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 翌朝、外務卿へ訪れた伊藤は柊造へ第一、「……井上はいつ帰ると?」と訪ねた。
 それに柊造は溜め息を殺しながら「おはようございます」と返してみる。

「昨日、フランスを発つと連絡がありましたけれども、フランスなら…1月あれば帰るかとは思いますよ」
「流石に西郷の件ばかりは井上も急くようだな」

 皮肉を込めて言う伊藤に「そうですね」と返すばかり。

「木戸の葬儀には間に合わなかったな、井上は」
「急な話でしたからね」
「帰ったらまずは飲みにでも行きたい」
「その頃店を用意致しますよ」
「君はどう思う」

 焦れたように発した伊藤からは苛つきと、焦燥が感じ取れた。
 流石に、思うところくらいはあるのかもしれないが「…どの件で?」と聞かねばならぬほど、ここ最近、身近に色々と勃発している。

「…全部だ、全部」
「…全部、ですか」

 それを言うのは憚れるが。

「…伊藤さんが考えておられるのはいまや、井上と政党を治したい、と言うところでしょうか。体裁であれば元薩摩の方々もそこに色濃く加えるとしてもなかなか手駒が薄い、と」
「…榎本武揚の話を、しただろう?」

 少し、動揺しそうになった。
 柊造はしかし淡とし「あぁ、そういえば」と体裁を取り繕う。

「…先日シベリアから帰国したと伺いましたが」
「あぁ。黒田の手で小樽に帰ってきていてな。
 君はあの男を評価するか?」

 何故それを自分に聞くのか。
 柊造は一度目を閉じ「そうですね、」と平坦に返した。

「私はあまり評価をしていないのだよ。まぁ、所詮は軍人。求めるものもないけどな」
「…そうですね」

 しかしそれは自分には出来ぬことだろう。
 西南戦争、竹橋事件。この男はいま、手に余らせている。

「…誰の話とわかりませんが、私には政治のいろはも解りかねます。元は只の鉄砲ですよ。彼と同じ。使う者がいなければただの鉄屑です」
「まさか君からそう言われるとはな。
 …そう言えば、あの子供はどうしている」

 顔色を変えた伊藤はそう言った。
 安心したのか定かではないが、張るものでもないようだ。だが、つくづくこの男は人の気を知らないものだと、「アリシアですか」と、柊造は分かりきったことを聞く。

「はぁ、まぁそうだ。他に誰がいる」
「…元気ですよ、並に」
「どうやら病弱だと伺ったが」

 内々に育てたせいかもしれない。
 しかしならば、誰のせいだと思っているのかという思いや、答える義理もないのだから「そうでもないですよ」と、はっきりしない。

「年の頃では元服か」
「覚えてらっしゃいますか」
「私が忘れてはそれこそ非道ではないか?」
「そうは思いませんが」
「なにか困ったことがあれば言うといい」

 腹が読めないな。
 結局のところ伊藤が何が言いたいのかといえば、誰も信用をしていない、だが、最近に不安ではあると言うところなのかもしれない。
 柊造はそう、良いように解釈しようと考え、「ありがとうございます」と感謝を垂れる。

「…東堂くん。
 蝦夷は空気が綺麗だと聞いたが、実際どうなんだろうな」

 不意を突かれた。
 伊藤はそう言って柊造を謀るように見ては「なぁ、東堂くん」と、何やら吹っ掛けてきたようだった。

「…はい?」
「いまや、開拓は途中であそこすら外国の領地になりつつある。それを、黒田も危惧していてな」
「…それは、」
「海外、日本と、世界には決まりごとがある。日本は今まで無縁だったが、領海、領空、と言うものもあり領地は、出来るだけ狭めたくはない、何故なら日本の領地でなければ漁業も出来ないし移動も困難を極めるからだ。
 まぁ、それほど大きな話でなかったとして、何より蝦夷は広くてなぁ、把握するのに大変だ」
「…私にその領地の開拓をという話ですか」
「ははっ、そこまで意地の悪い話ではないが、私はあの榎本と言う男を知らないのでね。君は函館戦争でその地を見ているし、井上が帰るまで、どうかな。少し見聞をして欲しい。
 空気が綺麗とは、子供にも環境がいいと思うんだが」

 要するに。
 それは当て付けか、左遷かと言うところだろうか。

「…一度話を持ち帰らせてください」

 伊藤は「ふむ」と唸り、「殆ど決まった話だけどね」などと勝手を言ってくる。

 自分をなんだと捉えているのか。

 しかし、実際進退が曖昧な自分達は、本当のところ伊藤ほど暇ではないのだ。

 伊藤の仕事部屋を出て柊造は溜め息を吐いた。
 始めから居心地は良くない場所だったが、こうも毎度疲れるとは心が折れそうだ。

 はて、初めの上司はどんな心境で今あの地に赴いているのだろうかと、過っては打ち消した。
 考えるだけで無駄ならば、噛み殺してしまうのが一番早い。自分は、敗戦から8年、そうやって干渉をするのをやめたのだ。

 自分の今生きる理由はどうやら擬似的だが、新たに作られた。それはアリシアなのかもしれないし、もう少し別のものかもしれない。だからあの碧眼は時に、寂莫するのだろうか。

 と、柄になく仕事へ感情を持ち出すのは、伊藤の不安も読み取ったことによるものだろうか。
 欲しかったものを手にしてわたわたと余らせてしまう伊藤を、井上はどう感じているか。

 いや、同郷など捨てる。今は皆平等だと思い込んでいるのだ。かつて仲間と祝杯をあげた蝦夷の地を思い出す。

 まだ、まだだと唸るものほど先にいなくなってしまうのだと、柊造はそう考える。考えては、自分の所在を思い知る。あんなに牽制しなくても、自分は足元ですらないのにと、行く末を見る気がしたころに、考えを打ち消した。

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