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「ありがとうございました」

 塩谷判官切腹をやりきった頃には、正直息が止まるかと思った。

 低めの濁り音、これは確かに昔の俺なら出せなかった。
 指の走りすら、のんちゃんからパクった2弦押さえで、誤魔化しという味を出した気がする。

 この三味線の低さに合わせることは、前の穂咲太夫には間違いなく出来なかっただろう。
 所謂、75点位の出来だった。互いの描いた先が見えた気がする。
 出来は良くなかった。しかし師匠方は互いにほんのり笑っていた。

「さて、決まりましたなぁ雀生はん」
「そいですな。次回は」
「師匠、すみません」

 ふと、穂咲兄さんが先手を切った。
 互いに言いたいことはわかっている。

「なんや穂咲」
「今回は、その…。
 私にも見えた気がしました。これが一重に我々の通過点、大序の前だと思います」
「大序の前?」
「はい。
 雀次も恐らくは同じ心境でありましょう。だから、」
「一度別所にて互いを見つめるもありかと、思います」

 しかしどうやら。

 我が師匠は笑った。
 穂咲兄さんが驚愕を込め、「はぁ?」と言う。

「あんさんはどこまでも我が儘やなぁ雀次」

 そして花太夫師匠は俺にそう、笑顔ながらも睨むように言った。

「まぁ、確かに」

 しかしどうやら同意も見せる。それに穂咲兄さんが「師匠、」と掛かるが。

「まぁなんにせよわてらはわてらで考えがあります。この場で会議もせずに決まりました。夕方の発表を待ちなさいな」
「…花太夫師匠。
 しかし私はいずれそこに行きたい。最早この演目は、心中のような心境です。それが望みなら、私かて、」
「けったいな。まだまだおまんら二人には早すぎる。だが良くも悪くも芸道だ。心中位で死ぬのなら、やめてしまうがよかろう」
「つまり、」
「急くな穂咲。いずれにせよ雀生はんとわては揺らがん。しかしまぁ、考えが変わった」

 そう言って花太夫師匠は先に立ち上がり、俺を見下ろして言い放つ。

「あんさんには確かに骨も腕もある。しかしながらそれがなんなんか、わからんうちは道は拓けまへん。芸道の鬼でっか?笑かすなや」
「…すみません」

 そう素直に謝れば「穂咲、」と花太夫師匠が呼ぶ。穂咲太夫はそれを聞いて立ち上がり、「では」と、二人で密会場を去っていった。

 雀生師匠と二人になり、ふと師匠が静かに「雀次」と俺を呼んだ。

「はい」
「お前は一度ならず二度、それに出くわしたな。それは儂かてまだ、この身には及んでいない体験だ」
「何を…」
「月だ、雀次」

 また、はっとした。

「はぁ、はい」
「気持ちはわかった。だが、それで父を恨もうとは、お前もまだまだケツの青い」
「いや、」

 違う。

「師匠、そうではなく、」
「どう違う。
 しかし月は、切腹ではない。まぁ、お前が言うところの心中だ」
「だから、」
「お前のせいではないのだよ。やつはお前よりも踏み込んだ、樹海へ。だから、恐らくはお前には見えるのだろう」

 そうじゃない。
 まだ、見えませんよ、そんなものは。

「…私が疎かでした。
 穂咲兄さんとはしかし、そうではない」
「わかる。穂咲もわかっただろう。ただ花は全体的にお前に怒ったのだろう。なんせ愛弟子だ。それを越えるしかないんだ」
「師匠、」
「なんせ月は、そう。花が見なかった男だった」
「まぁ、」

 そうなんだろう。

「一度お前も確かに、気は入れ替えろ。儂はお前がしがらみに覆されるのは、師匠として、仮にも父として、まぁ忍びない」

 そうか。
 拘りは、時として。

「師匠が言うなら仕方ありません。不徳の致すところでした」

 こうも知らないうちに芸を傷付けるのだと悟った。俺はどうやら、自分と相方ですら、見失いそうになっていたようだ。

「しかしひとつ言うなれば、失礼ながら今日は、まぁ、正直に言いますと75点でした。すみません」
「ったく、そうかい。
 まぁ頭に入れておく。お前も今日のことは頭に入れておけ」
「はい…」

 まぁ、俺の意志は、どうやら伝わったらしい。
 要するに師匠達のなかで我々はやはり、不合格だったのだ。

 当然かもしれない。
 だがどちらが悪いわけではない。これぞまさしく、しがらみだったのだ。
 互いに見ている先が少し、ずれているらしい。

 事実として叩きつけられたのは、
 俺はどうやら拘りはあり、しかし初音さんとは互いに認めているのだが、未だ実態が掴めず、すがり付いているのは芸能やら、過去やら未来だということ。

 お互いにこれしかなく、まだまだ道は長いらしい。そんな最中の、少しの寄り道に、如何様にもなってしまうような危うさがあるようだった。

 穂咲兄さんのしがらみは果たしてなんなんだろうか。初めて俺は相方と言うものを考えた。

「ま、ゆっくり期間はあります」

 雀生師匠がそう言ったのに、最早異論が出来ないし、いや、これは正直、師匠方の計らいは愛情だと感じた。

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