11


「でもそれってさぁ…」
「うん」
「そう言う好きなの?」
「うん。俺だって週一でさつきを抱くけど多分それ以上に、こう、頭の中でね…。
 あ、着物ってねぇ、案外」
「わかった、蓮、ここでタイムを使う」

 そろそろ本格的に蓮のおふざけが過ぎてきた。しかし空太にはわかる。こんな会話、高校時代にもしたことくらいはある。

「で、空太はどうする」
「は?」
「いい?そんなんでも、蛍をわかってやれるの、君しかいないだろって」
「…ん?」
「だから、つまり。ああもう、焦れったいなぁ。
 君はいいじゃないか。蛍の側にいれる。俺は違うんだ」
「ん?は?」

 それはつまり。

「つまり俺は君ほどお人好しでも純粋でもけしてないんだよ」
「…どうして、蓮は、」
「難しいな。けど…そうだなぁ。
 一目惚れももちろんある。けど中身も好きだ。
 なぁ空太」
「はい…」
「俺は君だから言うんだ。俺は君ほど純粋でもないそれでも君と、さつきと、蛍を見てきてそれで君にこんな話をしている。これって意味わかってくれる?」
「…そんなの、」

 わかりたくもない。

「わかりたくもねぇよ蓮。俺は、結局、」

 でも別に未練があるわけではない。

「情けねぇんだよ、んなの初めからわかってる、それ、お前さぁ、」
「そのまま?」
「は?」
「それを言う相手、俺なのか。ただの愚痴ならもう止めようよ。大人の喧嘩は疾患になる。わかるよな何が言いたいか。俺わりと穏やかに対応してきたがそれなりに混乱も、そこからくる怒りとか、よく分からない有象無象にいま泥酔してこんな話を君にしたんだ。
 だが…別に空太に対してだけじゃない。君のいいところはなんだかんだでお人好し、これは皮肉じゃない」
「蓮…、」
「なんだよ」
「…わかった。止めよう。でも今日は素直には言えないが色々ありがとう」
「…ああ」

 戦っていた。
 誰しもが、自分なりに自由に。
 わかりきった人間の情緒が目の前を横切り、空気中に溶けたような沈黙。陶器を置く音と喉を流れるアルコール。これが単純な今の情緒と状況の原理、感情が泥酔し泥濘した末路だった。

 互いに語りすぎたのは、本音とほんのりとした主張と関係性の問題で、しかしそれは悪いものではない。面倒ではあるが正直、よかったとも空太は純粋に思った。

 あと少し。もう少し。

「蓮でよかったかも」
「何が」
「色々」

 お互いに煙草を吸う。それから笑い合って緊迫した空気は消えた。

「…起こすか」
「俺はこのままでも全然」
「蛍ー、起きろー。蓮が膝痛いってよ」

 空太は煙草片手に蛍を揺する。「んー…」と苦しそうに蛍は唸った。なかなか起きそうにない。
 「仕方ないなぁ」と、蓮が吸い殻を捨てて蛍の体を起こそうとした時だった。急に抱きつくように蓮に腕を伸ばした蛍に戸惑い、蓮の動きは停止。
 そして、耳元で蓮にしか聞き取れない程の声で「蓮、忘れてないよ」と言われて。

 蓮は一瞬反応に遅れたが、はっと気付いて蛍の横顔を見ると、目は閉じられていた。

「蛍、」

 凭れ掛かるような重さ。薄い吐息。脳まで浸透した蛍の一言に蓮は動けず、支えきれないと判断して一緒に後ろに倒れた。

「おい蓮…」

 眼鏡がズレる。視界がぼやける。支えるように蛍の腰元に添えていた手に力が入る。

「今の音は…なにぃ?」

 どうやらさつきも起きたらしいが。眼鏡がズレた機会に蓮は突然泣き出した。「ごめん…、」と言いながら、そのうち眼鏡を外して。

 さつきにも空太にも何事かはわからない。然り気無く蛍が蓮の肩を優しく握ったことにも気付かないでいた。

「どうしたの蓮」
「蛍が急に押し倒してまた寝た…」
「なにそれ」

 酒の微睡みは恐ろしい。
 いっそ明日には全てなかったことにしたい、蓮はそう呆然と思った。

 美術室の、はためくカーテンが、
 驚愕を物ともしなかった蛍と床の木目と濁りのなく薄茶色の瞳と床を滑った彫刻刀のシルバー。
 薄い唇が自分に告げたスローモーションのような落ち着いた低い、けれど震えたような蛍の一言は、「何がしたいの」だった。

 その瞬間の綺麗な涙の浮いた瞳を、繋がれた低体温の右手を、蓮は忘れることが出来ない。

 しかし、あのときの背徳感は蓮にとって甘美な罪悪へとなった。傷付いた手首の生々しい朱も自分の欲望も全て蠢いたあの二人だけの空間。あまりの情景に息を呑んで穢すことすら出来なかった。しかし、蛍を傷付けたのは事実だった。

 軽くなった体に呼吸を覚えれば、空太が蛍を抱き起こしていた。

 そうなんだ。俺にはそれは出来ないんだと思わず漏れ出たしゃくりあげる泣き声に薄い目蓋が開く。

「起きたか」
「…どうしたの、蓮」

 彼はぼんやりと何事もなかったように言った。|荼毘《だび》に伏された事実に、蓮は起き上がり、再び抱き締め、「ごめんっ、蛍」と謝罪を伸べれば、優しく髪を撫でる蛍の指が心地よかった。

「怒ってないからね」
「え?」
「蓮、今日はありがとう。
 さつきもごめんね」
「まぁ、いいよ…」

 それからあれよと言う間に蛍は空太に立たされて。
 どうやら案外蛍は酔っていないらしいなと皆解釈をした。取り敢えずは店の前まで蓮とさつきを見送り、家に戻った。

 全てを抱えているのはどうやら蛍一人らしい。蓮が言うようにこれは声を掛けなければ、いい加減整理はつかない。なんせ、何かしらある蓮にすら言われてしまったのだから。誰が一番逃げてきているのかは明白になった月の下。

- 32 -

*前次#


ページ: