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 彼は研修に明け暮れ、徐々にやつれ行く。あの日から、いわば西東さいとう嘉実よしみから4年が経った頃でした。

 ちなみに、この西東とは。

 母の、愛人らしい、ニュースやらで、聞いた名前が“斎藤”というありきたりな名前だったから、なのです。なんせ僕にはいまや、戸籍や身寄りなど、無いようなものなので。

 一之江陽介はどうやら、父を素直に受け継ぎ、脳神経外科医に成り上がりました。彼らしい、無色透明な自我のない空虚に思えてなりませんでした。

 僕は一緒にいながらにして、やはりこの男は、嫌いじゃないがどうにも好きに、なれずにいました。

 だけど僕はそれでも、君があの日、流してくれた、いや、流してくれたなどというのは自意識過剰ですが、その何気ない曲を、わりと気に入って聴いていたのです。


そこで名も知れず
伝えることもせず
立ってたんだ
歌ってたんだ


 I need to be myself、略してタイトル。この3ピース、僕はこれを聴いて君を思えば少し、闇を感じてしまう。

 希望なんて与えてくれない歌詞ばかり。けれどなによ、I.N.Mって。


君にいいたいことはあるか
そしてその根拠とはなんだ
涙ながしてりゃ悲しいか
心なんて一生不安さ


 一曲一曲は痛烈だった。洋楽しか聴かなかった僕にこのアーティストはとても刺激があって。

 なるほど、陽介、Sonic Disorder。君の寂漠は僕がわかるわけもないよね。でも僕だって、Panic disorder、経験したことはある。

 だから君とは、相容れない。だって君にはきっと、ないから。あって欲しくないのです。だから先生 薬をもっとくれよだなんて、言い出せない、君なんかに。

 そう考えて、ぼんやりと音楽聴いてライブDVDを見て。

 君はいつもより早く、白昼堂々と帰ってきやがって。

「あ、お帰り一陽す」

 何か異様で。
 何が異様か、まず彼は。

「あーよっちゃん起きてたかぁ、ただいまただいまー」

 にやにやしてふにゃふにゃしていて。
 ワンカップと、その他コンビニ袋を片手に。そこから見えるのはどう考えても大量の酒の缶で。四合瓶もありました。

 何より彼は他に何も持たず、白衣のままで、病院の入館証まで首からぶら下げたままの帰宅でした。

「…おかえり」

 これは恐らく異常事態だ。しかし。
 僕はまだ、また聞けなかったのです。

 取り敢えず疲れたようにだんっと僕の隣に座った彼は、「あ、観てんのこの前買ってきたやつ」と、酒を置いて、一本、なんだかわからんが目の前に置いてくれて本人は凭れてウォッカを直接飲んで眺める。

「ふぁ、弾けなくてにやけてんながっちゃん」
「でも4曲目にしてわりとラリってるよね」
「多分あれでしょ。不安薬を舞台袖で飲んだとしたらちょーど30分くらいで、いまちょー利いてんだろ」
「あー、ここの間奏前の変調好き、あ、ミスった、うわ、笑っちゃってる笑っちゃってる。この人なんでソロパート作るんだろ」
「愛嬌だよなぁ最早」
「歌詞もしょうもないよね。何目覚まし。まぁ僕も起きらんないけど。これはジャンキーの特徴だよね」
「あ、俺このベースアレンジ好き。何故がっちゃん裏声のよくわからんの出した、あでもいぇーい!いいね」
「君の目の付け所地味にコアだよね。音楽プロデューサーみたい」

 でも確かにベースいいんだよなぁ。だから先生薬をくれよで絶対耳に来る。

「え、がっちゃんなんて叫んでんの」
「わからん。あ、これ入り出しいいな、しかも気合いやべぇがっちゃん」


俺は期待はずれ まとはずれ…


「ふっ、」

 ふと、陽介は笑って、けど噎せて。

「大丈夫?陽介」

 特に心配したわけでもなく言ったんですが。

「ん?」

 けろっとしやがって言うわりに、ウォッカ置いてタバコに火をつける吐きダコの手が震えてまして。というか吐きダコ、少々皮が擦れてまして。

「陽介、君なんかあったんでしょ」

 暫し考え、画面を観てウォッカをまた飲む。明らか、嚥下出来なかったようで少し口に溜めてから漸く喉仏を通ったのも生々しく感じられ。


行く場所とこなんて 別にねぇ
今さらなんもする気ねぇ
生きてるなんて感じねえぜ しねえ


 歌詞が垂れ流される。
 君は、そうかもしれないね。

「水でも…」
「吐いてくる」

 そう言って陽介はウォッカを持ったまま立ち上がり、トイレまで行って。
 しばらくすれば壁なのか、なんなのかを殴る音まで聞こえて。

 やっぱりなんかあったらしい。これは異常事態発生だ。どうやらそうらしい。

 DVDはそのまま流していましたけれども。ただまぁ、介護しようかと思いましたが、いまの彼には下手すりゃあの瓶、投げられるかも。
 そう思って、やめておきました。

 しばらくは陽介が買ってきた酒を何本か飲んでライブを観ていましたけど、気付けばソファで寝てしまっていて。これは仕方ない生理現象。酒と薬は相性悪く、しかし陽介が僕にくれている薬は、まぁ、そんなときでも精々、死んだように3時間くらい眠れるだけ。

 それが優しさなのか残酷なのかで言ったら、酷くエゴであると、僕は思っています。

 起きた頃にはチャプター画面。残念だ。狂ったような躁病がっちゃんが観れなかったな。というか僕、わりとJ-Rock、好きだったんだなと最近思っていたのですが。

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