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 初めて見たときは、私は彼のことが嫌いでした。
 いかにも『教師』といった感じで、スーツ着てびしっとしちゃってさ。

「おはようございます」

 と、笑い笑窪を刻んだ笑顔を見ても、何も引っかかるものなんてなかった。

 クラスの中でざわざわとし始め、美奈子が後ろから私をつっつき、「あの先生、かっこいいよね」と言われて初めて顔を意識したくらいだった。

「今日から2組の担任になりました、あいざわゆうです」

 先生はなぜか薄ピンクのチョークで藍沢悠と書いた。何だか細いような、流れる字を書く先生は、何となく雰囲気を感じ取ったようで、「もしかして、これピンク?」と、ちょっと首を傾げるように言った。

「実は、緑と赤が弱くて」

 最初は意味が分からなかったけど、クラスの中心的な女が、「せんせーかわいいね!」と言って皆が笑い出し、ようやく先生は緊張を説いたようだった。

 私は何で笑えるのかわからなかったし、ふざけているのかと思った。生徒に好かれようと必死なんだと、バカみたいに見えたの。

 それが悠に対する初めての印象だった。

 そうね、きっかけなんて思い返してみるといつだっただろう。まぁ、印象が変わったのは授業かな。悠は国語の先生だったの。夏目漱石の『こころ』をやった時に、皆は“先生”を酷い、サイテーだと罵った。だけども悠は静かに、

「僕はこれを読んだとき、こんなに悩むんだと思いましたよ。自業自得かというと、後手だった“K”の運がつきたのだなぁ、とね」

 と語ったのだ。それを聞いて、あぁ、なるほどなと共感した。私は本をあまり読まないから、正直話のニュアンスとか雰囲気とか掴めなかったのだけど。それからは何となく、悠のことを心に引っかけるようになった。

 決定的にそっちへぐらついたのは、それから間もなくだった。いつものように下校しようと駐輪場へ行くと、私の自転車がなくなっていた。朝登校してここへ自転車を止めたときに鍵は抜いたはずで、制服のポケットに入っている。

 慌てて職員室へ行こうと教室の前を通った時、悠がいた。よくみると水槽に餌か何かを投入している。水槽なんて今までなかったのに、どうしたんだろう。私と目が合うと悠は、ニコッと笑った。

「先生、」

 教室に入ると悠は見てくれと言うように水槽を指す。それどころではない私は、テキトーに相槌を打った。

「先生、私の自転車、なくなってるんです」
「朝、鍵はちゃんと掛けたの?」

 私はポケットの中から鍵を取り出し見せた。悠はニコッとして私の頭をぽんぽんとし、「困ったね」と言った。

 そりゃぁ、困るよ。

 しかしそう思ったとき、「送ってくよ。明日の朝も送ろうか?」と言った。

 まさかそう言われるとは思ってなかったから、言葉につまってしまった。そんな私を見て悠は、「じゃ、ちょっと職員室に行ってくるから。南門で待ってて」と言って教室を出て行ってしまった。

 教室に残された水槽には青い熱帯魚が悠々と泳いでいて綺麗だった。窓の外の赤い夕日と青い熱帯魚。何だかすごくアンバランスで不安定な様に感じた。

 それから私は南門で待つ。それほど時間はかからなかった。シルバーの車が私の前に来て、ガラス越しに悠が軽く手招きをした。車のドアをあけると、ふんわりと、なんだか少し甘い匂いがした。

「そうだ」

 私が助手席に座ると、悠は何か思いついたようにポケットから何かを取り出した。私の前に出した手のひらには、水槽にいた熱帯魚のペーパークラフトがそっと乗っていた。

「ルリスズメダイ。さっき君が来る前に作ったんだ」

 ちょっと戸惑った。

「あ…、ありがとう…ございます」

 小さな息を吹きかければ、どこかに飛んでいってしまいそうな、小さな熱帯魚。そういえば、何で教室にあったんだろう。

「あの水槽、どうしたんですか?」
「あぁ、飼ってきたんださっき。綺麗だったでしょ?」

 あれって学校の電気代とか、ものすごくかかるんじゃないだろうか。そう思ったけども「はい、とても」と答えた。

 私達は家に帰る道中、たくさんの話をした。悠には奥さんがいて、共に28歳なのだそうだ。大学の同級生らしい。大学を出る直前まで職が決まらず、結婚の話が進まなくなり取りあえず教師になったんだとか、休みの日はひたすら家で本を読んでるんだとか。

 家につくまでに少し寄り道もした。と言ってもコンビニでジュースを買ったくらいだけれども。

「ありがとうございました」

 家の前に着き車から降りて軽く会釈をしてから背を向けると、「清海《きよみ》ちゃん、」と呼ばれた。あまりの自然さに、何でちゃん付けなんだとか、そんな違和感もなしに振り返ると、悠はにっこりと笑った。

「また明日ね」

 なんだか特別なような、でも自然で穏やかな気持ちになった反面で、何だかジンと、胸の奥にむずがゆさを感じた。

 これが恋なんだと、私はしばらくの間気がつかなかった。

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