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再び訪れた日本橋には、京とは違う湿った雪がちらほら降り、積もり始めていた。
「こちらはよう雪が降りますねぇ」とみよと話したのが本当は数日前のような、いややはり、それから過ごした日々よりも長いようなと、翡翠は一人思い返していた。
旅を終えてからの日の長さが、まるで郭の気長な感覚になっていたのだ。
郭にいたときも、世間とは違う長閑さだと感じていた、その懐かしさに似ている。
まだ朝も明けきらず朱鷺貴に「7日で」と告げて寺を出てから、途中の足場もあり4日半と、早いには早いが予想より掛かってしまっていた。
この調子を考えると、果たして手紙はいつ寺に届くのかわからないしと、一瞬迷ったが書かないことにしたのだ。
そもそもここに来て、ならばどうしようかというのも短くも長い道中には考えた。
そしてそれからをどうしようかというのも考え、これには答えを見出だすことが出来ていた。
時間がないのが却っていいのかもしれないと、翡翠はまだ迷いながらひとまずはと、進み悪く善福寺に向かっていた。
白昼、覚えていた頃と同じような…まるで時が止まってしまったかのような寺の景色に、そうか、自分はここにいたのかと妙な気持ちになる。
「……あれ?」
そして法衣を着た坊主が賽銭箱のあたりを通り、気付かれた。
「…藤宮さん?」
坊主に頭を下げれば「あぁ、お久しぶりですね」と少し緩やかに返ってくる事に、時は止まっていなかったとぼんやり感じた。
「お久しゅうございます」
染々と「あらぁ…」と翡翠を見つめた坊主は「お一人ですか?」と訪ねてくる。
「あい、そうです」
「京からいらっしゃったんですか?」
「ええ」
「まぁ長旅で…よろしかったら上がっていきますか?生憎和尚は少々…出てはこれないのですが」
「和尚さん?どうかされたんですか?」
話す坊主の様子に聞いてみれば「はぁ、まぁ歳ですから。夏頃から少しね」と薄く笑う。
そうだったのか。
「そないによろしくないんですか?」
「まぁ、今年の冬は乗りきれるでしょうとはお医者様がね。
さて、どうぞ、お茶でも淹れましょう」
「あ、いえ、近くまで来たんで少々寄ってお参りをしようかと思っとっただけですんで…」
とは言いつつもにこりと笑い賽銭箱の側に座った坊主は小姓に「お茶をお願いします」と言ってしまったので、翡翠はまぁ良いかと隣へ座ることにした。
「すまへん、急やったんに」
「いえいえ、まぁ、お寺さんは皆急ですから。朱鷺貴殿はお元気ですか?」
「ええ、変わらずです」
「そうですか。
京はあれから大変そうですねぇ」
…時を忘れそうになる。
「江戸も聞くところによれば、結構と…」
「まぁそうですね。先日まで浪人さんが少々上がっていましたよ」
「うちもです。なんや、一気に目まぐるしく世間様はお変わりなようですねぇ…」
茶が運ばれてきて一息吐く。少し身体の力が抜けたと思えば息が白かった。
「お疲れなようですね」と坊主は言ってくる。
「少々急いで来たんで、まぁ…」
「あら、いつまでいらっしゃるんです?お遣いですか?」
「いえ、そういうたもんでもなく…そうですねぇ…。7日で帰ると京を出たきり4日あまりが経ってしまいました。間に合いませんね。
和尚さんの顔を…宜しければ、見てこうかなぁ」
「それは喜びますよきっと。この時世に大丈夫かなぁ、と心配してましたから。
ですが…えぇっと、もしかしてですけど、下のおみよさん…ですか?」
「えっ」
何故わかったのだろう。
「…やはりそうだったのですね。
丁度良いです、実はおみよさんのお父様、うちの一角で療養しているんですよ。どうやら肺病を患ってしまってねぇ」
「そうだったんですか、」
「えぇ。
幕府の偉いお医者様がたまに見にいらしてくれるのですが、そう…離でね。おみよさん、今朝方いらしたんですよ。和尚も側の部屋で療養しているんです」
「…そないに……」
それは最早、きっとみよの父はこの厳しい寒さに耐えられないだろう。
「…おみよさんは…」
「そう、そんなわけであまり会わせてはあげられないのですが、毎日来ていますよ。どうかな、まだ和尚の部屋に居るかもしれない」
「えっ」
「だとしたらもう少しで帰るのかもしれないし…少し見に行ってみましょうか」
時を忘れそうだったが一気に現実に引き戻ってしまった。
「あ、いや、ええと…」と決まらぬうちに「まぁま、寒いですしね」と、そういえばそうだった、この地はどこかこう忙しないと、2年前、初めて江戸の地に足を踏み入れた時にも感じたではないかと急に懐かしさが沸いてくる。
それに「ふふっ、」と、笑えるような気がしてやはり解れた。これも不思議な巡り合わせかもしれない、来て正解だったようだ。
「痛み入ります。そうしたいで」
返事をしている最中に「おや?」と坊主が庭の奥を眺めて漏らす。
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