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「空太はテーマとかは?」
「ないね。俺はお前よかフワフワしてる。
 その点作家はいいよな、ジャンルが細分化されてるからな」
「画家にはないの?」
「いや…あるけど、後付けというか見た人が決めたりするよね。だって俺らはさ、あんたらと違って脳を奪うんじゃない、ダイレクトに視覚を刺激するからね。
 いや、こんなの描いてね、とかはありますけどさ、例えば恋愛物書いてね、ミステリー書いてね、とか具体例がない、まさしく雰囲気だから、もっと広大というかモヤっとしてる。
 例えばさ、クロード・モネの“印象派”って、言葉で聞くと、はぁ?じゃん」

 確かに。

「なに印象派って、表現主義って!新印象派?はぁ!?よくわかんねぇ!みたいなね。
 でも俺モネも好きだしワシリー・カンディンスキーも好きだしカミーユ・ピサロも好きだよ、よくわかんねぇけどね。そんでもって俺はどれかと言えばイラストレーターだけどね」
「あぁ…うん?」

 なんとなく空太の言いたいことはバシバシきている気がする。取り敢えず蛍はモネとワシリーとピサロ、印象派、新印象派、表現主義はメモをした。後で見比べてインスピレーションされよう。

「あれみたいな感じ?ミステリー小説かミステリ小説かみたいな」
「はぁ!?」

 一蹴されたようだ。

「ミステリー小説?」
「うん。推理かミステリーかミステリか」
「え、そのミステリーとミステリってなに」
「うーん、あんま定義ない」
「ありゃ、作家も案外モヤっとしてんな」
「と言うか大抵はミステリー小説らしいよ」
「はぁ!?」
「まぁほら、日本人が産み出した言葉だから仕方ないよ」
「あぁ…」

 そんな曖昧な表現でさっきの「はぁ!?」の勢いが軽減されてしまうあたりやはり空太は少し単純だなぁ、と蛍はぼんやりと思う。そしてこのやり取りは途方もなく自分達の日常だ。

 試しに、最早自分もインスピレーションされてみようかと、蛍は万年筆を取って夕飯が出来る間、スケッチブックに絵を描いてみた。ついで、ミステリーと推理とミステリもスケッチブックの端にメモをした。

 インスピレーション。その言葉を汲み取って、蛍はそのスケッチブックを何枚か捲ってみた。

 きっと空太は、新印象派、印象派、表現主義とか、どれかと言えば印象派というやつなのだろう。絵はあまり詳しくないが。なんとなくそんな気がした。

 少しだけ落書きのようなものを空太のスケッチブックに描いてみてやはり、これは自分に不向きだと蛍は感じた。

 第一万年筆とスケッチブックの紙質が合わないと屁理屈じみた結論付けた時、空太が向かい側に腰を落ち着けて上柴楓の書きかけの原稿に再び手を伸ばす。

 空太の黒目が細められ、視線が原稿の上を上下に動く様を見ると、居たたまれない。つまりは、上柴楓のなかでその原稿は居たたまれない出来なのだ。
 しかし相手も、スケッチを捲る自分に大してなんとなく忙しない視線だ。

 彼の中の日常的な非日常がそこに断片として現れる。確かに彼は今、目を游がせてしまうだけあって、その最新作の絵画と写真は普段の彼より少しだけ足りないのかもしれない。

 だけど、それでも蛍は、この情景が、この、縁側で月を眺めるような向日葵の花瓶がなんとも言えない胸の詰まりで、素直に良いと思える。手元の酒を、一口煽るくらいに。

 お互いがふと視線を合わせて間を取ったタイミングで、蛍は空太の感性の紙の束を、空太は蛍の世界観の用紙をそれぞれ手渡した。

「妥協してる」
「迷走してるな」

 互いに思うところがあったのが明白になった。だがそれが一発でわかるのが古い付き合いというものだ。

 ふと、蛍が返したスケッチに視線を落とした空太は、笑った。
 忘れていたが、自分が落書きしたページをそのままにしてしまった。
 やはり絵というのは得意な人が描いて漸く命があるのだ。蛍は最早開き直ってそう思うようにしている。でなければ、不公平だ。

「いいねぇ、俺には描けないなぁ、この味」

 からかわれているのだろう。いじけて蛍がそっぽ向くが、それに関係なく、楽しそうに空太は「良いインスピレーションだ」と言った。

「…空太はいいな、絵が上手いから」
「あ、いじけたな」

 すっと笑って空太がページを捲る。
 そんなもの、棄ててしまえばいいのに。

「捨てればいいのに」
「なんで」
「だって」
「嫌だよ。上柴楓の貴重な一枚だ」

 ただ空太は、蛍のことをこうして、貶したり罵ったりすることは絶対にしないのだ。
 それがたまに蛍には、居たたまれないくらいに居にくい。今こうして目の前で、ただの奇妙な落書きを慈悲のような、熱の籠った瞳で眺める様も、空太が果たして何を考えているか読み解くのがたまにある困難な瞬間なのだ。

「なぁ」

 不意に目があった。

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