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雑踏。
と言うか、どよめきとか、無駄に垂れ流された関係のないアーティストの曲とか。
盛り上がる前の緩い、なんだろ、少し炭酸の抜けたジントニックのような、気怠い汗臭さ。
ふとスピーカーから流れる『Rate』に、「あ、これ聴いたことある。亀ちゃんのやつ」と|依田《よだ》が言った。
ぼんやりと、横に立つ長身猫背を眺めれば、笑顔で「ん?」と訪ねてくる。手にはジントニック。依田が漸く覚えた外国文化だ。
そして今日は。
依田は和装ではなく、ちゃっかりライブTシャツだ。『the glass arrive sonic』の、赤い方の凄いおしゃれな、CDジャケットでもない、ボーカル“のんちゃん”こと|曽根原《そねはら》|朔夫《のりお》がデザインしたらしいやつだ。
XLサイズ。ぴったり。猫背でわかんないけど180センチあるお前にぴったり。てかサイズ、よくあったよなぁ。
「それ着るなら間違いなくジーパンだな」
改革した。
あたしは以前、オールスタンディングに和服で行こうとしたこいつに四苦八苦した経験からまず、のんちゃんデザインのTシャツを買い与えるところから依田改革をスタートさせた。
ジーパンは大手の、リーズナブル人気メーカー『CU』で、伸び縮みするなんたらジーパンを買い与えた。
この日のために。
しかし、ヤツの不満は。
「ねぇ、黒ってどうなのよ亀ちゃん。
前から思ってたけど君のファッションセンス攻め込んでないかな?俺おっさんよ?|若草色《わかくさいろ》とかで」
「白と迷ったけど」
「…黒でいいです、すみませんでした」
なんだよ若草色のジーパンって。
多分それジーパンじゃねぇしダセぇよ。マジ黙れよって感じ。
いざ着せてみれば。
「うぉぉっ」
そう。
わりと顔が良いんですよ、依田。泣き黒子で鼻高くてしゅっとした輪郭で。
「パンクロッカーやん」
猫背がパンク感を呼ぶ。
なんだお前。
ムカつくなぁ、こんなとき。
しかし、「あぁ、そう?」と言って照れたように足元を見ずに試着室から出て転けそうになっちゃうあたりが残念。付け加えて履いてきた草履で滑ってしまったのも残念。私はそのあとヤツに『ケンバース』のスニーカーを買い与えました。
そしてライブに参戦したわけです。
して、忘れてはならない。ヤツはライブ初心者、しかも長身。
そのライブハウスは幸いにもテーブルが後ろの方にある、わりと洒落たライブハウスでしたので、仕方なく、本当は前の方で手ぇ振って「のんちゃーぁぁん!」とやりたいところですが今回は我慢をし、座ってジントニックを二人でゆったり飲んで只今待っています。のんちゃんを。
「すごいねぇ人。国立劇場より入ってない?」
「あれは確かに座ってるからね。何席?」
「東京?多分300くらいじゃない?」
そんなもんなの?
だとしたら。
「確かにのんちゃんの方が入ってるかも。あたしらチケットBの124とかだもんね」
「ねぇねぇ。俺よくわかんないんだけどさぁ。
ABCは何で分けられてるの?」
「んー、前売り、一般、当日」
「あぁ、そうなの!
ほら、東京公演で言うとさぁ、Bは超後ろ、Cは超横、だからほっとんどないの、あれ」
「へぇ。前売りとかは?」
「前売りと言うか予約制よ。前売りって公開日前ってやつでしょ?しないしない。
したら多分一般で売れないね、東京は。
大阪ならそんくらいやんなきゃ、マジで50人くらいしか来ないからねぇ、ふらっとおっさんが入ってくるようなさ、酒持って」
「ライブのハコ感ハンパないねそれ」
「えそう?だってこんな狭くないし人入んないよ」
「いやハコってそもそもそれなんだよ」
ははぁ、こんなところに原点を見た。
「いまやちょっとしたバンドブームでこんなんだけどね。だからあんま広くないんでしょ」
「ははぁ、なるほどね。
けど原点大阪、まぁ原点だからやるけどさぁ。
ぶっちゃけ赤字だよ。昔は今ほど東京でやらなかったらしいけど、やっぱこっちのが、毎回満員御礼だからさぁ。半々になったねぇ。やる頻度」
「そんなら移しちゃえば」
「ダメダメ。古典芸能ってうるさいんだよ。格式というか。江戸文化には|歌舞伎《かぶき》さんがあるから」
「あれってさぁ、どう、やっぱ仲悪いの?」
「いや、別に」
なんだそれ。
あの女優だかモデルだかわからない女を想像した私、ミーハーなのかな。古いかな。
「あんまり気にしてないかなぁ。
あ、けど歌舞伎の床本は|文楽《ぶんらく》が大体は先出しだよ。ここは強調。
確かに歌舞伎さんは歴史を辿れば文楽に勝ったこともありますが、ワタクシどもはまぁ、あれらはちょっと被れたチンピラが人間版でパクり遊ばした古典芸能と捉えていますなぁ、男娼とかの、あぁいった方々とか不良さん方がね、お三味線持って踊っちゃってぇ?娯楽盛り込んじゃった古典芸能ですが、それはしかし、文楽もそれだけ当時から取っ付きやすく認められたという証であります」
なっ。
「酷く偏見遊ばしてませんこと?」
「いやいや偏見ではないです。歌舞伎には歌舞伎の良さがあります。あれと一緒ですよトトロの所。我々はトトロの監督みたいなもんだと身構えていますなぁ」
「酷く偏見遊ばしてませんこと、大切なことなので二回言いました」
「偏見というかだって、事実です。我々がいなければ|曽根崎心中《そねざきしんじゅう》なんて生まれませんでした。しかし皮肉にも現代は、広めたのは歌舞伎さん。知名度あるんですよ、我々より。
まぁ歌舞伎の方が感情移入しやすいですね。パッと観たとき登場人物が人間だし、きらびやかだし。
まぁ、元々は『|人形浄瑠璃《にんぎょうじょうるり》』台本なのでわりと、
なんでこの人物は立ちっぱなんだろうか
という矛盾は生まれるのですがそれは文楽も同じですな。
お前自害して30分経った今喋ったの!?怖いわぁ〜
を歌舞伎さんは上手くやってくれます。人形か人かの違いですね」
「ほぇえ、わかんねっ」
「まぁそれぞれ良さがあります。なので俺は|高村《たかむら》|冠玖郎《かんくろう》くんと全然飲みに行けます。|石河《いしかわ》|蟹蔵《かにぞう》くんとも楽屋で「うぇーいハゲ」とかやれます」
「マジ?」
「マジマジ。あの人今、幸せ全開だからちょっとあれだけどね。…というか石河一門はちと…まぁバイセクシャル的には良い一門」
「うわぁ、そうなんだ、やっぱり」
本業のことになると途端にこうなるんだよな依田。まぁ気持ちはわかるが。
そしてあんたその職向いてるわ。だってなんだかんだ変態偏屈野郎だもん。しかし芸術人ってそーゆーとこある。
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