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 それから午後のバイトのシフト、13時半から19時半を「二時間くらい削って別の日に入れたいんすけど」が見事に却下されてしまった金曜日、気を付けて帰ってくるか吉田さんと泊まってこいとリュージは伊織にメールを打つ。

 くれぐれも、家で俺がいない隙に吉田さんを連れ込んでというパターンはやめてくれとも、書き添えて。

「…流石だなぁ竜二くん…」

 本日の広報部ではまず、朝に伊織とリュージを目撃した従業員から「あれが!?あれがストーカー!?」という意見や「あれが!?あれが現彼氏!?」という意見に割れた。

 帰りたい、早く定時にならないものかとぼんやり伊織が思った末のメールだった。

「ここまで先手打つの、ホントに根性が凄い…」
「先輩私はどうしたらいいのでしょう。帰っても良いですか」
「君と俺が泊まる選択肢は捨てといてよ君たちは、」
「それもそうですが部署が居にくくて」
「それは暫く我慢だよ。俺まぁ、半々くらいかなって思ってたらあの子本当にここへ来たんだねぇ…」
「いや、会社の前ですよ」
「わかるよそれくらい。彼は金髪がこの新橋オフィス街で超目立つというのを知らないんだね…」
「そうですね」
「…君ん家、一応桝くんは」
「知らないはずですよ」
「あーよかった」

 これは19時まで残業コースかなと吉田は思いつつ、いや、それって毎週と変わらないしと、複雑になる。

「まぁもう君が決められるよね、大人だし。俺は少しだけ仕事が残りそうだからやるけど」

 しかしこうも甘い自分にバカ野郎、遅延じゃんと思いつつ。

「それもいいですね。私も19時まで仕事残そう」

 毎週と変わることは、不思議にも殆どない。イケナイ残業もこれまで通りだ。

 結局終業になれば今週も疲れたな、と、伊織はありきたりなことを考える。

 何があっても、何もしなくても世界は一ミリも変わらないように見えるが、目に見えない変化がある。これでも、充分かもしれないなと思えてくる。

「…疲れたなぁ」
「…珍しいね伊織ちゃん」
「そうでしたっけ」
「あまり疲れたって、言わないよね」

 ベッドの上ですら、確かにあまり言ってないかもしれない。

「…そうかもしれませんね」
「まぁそんな事もあるか。ところでここの誤字なんだけど「性器になぞらった方針」っていうのどうにかしてよ、どう間違ったの。日本語変でしょ」
「あー、」

 パソコンに向かって二文字を消して打ち直せば「うん放心してる場合じゃないから。方針を正規になぞらい、とか充分あるでしょ抜けてる色々」と怒られてしまった。

「やっぱ残業やめてビール飲むか伊織ちゃん」
「そう言えば私、一本奢ってないですね」
「な。残業も集中力がないときは意味ないしね。帰るか。来週ね来週」

 結局定時に上がり、有楽町までビールを飲みに行くことになった。
 変わったことは一駅分か、と、やはりぼんやりと日常を掴む。

「あ、先輩。ライブは来週金曜日らしいです」
「そっか。丁度良いね」
「オープンが…あれ」

 ケータイを見ながらビールを飲む伊織に「どうしたの」と言えば、少しだけ楽しそうに「いえ、」と、更にケータイを眺め、「18時半から19時開始だそうです」と伊織は吉田に告げた。

「どこだっけ」
「下北沢ですね、今回」
「新宿乗り換えか」
「ですね」
「伊織ちゃんが好きなバンドに竜二くんがいたの?」
「いえ。全く知らないあまり面白くも好みでもないバンドにいました、竜二は」
「…あ、そうなのね…」
「正直竜二の演奏も覚えてないです。たまたま私が好きなバンドとブッキングしてたんですよね」
「本命じゃなかったんだ」
「はい。…そうですねそういえば」
「てことは竜二くんからなのかな?」
「そうで…いや、声を掛けたのは私かも。まさかこうなるとは思ってなかったけれど」
「あ、意外。そうなんだ。あーでも伊織ちゃん、たまに物凄くぐいぐいいっちゃうことあるよね」

 ふと言ってみた吉田だが、「あ、いや深い意味はない今のは」と、何故だかあたふたしたようだが伊織がぽかんとしていたので「あ〜……調子狂うね」と素直に言った。

「…今回、とかは…って、竜二くんだろうね」
「…よくわかりましたね」
「いやぁもう彼のあのズタボロ感を見たらなんか、説明つかないけど、君って正直疎いし」
「…なるほど。
 初めてのときも、リュージは凄くズタボロでしたよ。多分泣いてたと思うくらい」
「…え?なにそれ若干気になる」
「ライブハウスでテキーラ飲みながら。後で聞いたら脱退した直後だったみたいで」
「……伊織ちゃん、そーゆーのレーダーだけは確かに高い。無自覚かはわからないけど…」
「あの時は…自分でもわからないです。ただ彼、ずっと泣きそうだったのは覚えていますよ。バンドと一緒でこの人とは一回きりだしと思ったんですけど、抜けたくせにふと、そのバンドのチラシ、くれたんですよね」
「…なんだろう、不思議」
「その時に「あんまり好きなバンドじゃないです」って言ったら、だよなって…よくわからないけど意気投合しました」
「その時から曖昧がずるずる続いてたの?流石に住もうってときには」
「あまり深い意味もなかったんですよね。行き来が面倒てのはあったけど、私が職場を変えたタイミングとリュージの家賃更新が被って…でも、どうだったんでしょうね。一緒にいて楽しい、ていう安心感は勝っていたかもしれないです。
 桝くんのとき、私咄嗟に「大切な人がいる、わからないけど」って…言っていたし」
「なかなか焦れったい二人だね。蓋を開けたからには、ホントに早そうだ」

 「何がですか?」と言う伊織に、「いや、なんでもないよ、そろそろ丁度良いかな」と吉田は時計を見てケータイを見れば「ん?」と気付く。

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