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『月刊 文蝶』の上柴楓、『紫煙』の改訂前原稿が上がってきたのは、スランプすれすれで二週間ぶりに会ったあの日から2日後、つまりは空太が帰宅した次の日の夕方だった。
あの日空太は毎回の如く泊まり込み、次の日は休日だしと蛍の家でだらだらしていようかと思っていたが、何分《なにぶん》お互いに何か、前夜あたりにインスピレーションが生まれてしまったのを感じたのだ。
予定は変更、翌日の昼頃に空太は帰宅したのだった。
それからあの文章を書いたのかと思うと、なんと言うか…。
と言うより、空太が帰る日の朝方、空太が起きたころにはすでに、蛍は寝室の文机に向かっていた。
その蛍の背中が少し儚げで、しかしなんとなく覇気のようなものを感じ取ったが、更に睡魔に負け、最終的に空太は昼前まで寝てから昼飯を二人で食べ、あっさり帰宅した。
あの瞬間にもあのシーンを書いていたとするならやはり作家と言うのは少し恐ろしい。腹が見えないもんだと空太は思った。
恐らくそれが“上柴楓”であり“涛川蛍《なみかわほたる》”なのだろう。
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混沌と寂寞を要している。紫煙が煙る。線香のような一筋に、項を登る背徳感が勝った。
私は今ここにいる。
物理的には一人ではない。布団の中の温もりと肌を舐める湿った寝息がそこにある。だが、私はこの罪悪に駆られる甘美な痛みに耐えきれずに布団から起き出して、一人煙草に火を点けた。
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ここから始まる彼女の自殺劇を思うと、蛍が一日で書き上げてくれてよかった空太はと思える。
それほど冒頭から読者は入り込めた。
いや、これはただ単に己の深読みではあるが、ここで出てくる紫煙の、煙草の銘柄はセブンスターでなくハイライトだった。
蛍はこれに果たして何を思い、どういった心境で、モードで書いたのだろうかと空太には心穏やかにならない作品だった。
扉絵の穏やかさやモデルは、正直なところ、空太には蛍に対しての当て付けと言うか、心境を試した。
当て付けもあったが、冷静に見ればこの作品、恐らく掴む雰囲気は穏やかなのだろう。
多分、こんなことで動揺をした空太を見て担当は、発売前に打ち合わせをしてこいという命を下したのだ。
あの出版社はわりと寛容である。売れない空太も蛍も、飼い殺しにはしない。クリエイターとして扱ってくれる。
確かに表向きはお互いに、営業であり、棚卸し先の本屋というか、繋がりのある小さな本屋だ。しかし、本業としてちゃんと、作家、画家としてやらせてくれる。ここだけは大いに感謝すべき点であると空太は考える。
しかし、蛍の心情は空太にはわからない。出版においては週刊誌を経ち切るくらいの思いきりがあるし、蛍はもしや、それなりに辟易しているのかもしれない。
空太はそこの蛍の心境が聞きたいような、聞いてはいけないような気がしてしまうのだ。
「今日はさ、打ち合わせだとよ」
「なんの?」
「短編連作の。行く行くは一冊の単行本になるわけだし、あとは次回の短編の扉絵。その心境というかプロットというか、あればまとめてこいとさ」
「なるほどね。前日営業はいいわけ?」
「他の人が走ってる。てか、わりと走らなくても今回は、その他のわりとビックな作家も一人入れたようだから、大体は置かれるよ。現に発注数間に合うか微妙だし」
「いつの間にそんな売れる雑誌になったの、これ」
「ただなぁ、正直…。
呼び込んだ作家が思いのほか煩くてな。多分次はないな。高々インタビューで調子に乗っちゃってさ」
苦い顔で空太が言うと蛍は、ふと、手元の雑誌に視線を落とした。「あぁ、この人か」と、蛍もその作家の名前を見て皮肉なような表情を浮かべる。
「よくわかんない賞とも言えないやつ取って舞い上がってるけど…まぁ売れてるんだから良いんじゃない?でも最近見なくなってきたよね」
蛍としてはまぁ、この作家の気持ちはわからなくもない。恐らくは最近、仕事が微妙になってきたのだろう。
漸く、こんな小さな雑誌でインタビューが取れたなら、まぁ少しくらい我が儘は言いそうだ、一度下手に有名になってしまえば。
ぺらぺらとページを捲るも、まぁ多分気が合いそうにないなぁ、とぼんやり思うような雰囲気の奴だと蛍は感じた。
だが、この作家は賞は取れずともマイナーコアなだけはある。
つまりはごく一部ファン層に熱狂的、宗教じみた人気があるということだ。
それだけあって、質問にも最早、自己のキャラクターを作ってる感満載、なんか酔しれてる、自分の文学以外は多分信じないような、そんな奴なんだろうというのは嫌でも読み取れる。
実際は会ったことも話したこともないが多分自分とは気が合わないだろう。
こんな奴が有名になるくらいなら、と思ってしまう自分の醜い嫉妬に蛍は苛立つ。
ちなみに一応、蛍はその作家の小説は一冊だけ読んだ。
大体作家は三冊くらい読んでからだろうと蛍は思っている。まぁ同じ時期だし有名だし嫌でも比較されるので読んでやったが、残念ながら一冊で蛍の我慢は限界だった。
というか本当は3ページ立ち読みでやめようかと思ったが買ってしまった始末、仕方なく最後まで読んだのだ。980円税込1030円を自分の本棚の肥やしに突っ込んでしまった。恐らくはセブンスターを2箱につり銭のほうが大分マシだった、と言うような、まぁクソ文学だったと言うのが蛍の感想だ。
大体こいつはミステリーをわかっていない。最近人気急上昇のライトノベルと、なんか勘違いしている。しかもそれにもなりきれていないあれはなんだろう、分野にしたらファンタジーミステリー?とにかく世界観、それぞまさしく“雰囲気小説”で飯を食っている感覚。
残念ながら蛍には、上柴楓にはあの感性を認めるほどの度量がなかった。
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