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原稿を手にして自分の書いた文字の羅列を眺めた。
どうにもこうにも、原稿用紙と細い髪の毛のような曲線。文字としては読み取れるが、頭に意味として入っていかないこんな事情。浮かぶ情景は全く違う。この作文用紙に書いた上柴楓の世界ではない異世界があって。
煙草に火をつけようとして蛍は引き出しを開けた。残りわずかなセブンスター。ソフトパックを覗く蛍の背に、「俺の吸うかい?」と背後から声が掛かる。
「…うん、じゃぁ頂戴」
たまにはそんなのもいい。
空太に投げて寄越される。放物線を書く青いパッケージをキャッチしてそこから一本を取り出した。それだけで、芳香剤のような、しかしもっと、麻薬に近いような妙な臭いを放つそれは深夜の微睡みには丁度よかった。
火をつけて肺に取り込むそれは、イメージに反してヘビーだった。突き刺さるような妙な濃さ。セブンスターとはまた違う、マイルドだが、どうにもこうにも肺にも喉にも刺さるような鋭さがある。
「なかなか…キツいね」
「眠気は醒めるだろ」
「まぁそうだね」
これも配慮か。それは考えすぎなのか。
「蛍」
「何?」
「吸い終わったら散歩にでも付き合ってくれないか」
「…いいけど」
「どうにも、今日は寝れない」
あんな、苦しそうに突っ伏す友人を見ては、寝るに寝れるわけがない。
それほど蛍が執筆に息詰まっているようには、空太には思えない。
ただ単にもしかすると、こうして環境を、ある意味自分が変えたこと、こういった微細な変化にも、彼は敏感なのかもしれない。
いや。
多分俺だからだと思うが。
少々露骨過ぎたのは最早、互いにわかっていることだ。それを起こし現状がある張本人の空太は今、何も言わずにこうしていることは矛盾であると重々承知済みだが、言えない狡さも自分の中には犇《ひし》めいている。
今ここで言ったところで彼はそれを求めてはいない。それは一歩間違えば彼の、蛍の傷口を引き裂いて|腸《はらわた》の如く闇をぶちまける要因になってしまうという恐怖も手伝っているからだ。
あの日あの時あの場所から動けないのは多分、蛍も一緒だろう。そう思えばそれはそれである意味、空太は満足もするのだ。
これは醜い感情。友情と懐古と温情と醜態、執着をすべて織り混ぜて泥濘している。わかっている。自分がすべきことは、多分これではない。これだったとしても感情は間違っている。
感情が間違っているというなら、果たして何故今、蛍とこうして一緒にいるのだろうか。シンプルな言葉が、見つからない。
「空太」
「ん?」
「寒いかなぁ、」
「あぁ」
そうだ。
「寒いだろうね」
蛍は何かを考え、そして煙草を片手に立ち上がり、いつも着物を入れている押し入れの引き出しを開けた。そして羽織を取り出す。
確かに寝巻きではどう頑張っても寒いだろう。いくら厚手とはいえ。昔の人は一体どうやって寒さを堪え忍んでいたのか。
流石に空太はそうやって、蛍のこのスタイルに疑問を抱き洋服を勧めてみたりするのだが、妥協した結果蛍はヒートテックで落ち着いた。しかもハイネック。これはなかなか、普段の営業テクニックが生きたと空太は自負している。そもそも何故着物なのかと、蛍にふと聞いてみたことがある。
「いや、作家とか陶芸家って厳粛なイメージだから」
という返答。まず何故作家と陶芸家が一緒になってしまったのか、よくわからない。彼はまぁ確かに、形から入ろうとするタイプかもしれないが、その感性、空太には正直よくわからない。
まぁそれはきっと面影も関係はあると思う。あとは、要因の一つとして挙げるなら、ここには腐るほど着物なんてものは置いてあった。だからかもしれないけれど。
蛍が煙草を揉み消し、空太と目が合った。
そういえば俺も煙草が吸いたい。
「タイミング悪くて申し訳ないんだけど、俺も煙草吸っていい?」
「言うと思った」
そう言いながら羽織を着て壁に掛かっていたムササビコートを手に取ったあたり、あぁダメなのねと空太は納得して起き上がる。
しかし蛍は自分のコートと一緒に空太の黒いステンカラーコートを渡し、ついでにポケットからハイライトとライターを出して渡してくれた。
「おぉさんきゅー」
「ねぇちょっと思ったんだけどさ」
取り敢えずコートを着ている間は煙草を持っていた。着終わったタイミングで試しに蛍は空太へ疑問をぶつけることにした。
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