎に角、私が通り掛かればうつ伏せで倒れていた、いや、寝ていた。だから起こそうとしたらこうなった」
「…そいつは始終寝ているのか」
「…かもしれない。だがまるで殺そうとされたんや!起きてるんやないの、これ!」
「…どれ、」

 少し覚えがある気がする。

 試しに朱鷺貴は壮士の元にしゃがみ、まるでしがみつくように壮士の着物を鷲掴んでいるその翡翠の手を解こうと手を乗せれば、またぴくっと動き、腕を動かそうという力が入ったのがわかった瞬間で「翡翠、」と呼んでみた。

 ただ、手に力が入ったのみで肩の力が抜けたかもしれないとわかれば、壮士から翡翠を一気に引き剥がした。

 翡翠の表情は少し険しいが、どうやらそれも穏やかなようで。

「…壮士殿…その…、俺が寺に来たばかりの頃を覚えてますか」
「…は?」
「…父と、母の、法要中の。…俺は全く眠りこけて記憶がないけど」
「……あぁ、らしいな」
「聞いた話によれば俺は、何度か取り押さえられたようです。無意識に暴れたと聞いた」
「…確かに私もそう聞いたが、もしかして」
「…わからないけど。ジジイに聞いたら幼少期のそう言った、心への深い傷はたまに悪さをするもんだと」
「…朱鷺貴殿にはそういったことがあったのですか」

 黙っていた左京が漸く口を開いた。
 どうにもそれは人の持つ情のような慈悲深い物だと、散々浴びてきたもので。

 腕のなかで落ち着いてきたのか、より深く翡翠が眠ったように感じる。

「誰でもいいから幹斎和尚に知らせてはくれないか。もう法要も終わるかと思う」

 しかし、視線の情などいらないのだ。

「申し訳ない、壮士殿。遅くなったが怪我はありませんか」

 「え、はぁ…」と腑抜ける壮士の横で、朱鷺貴が部屋へ翡翠を引き下げようかとしたころに「あ!幹斎様!」と、左京が来た廊下を見て言った。

「なんじゃ左京」

 角から幹斎の姿が見えた瞬間に朱鷺貴自身でも表情が緩んだのが嫌でもわかった、これはわかる、歯が鳴りそうで情けないだろうと感じるのだが、見下ろしたままの幹斎は「なんだそれは」と冷たいように言った。

「…寝ているうちに暴れたようだ。危うく、壮士殿が殺されそうだった」
「その苦無か」
「そうです。…凄い力で」
「あぁ、なるほど。寝ているのなら加減が無いのだろうな。壮士、殺されなくてよかったな。最も、まぁ無理だと思うが」

 …そうか。
 はっきり、自分が起きたとき。
 仏壇で念仏を唱えていたあんたは確かに、そう、冷静、なんなら冷徹だと感じたのを思い出した。
 そして「お前の父と母は死んだ」と告げたその一言すら経を読むのと変わらず同じ音声、調子だったんだ。

「“夢遊病”というやつだと思う。似た物が子供の夜驚症だ。朱鷺貴には覚えがあるな?」
「…そうだな」
「どちらも、欄法医学ですら原因は定かでないが…どういったものかな、子供の頃の夢でも見ているのかのう。
 夜驚症は恐らく、子供の未発達な頭が睡眠を覚えていないと仮定されるのだが、それは起こさない方がいいぞ、いっそ深く眠らせてしまえ」

 そう言って笑った幹斎は「情けない顔をするな朱鷺貴」と言った。

「夢を見ると言うのは眠りが浅いのだ、確か翡翠は眠りが浅い方じゃなかったか」
「…確かに一定条件がある。嘘だと思っていたが人がいないと眠れないと…言っていたような」
「それは確かに心的外傷だな。おちおち寝てもいられぬ環境が慣れているのかもな。いや、眠りが元から浅い者もいるのだよ」
「…そう言えば藤宮さん、」

 一瞬ぴくっと翡翠が動いた気がして「待った」ともう一度朱鷺貴は言った。

「…なるほど、親を殺したとはこのことか」
「…はい?」
「うん、で、翡翠がどうした?」
「はい。えっと…朝は誰よりも早起きで…外で何かを待ってますよ、最近」

 予想外に「え?」と朱鷺貴が言うのに幹斎は「ふはははは」と笑った。
 翡翠がびくっびくっとしているのは幹斎の笑いだろうと睨むまでもなく「ははは悪い悪い」と幹斎は言った。

「まぁまぁ、寝かせておけ。他に支障も無いだろう。随分と寝相も寝起きも悪いなぁ。
 あぁ、ならば皆愛らしく「翡翠」と呼んでやろう。どうだ朱鷺貴」
「…まぁ、」

 しかし親とはこうも然り気無い。

「…坊主はどこか不感症になるもんだからな。まぁ破天荒。
 さて壮士、災難だったな。取り敢えず戻ろうか」

 場はきっちりと収まったらしい。

 それぞれが散り散りになる中、朱鷺貴にはまた靄が濃くなったような。ただ確かに、子供のように寝ているな全くと、朱鷺貴はその日翡翠の側を離れずにいるしかない。

 死んだようにと言えば聞きも悪いが、本当にピクリとも動かず息も浅く爆睡している翡翠を、初めて見たことにも気が付いた。

 良いようで悪いようで、複雑。
 夢など、まさしく亡霊じゃないかと、朱鷺貴は仏壇の前で手を合わせ心の中でひたすらに経を読んだ。

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