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 再び目線を預ければ空太はにっこり笑ってピースサイン。もれなく蛍は無視をした。
 しかし翠も嬉しそうに文蝶の今月号の表紙を見せてくる。右下に小さく謙虚にそらたのサインが書かれているのが返って腹立たしい。

「冷たいなぁ…」
「翠くん、こいつのサイン…うれしい?押し売りされてない?」
「押し売りはされてないですけど。これも!」

 と言って持参していたスクールバックから取り出した本はなんと“ありし日”。
 ほんわかした、白っぽい表紙に花瓶が描かれたその単行本の右下に“そらた”と、いかにもサインっぽいデザインで書かれているのを見て蛍は、言葉を色々とを呑み込んだ。

「…あ?」

 そして漸く口から漏れ出た一言は大変ガラが悪いもので。まさかと思うがこれも。

「これも探してたんですけど…800円でいいって」
「ブックオフかよおい!」

 思わず番台から腕を伸ばし蛍は空太のシャツの胸ぐらを掴んだ。はっと店の棚を見れば“ありし日”がない。

「おいこらぁ!」

 売れなかったのに!ただでさえクソみたいな夕飯の足しにもならん、500冊売れたかどうかすら危うい本を、ていうかその売れたやつすら図書館行きなんじゃねぇかというレベルのデビュー作を貴様何してくれとんねん!販売価格1200円税抜きを、お前800円って、しかも店の在庫をどないしてくれてんねん!

「痛い痛い!痛いよ蛍ちゃん!」
「お前誰の権限あって店のもん安売りしてんの!?ブックオフじゃねぇよ!」
「口が極端に悪い!ブックオフは300痛っ、いたたたたたぁぁ!」
「お前この野郎…っ」

 捻りあげて放った。
 色々脱力した。というか疲れた。

「マジうぜぇ」
「うわぁ、蛍ちゃん、マジ不機嫌」

 当たり前である。
 腐っても、売れなくても処女作だ。それをこの男ブックオフ並みの値段で新品の癖に売りやがって。

 だが、まぁ。

 翠が凄く不安そうに二人を眺めている。というかこの子は一体全体なんだってこんな売れない胡散臭い画家風情からクソつまらんマイナー小説をホイホイ買った。お人好しかよ。

「なんかすみません…。
 ちゃんと、ちゃんと蛍さんに400円払いますので」
「いや、いい」

 別にそういうことじゃなく。

「…正直舞い上がりました。僕としてはこれ、欲しくて探してて。そしたら空太さんが『てか在庫あるからいいんじゃね?本人だって売れないってぼやいてたし』とか言ってたんで、つい」
「おい」
「はい、」
「お前なぁ…」
「はい、すみません先生」
「まぁ確かに売れてないけど一応処女作なんですけど」
「は?」

 え、何故そこで空太から「は?」を頂いたのか。

「え、お前の処女作ってさ、だって小学校の頃のなんだっけ、先生が事件解決する」
「やめて殴るよマジで」

 覚えていないけど。
 なんでそれを今言うのこいつは。

「お前…?」

 ここに来て二人はとある過ちに気付いてしまった。

「あ」
「あっ」
「お前って、どーゆー?」

 これは大変だ。

「いやぁ」
「あのぅ」
「え?そのまさかですか?」

 翠の中では色々が組上がる。

 蛍はいつでも番台で何かを書いている。本や作家や出版を知っている。

 好きな作家の表紙や扉絵担当だと言う男に、作風通りの中性的な本屋の店主。そして彼はさっき、出版社から帰宅した。

 実は蛍が帰宅する前、空太は言った。好きな作家の話になり上柴楓の話になり、空太が実は扉絵や表紙を担当していると。そして二人の会話はどう解釈しても…。

「…上柴…楓…?」
「まぁ…」
「え、」

 なんと言うことだ。

「マジすかぁ!」

 少年のキラキラしたような興奮に正直蛍はびびってしまった。

 なんなんだこの子は。

 少年は勢いよく立ち上がり、しかし感極まりすぎて一度立ち眩みを起こす勢いで|宙《ちゅう》か、蛍を眺めた。
 しかし正直頭はついていかない。そこに届く親しい位置に作家大先生が唖然と頬杖ついている。それがしかも綺麗。漫画か何かの事情だろうか。

 やはり現実は、近いようで雲のようだ、綿菓子みたいに。いつか彼がそんな文を書いていた。意味が漸く理解出来た。
 本物だとしたら意外と自分の近くにいた。それに遠退くような現象を見る。

 茫然と立ち尽くしてしまったかのような少年に蛍はどうすることも出来ない。しかしなんとなく少年の瞳には熱を感じている。

 そして事情を一番把握していた空太は腕組をして眺めるばかり。蛍を見やれば薄顔の向こう側の困惑、少年を見れば若さから透けた二種の熱情。

 この二人、言うなれば低気圧と高気圧だ。雨降っちゃう。次のネタに充分なるんじゃないかと空太は考える。ネタならいくらでもあるじゃないかと。

「まぁ、茶でも飲んでゆっくり話そう。もうないだろ、翠」
「え、あぁ、はいっはい、」
「入れてくるから」

 まずは落ち着くことが先決。カフェイン投与だと、一度空太は居間に引っ込んだ。

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