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 昼頃に目が醒めて空太は自分の過ちを悔いた。

 文机の前に、ぐったりと、胸辺りを利き手で掻きむしるように強く掴んで仰向けに倒れる幼馴染みを発見した。そして近くに、薬の瓶が転がっている。

 すぐさま飛び起きて「蛍、蛍!」と、揺すってみるも、苦しそうに息をするのみで意識がない。これはマズいと空太はすぐさま救急車を呼んだ。

 到着までの間半身を起こし、ひたすらに蛍を呼び続ければ、5分程度で目は開いた。しかし、「腕を離してください」だの、「首は…、」だの、蛍はうわ言をひたすらに呟いている。そして、「裕次郎先生ぇ、どうか、やめてください」

 その蛍のうわ言で空太の、心の芯が冴えた。

 殺してやる。
 そう思ってはっとした。
 そうか自分はあの男を。

 しかし迷いがない自分に困惑もした。
 こんなに醜くもはっきりした凶器を抱く自分に、実は随分昔から、気付いていたような気がして戸惑った。

 恐らく自分は次にあの男に逢ったら多分、確実な方法に出てしまうかもしれないが、もう一方で思うのは、
 てめぇのようなやつは苦しんで地獄のように|半身不随《はんしんふずい》にでもなんでもいい、とにかくありとあらゆる苦しみ方をして生き永らえて苦しんで死んで逝け。
 とも思う。

 明らかなる憎悪だ。憎悪なんかよりも醜態にまみれた感情だ。これほどの憎しみを抱く相手は今…。
 しかし今はそれどころではない。

「蛍、しっかりしろよ、蛍!」
「…そら…た?」

 漸く意識がはっきりしてきた。

「そうだよ、空太だよ、蛍、ここにいるよ!」
「空太…、」

 震える手が頬に伸ばされ。

「ないてる…」

 弱々しく首筋を通り落ちる前に蛍の手を握った。

「待ってろ、救急車呼んだから。なんで薬飲んじゃったの!?」
「…なんで…。
 なんで助けたの」
「え…、」

 なんで。

 途端に蛍は、子供のように表情を崩して泣き始めた。
 答えられず、空太はただただ蛍のその涙を拭ってやることしか出来なくて。

 そのうち救急車の音が近付いた。腑抜けたようになった蛍を背負い、空太は救急車に蛍を乗せ、病院まで同行した。

 救急車の中で蛍は漸く落ち着きを見せると途端に胃液やら酒やらを吐きまくった。病院につくまでずっとその調子で、空太はその介抱に負われた。
 蛍が病院に搬送され点滴を打たれている間、空太は医者に任せ、一度さつきに連絡をした。

「もしもし」
『もしもし、空太?』
「うん」
『どした?』
「悪い、実は蛍が運ばれちゃってね…もしよかったら来れないかなぁ」
『あぁ、わかった。どこ?意識は?』
「遠くないよ。|晴山《はるやま》病院。意識はある」
『わかったぁ』

 手慣れたものである。まぁ、ここ最近はなかったが蛍のそれは、いまので3回目だ。

 病室に戻ると蛍は、先程とはうって代わり、心地良さそうに寝ていた。髭面で難いの良い担当医が、蛍の胸に聴診器を当てながら、指につけた血圧計を見ていた。

「粟屋《あわや》さん、でしたっけ」
「はい」
「涛川さんとは…」
「友人と言うか同業者です。たまたま仕事の打ち合わせで、昨晩は彼の家に」
「そうですかぁ、」

 なんだか、場にそぐわない医者だなぁ。
 なんと言うか、ぽい。

「まぁ、薬の過剰摂取とぉ、飲み合わせですねぇ。あとアルコール中毒もぉ、ありそう」

 こいつふざけているのだろうか。

「あぁ、はい」
「いままあ、お薬抜いてますんで、点滴で」
「はい」
「というか…」

 くるか。

「何度か運ばれてますよねぇ?涛川さん。いい加減入院されてはいかがでしょうかぁ?」
「…どうも」

 そんなことをすれば。
 彼の精神は、性格は、そんな物で計り知れるほど簡単などではない。

「先生は、人や、自分、とにかく何かに対し、埋もれるような憎悪って、感じたことありますか?」
「は?」
「多分ないでしょうね」

 こんな安定した足場のある生活をしているような人種には、多分。
 俺ですらも、蛍の気持ちはわかってやれない。

 人はあんたらが言うほど簡単に殺戮をやめることなんて出来ないんだよ、少なくても脳内で俺は何度あの男を殺したと思っている。蛍は何度自分を殺したと思っている。

 そんなの、話を聞いて薬を処方して寝てるだけで治せるのなら、世の中殺人は誰も犯さない、犯罪は起こらない、電車は2時間近くも遅延しない。
 どうしようもない激情をそんなもので無理に片付けようという妙な提案を、お宅ら学だけで生きた人間が見せびらかすからこうなったんだと、普段の蛍のような偏屈な考えが空太の頭を過る。

 案外殺人の心理も自殺の心理も、似ているのかもしれない。

 だからといって出来ることが空太にあるわけではない。いっそ、ない。自分はそんなにも遠い存在と化してしまったのかと、哀愁を通り越して虚空な思考になっていた。

 良い気になっていたかもしれない。自意識過剰過ぎて、見失っていた。

 例えば寝れないなら散歩をすればいいと。酒なら付き合えば良いと。執筆ならインスピレーションをと、そう、思っていたのに。

「なんで助けたの」

 答えなんて単純なのに。

 そうかこれは、やはり利己的だったのかと、その思いの方が空太の中で勝ってしまった。自分のためだったのか、だとしたら俺は本当にただ、助けた気にしかなっていなかった。

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