12
さつきと蓮の背中を見ている自分の違和感が虚無に変わる前に、先にさっさと家に戻ってしまおうと蛍は踵を返した。しかし、友人はそれを許してはくれないようだ。手を引かれそれを制する力に、空太の意思を感じた。
「蛍」
はっきりと発音したそれに振り向けば、空太は案外自分に優しい、しかし切なさも感じ取れるような表情で自分を見つめていた。
「話せたらでいい、俺はいつでも待ってるから」
「…は?」
「なぜ助けたか、お前は俺にそう言ったな。
簡単だそんなの。俺だってあの日お前を見つけたあの瞬間のあの景色は未だに…疾患のようにたまに浮遊する。忘れられないさ」
「空太、それは、」
「俺わりとあれ、トラウマなんだよ」
そう言ってぎこちなく笑う空太を見て息が詰まるような思いがした。足元が覚束無い、崩れ落ちそうになって空太はそれを許してくれた。地面にへたりこんだ蛍の前にしゃがみ、緩く前髪に手を伸ばして撫で上げる。泣いてしまった蛍をそこで漸く抱き締めるように空太は引き寄せた。
「なんも俺は結局してやれてないしわかってやれてないな」
「空太ごめん、」
「別にいいよ。俺はどうやらお人好しらしい。嫌じゃないから。だから何度でもきっとこうして蛍を探しに行っちまうだろう、あの日みたいに。でもそれは悪いがエゴだ。俺も抜けられないでいる」
その|泥濘《ぬかるみ》から。
あの日の、林の中で眠っていた蛍と蛍の母。一酸化炭素の車内の、あの生と死が微睡んだ狭い空間をどうして忘れることが出来る。
あの時もしももう少し早ければ、とか、あの時もう少し遅ければもしかするといま蛍がいないのかもしれないとか、考えるだけでそれが気持ちの疾患だ。多分この空太の傷は蛍にはわからないし、当事者である蛍のあの死に損なった気持ちも空太にはわからない。
それは共有しようがないけど。
現状は二人、共にいる。
「さぁ、寒いだろ。入ろう。風邪を引く」
「…うん」
空太は手を貸して蛍を立たせ、肩を抱くようにして歩いた。家は目の前。それも奇妙だが、安心はする。
「そういえば蛍」
「…ん?」
「蓮と俺の話、どこから聞いてた?」
バレている。これもまた鋭い質問だ。今回の騒動はどうやらわりと空太にも想うところがあったらしい。
「さぁ」
はぐらかすのが一番いい。これは蓮と自分のためにも。
結果的に自分は昔、蓮にも助けられたことがある。けれどどうやらそれはそれで彼にはまた違う印象が強烈に残ったらしい。
「蓮にも昔一度だけ自殺を止められたことがある」
「あっ、そうなの?」
「結果的に手首がちょっと切れて保健室には行ったけど」
空太にはその情景が全く浮かばなかった。
安易な子供の発想は計り知れない。
彫刻刀片手に窓の外を眺めていた。窓の横には水道があって水が出しっぱの状態だった。美術室は5階。
その頃の蛍は手首を切ったくらいでは早々死ねないと知っていたからだろうか。そりゃぁ見た目は異様だ。部活がない日を見計らったのに蓮は案外熱心な部員だった。
しかし直前で別にやる気もなくなってしまった矢先の事故。
あの時の蓮の好奇心に満ち溢れた目は純粋に綺麗だった。だけどこちらは恐怖と虚無感しかない。「何がしたいの」その一言での動揺が、そして一言「なんでこんなこと」この遠い一言が今の関係に繋がっているのだろう。
きっとあの一言は蛍に対して、あとは蓮自身に対して漏れ出た純粋さだと感じた。
蓮は自分を純粋ではないと言うが、蛍から見れば彼は彼なりにきちんと、純粋だと感じる。血液の通った純粋さだ。
「蓮はあれはあれでいいやつだと思わない?」
「そうだね。てか、なんで泣かせたの?」
「情緒不安定なんじゃない?」
「お前じゃないんだから」
「それ言う?
まぁ、純粋だからだよきっと」
空太にはより迷宮入りしてしまった。
あとは知らなくていい事実。彼の苦しみと蛍の許しはまた違うものですれ違いは生じているが、彼とはいい友人だと言える。
あの時の欲望に満ちたような首筋への優しい指先。ボタンを何個か外された。ただそれだけだったけれどけして良い感情は生まれなかった。それだけは忘れない。彼はきっと助けたとか、そういうわけではなかった。
そういえば昨日からかぐやを見かけないなとふと蛍は思った。
「そういえば」
「ん?」
「かぐや、どうしただろう」
「いねぇな。まぁ、ふらっと来るよ」
確かにそうなんだけど。
居間に戻って友人たちと過ごした痕跡を見つけ、儚くも嬉しいような、寂しいような気持ちが一瞬過った。
色々抱えた関係だけど。だから長々やってこれた。これからどれ程続くものかと考えて、また少し寂しくなるような気がしてしまった。
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