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「だかぁ、おらぁ言ったたっんよ、『麻布でも被っときゃ?』ってさぁぁ」
スミノフのよく分からない紫色の瓶を持ちながら、蓮はそう言った。
現在蛍宅。病院を勝手に退院、そんな最中、買い出しに行っていた空太と蓮の両名は確かに蛍宅へそのまま帰って来た。
酒だけを買って。
後は庭に菜っていた野菜と、蓮の実家から定期的に送られてくる何かしらの食材(今回はうどんだった)と、さつきの実家から定期的に送られてくる肉類(さつきの実家は田舎の農家である。その名残でさつきも自家栽培は得意)で、結果つまみとも夕飯とも取れる「鍋」というメニューになった。
空太は夕飯準備中、連絡を入れてしまった出版社、それから蛍が搬送され勝手に退院してきたあの病院の攻撃的な電話の対応に追われていた。最早蛍が病院や出版社、全てに於いて今日は対応を見送った、と言うより見捨てたからだった。
対応が終息しても蛍と空太は特にいつも通り。変わったこともなく、むしろなんだかぎこちないままの鍋。テンションは微妙。
盛り上げようとしてくれた結果なのだろうか、蓮はわりと初期で面倒な奴へ成り下がったのだった。
「蓮にしちゃセンスあるな」
「だろ?俺もそぉおもーよ」
「自分で言うか?」
「大体よぉ、アパレルにいてピーコートとダッフルコートの違いわかれよクソが、女だろぉがと、言ってやりたかったね!」
「そこ言わないんかい!いや私わからんわ」
「ごめん俺からの質問です」
ハイ待ってましたと言わんばかりの蓮の蛍への食いつきぶり。半ばまわりは騒然。なんせこの二人のコントラストは。
「ピーって言うのは所謂禁止用語?ダッフルはなぁに?」
「はぁん、蛍ちゃんホントぉにかぁいい。
ピーコートはイギリス海軍が着てたやつ、腰丈の。語源ははっきりしてないけどぉ、多分“錨《いかり》の爪”。ほら、そんなようなんついてるっしょ?」
「わかんない」
「ダッフルは元々は漁師の防寒服。でも後にイギリス海軍も着てる」
「強いねイギリス海軍」
「そうだねぇ」
異様である。というか、異質である。
「ねぇじゃぁさ、空太のなんだっけなんとかコート」
「ステンカラー?」
「うわっ、アパレルだねぇ」
「蓮、いい加減うざくなってきてるよ」
「ステンレスコートはなんなの?フッ素加工なの?」
「あれはねぇ、」
最早ワールドは広がっていく。それを見て空太とさつきは溜め息を吐いた。
アパレルクソ野郎と売れない偏屈作家。この構図はなかなかレアである。感性という問題ではない。ここはカオス、混沌だ。
しかし二人は昔からそう。会話は二人で噛み合わないが、何故か成立してしまう。
「職種って凄いよね」
「まぁ…そうだね」
議論は果てがない。
そのうち時が経ったらどちらかが疲れる。それまでは見守ろう。そんな空気の結託が、空太とさつきに出来た。
しかしそれから話は激化。最終段階は「ハチミツ好きな熊の有名キャラクター」についてまで発展。両者噛み合わず、
「彼は最早名は体を表している」
「そもそも本名は違う」
「というか変態分類だよ、アパレルセンス的に犯罪者だ」
となったあたりで「いやいや」と空太が幼馴染たちにストップを掛けたが、遅かった。
「ちょっと黙ってて」
「てゆうか君ステンカラーってセンスどうした」
総攻撃をくらい撃沈。最後の砦であるさつき、どう出るかと思いきや。
「プーもだけどウサギちゃん確かさ、本名ナインチェとか言うの衝撃だったんですけど!あと口!あのバッテンは鼻と口だったんだって知ってた!?ねぇねぇ!?」
さつき、カオス参戦。
二人とも快く「マジ!?」だの「父と母はじゃぁ口と鼻どこで間違えてしまったの」と受け入れ体制。
ここまでくればもう仕方ない。
スケッチ片手にスラスラスラッと件の熊と兎を並べて描き、「こいつらか!」と空太も参戦するしかなくなった。
鍋がなくなる頃には皆一様に疲れきり、喋るのをやめ、ひたすらにうどんを眺めていた。
要約すれば歳甲斐もなく、はしゃいでしまったのである。まさしく「鍋パ」と言うやつであった。
「なんかさ」
ふと言った蛍に皆、殺人的な眼差し。しかし等の本人はそれを感じつつもあまりにもシュールな情景に思わず笑ってしまった。
残った三人はそれを見て、なんだか胸を撫で下ろすような思い。
そう言えば本来の目的はそうだ。蛍の、こんな姿を取り戻そうと思ったのだった。
「冬だねぇ」
漸く。
今日この本音を引き出すまでにこれほど掛かった。なんだかんだでそれは、幼馴染みと言えど上手くはないのだと、それぞれが痛感した。
それは当の蛍もそうだった。
やっと友人たちに心から発信出来た話題がぎこちなくも、皆で鍋をつついて「冬だねぇ」だったのだから。
「そうだな」
「でもおこたに鍋はいいもんだねぇ。蓮、家もおこたにしよう?」
「いいねぇ、でも家はだめだねぇ」
漸く空太はいつも通り、自然と蛍の髪を触った。なんとなくこれも癖。一度触ったらそうか触れるのかと、アルコールも手伝い、最早通り越して抱きつく勢いで蛍に凭れ掛かった。空太が酒でこうなるのは珍しい。
「えちょっと」
「はーなんか力抜けたわ。珍しく文句も言わないし、てか言われる筋合いもないしいいだろ。疲れた」
そう言われると少しイラッとするのも天の邪鬼。蛍は空太が片手に持っていた陶器を取りあげ、一気に煽る。
「あんたの方が力あるんだからちょっと重い。あと酒臭い。何杯飲んだよ」
「多分焼酎5とスミノフ」
「俺のスミノフいつ飲んだの」
「さっき」
人が申し訳程度に酒を制御したら調子に乗ったらしい。そう思ったら蛍は少し腹が立った。しかしまぁ、「あれ?煙草どこやった俺」と、これはこれで面倒だ。
「俺の吸うか」
「出たアイコス。怖いから嫌だ」
「なんだよ。アパレル人気だからな」
「てか普通に煙草買えや、それ臭いから。あと消費率!」
「え?煙出てないじゃんか」
「体臭変わったよ蓮。なんかシャブ中っぽいねん!」
「お前わりと酔ってんだろ。ふざけんなどこがだよ!」
「全体的にだよ、てかんなんに金掛けんなうぜぇな!」
それから夫婦喧嘩に発展。いつも通り二人でなんとか止め終えた頃にはうどんは忘れ去られていた。
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