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 …不思議なものだ。

 夕飯を終えた柊造は、先日の大久保殺害の際に犯人が持っていた“斬奸状”なるものの写しを文机で眺めてはぼんやりと思う。

 その斬奸状には、岩倉具視が率いた使節団から三人、岩倉具視本人と先日病死をした木戸孝允、伊藤博文、大隈重信らが上がり、更には日朝修好条約の件で井上と共に動いた黒田清隆も記されている。
 狭い政府であれば、仕事を共にする機会はある、にしても名前が上がった者達は皆、井上馨と密接な関わりがある。だが、井上馨の名前はない。

 大久保暗殺の犯人、自首した6名から見れば井上は罪人ではないと言うことだ。そんな事実に気が重いような気もしてしまう。これは何故、よりによって井上がいないときに起こったのだろう。

 …考えすぎかもしれないが。

 …少し前に、敗戦で共に戦った上官の謹慎が解けたと聞いた。それは、伊藤が耳打ちのように伝えてきたことだった。
 斬奸状にいた“黒田清隆”がその上官を拾い、旧蝦夷の地の測量などを任せているそうだ。

 黒田と共に活動した井上、ではなく何故伊藤がその話を自分にしたのかは定かではないが、その上官は自分の初めの上司になった男だった。
 居心地も悪く、自分はそれよりも遥かに上の地位にいる。

 アリシアが自分の膝元で静かで穏やかに寝ていることに目が行く。
 穏やかに眠るアリシアの髪は、鋤いていると絡まってしまいそうな柔らかい毛質だった。

 軍の時代を思い出す。ある日に地元の藩が同盟を結んだというのは、江戸の名家の、師範などをやっているような、そんな男だったらしい。

 その男は海軍訓練を習得していた。船に詳しい。しかし詳しいとは言っても、実践など、江戸幕府には経験がなかった。
 
 木戸、伊藤、井上と黒田、大久保。
 同郷など捨てたようなもの。

 海軍訓練をゼロから始めたような同盟国は、何度も船を沈ませたし、その上官は自身が思うほど慕われた男だったか、それは疑問だった。

 最終的に柊造は戦争で、「島田」という男の下に就いた。今頃、島田は謹慎の生活を強いられているのだと思う。
 柊造はそのきっかけで異国の銃器の使い方を学んだのだ。

 初めの上司だった男があっさり白旗を掲げた瞬間に柊造はただ、「終わった」とだけ、思った。
 勝ち越しても勝ち越し得た物を取られていき、結果「籠城だった」とはっきり見せつけられたとき、そうか、と思ったのだ。

 いや、本当はもう少し前からわかっていたはずだったような、気がする。いつからか、それは将軍が自分達を見捨てた瞬間からだったような、そんな気もする。

 …あの戦争をここまで掘り下げて思い出すとは、珍しい。たった、一人の話で。

 今日は感傷的なのかもしれないと考えると、「西郷隆盛の戦死」ばかりが書類から目に入るのだから、今日はやはり、仕事にもならないと書類を閉じる。

 黒田はこの戦争で退陣へ追い込まれるかもしれない。元々酒乱等、評判もよくないのだし。
 黒田は何を伝えようと井上ポストである自分へこの書類を寄越したのか。

 自分は、いまの処遇で井上の進退について、誰かの退路について述べることはしない。ただ受け流し井上に渡せばいい。

 少し疲れたなと、自分も休眠しようかと考える。
 考えすぎている自分の状況に、まるですがるかのようにアリシアがふと目を開けて「ちち、」と、寝惚けて言っては撫でていた手を掴むので座りっぱなしになってしまった。

「…起こしたか」
「…お疲れですか」
「いま寝ようと思っていたよ」

 そのままでまた目を閉じるアリシアに「参ったな」と聞こえもしない呟きが漏れる。
 どうも、アリシアの額は汗ばんでいると柊造は気が付いた。そんな時にはまた、あの時代へ思考は飛んでしまいそうなのだが、関係がない。この子供の歳を考えれば英国公使館焼き討ちなど、記憶にすら残らない事件だっただろう。

 どうやっていま自分がここにいるのか、多分誰も把握していない。聞かないのだ。
 この子供にしても同じ。特に自分は聞かないことにしている。だけど、アリシアは今何を考えるかというのを想像すると、この子供は明るい性格だと、時を忘れそうにもなる。

 手を話せなくなった体制に、仕方ないなと柊造はその場で慎重に雑魚寝をすることにした。
 側で寝れば不思議だ、記憶の寒さは過去の物で、アリシアは仄かに暖かい。
 ここに少しの暖かい事情が、いまはある。それが現状の自分かと、柊造は眠りについた。

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