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門内は、いつでも外とは違う鮮やかさがある。
ここへ来て漸く知った作法がある、眠りは、共に眠る相手の都合に合わせるという精神だ。例えば、相手が起床する前か、同等で目覚めなければならないということ。
雪はまだこれからという季節。それは、最近にしては寒さが少しばかり緩いような、まだ夜も盛る頃合い。
手を離れ部屋に戻り囲炉裏の火をつける。
広くなった部屋にも良い加減慣れ親しんできたと思っていたのに。
何かの気配を感じる、それは、ここ数年でたまにあること。
藤嶋宮治は、部屋の障子を開けた。
「…あの、」
しかし立つのは上等な着物を着た若い女で、甚だ、ここへ訪れる人間の中では大変珍しい…ないに等しい人物だった。
「…奥女さんかい、いらっしゃい。しかし若いな。悪いが裏口はここじゃない」
「…いえ、その…」
娘は、まだ元服したての頃、といった齢。
「…突然の御訪問、申し訳ありません」
着物は“着られている”という印象の、どこか慣れない所作、慣れない面構え。
心底この娘が何者か…と図る最中に一つ、八重菊の小さな紋を見つけたからには顔をしかめそうになるのと同時に、
「誰だ…てめぇ、」
ない宛だったはずが不思議、ピンと来てしまった。
となれば、唖然とするのを隠すばかりで。
「…訳あって名乗れない折り、重ね重ねお詫び申し上げます」
「なんだい?顔色が悪いな、まあ座れよ。茶でも飲んできな」
いえ…と消え入る娘の声に構わず藤嶋は、急須に茶っ葉と湯を注ぎ、「旦那に飽きちまったんかい」と軽口を叩いた。
「だが生憎俺は女とどうこうというのが微妙でね」
藤嶋は茶を側に運び、まだ突っ立っている娘には座るよう促した。
「ほうじ茶は一番身体にいい。これくらいのもてなしでいいか?
これに芥子なんかがありゃぁ充分と眠れるが…それは身体に悪いんだよ」
娘は俯いて「いえ…」とだけ呟く。
「懸命だな」と藤嶋が状況を楽しみその茶を飲むと娘は、漸く顔を上げそれを見つめた。
恐らくは、顔の傷もそう。
「…貴方が、」
「あぁ、名乗り遅れた。店主の藤嶋だ。
残念だが身売りなら、ここに来る人間は男だ。そしてここは江戸じゃない」
「…藤嶋さま、ですか。
とある御仁のことを…私の母から聞き及び馳せ参じた所存です。身分は明かせませんが私は…貴方を探しに参りました」
切り込む、凛とした口調。
しかしやはり子兎のように震えている。
「寒いかい」
「違います。
…いきなりで何事かと思われるのは仕方のないことだと私も思います、すみません」
「そうだな。誰に何を聞いてここに辿り着いたかは知らないが、酔狂だ。よくも、こんな辺境地にと関心はするけども」
「やはり、そうなのですね」
「…なるほど、作法を知らないらしいな」
言葉のわりに藤嶋の口調は穏やかだった。
間は、長く。
「まぁ、客商売なんで」仕方ないとばかりに藤嶋が羽織を娘の膝元に掛けると、娘はその羽織を少し握り「すみません」とまた謝る。
「…とあるお方からお聞きしまして、貴方が父を手にかけたのではないかと」
「へぇ、そう」
「……世間知らずな私の母に対しても、貴方が良い感情を持たないことは察しています」
「別になんとも思ってねぇよ、会ったことねぇし。だが身分にしちゃぁ確かにお前は品がないな。
何を思うか知らないが、お嬢さん。世の中には知らなくて良いことがある。隠されていることなど下々に任せておけば良いと宮内では教わったはずだ」
「………」
「まぁ、でも」
少しだけ傷が引き吊る。
娘には、それが笑ったという表情だと見えた。
「外を知ろうとする物など、あんたくらいしかいないもんだろうな。流石は将軍家に嫁ぐだけある。立派なもんじゃないか。
どうだった?人生変わっただろ」
「…そうですね」
「旦那も母親も奇病とくれば俺如きに心中を察することも出来ない。世の中じゃ今やあんたは苦労人、いや、悲劇のお姫様だ。
心配事は一つや二つじゃないな、俺も同情しない訳じゃない。人とは醜いものだ、世を知れとあんたに託すのも心苦しい。
どういう経緯かはなんとなく検討はつく。まぁ確かに、今のあんたが一番気になる位置にあるのもわかる。それで辿り着いたんだろ?」
娘は出された茶を取り、くいっと飲み干し白い息を吐いた。
「授けるなら、まあ……これも縁かな。ここには二度と来ない方がいい。あんたとあんたの旦那は今、日本で一番命を狙われているよ。
安心しろ、俺はあんたとなんの関係もない」
しかし娘はどうやら揺るがない。
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