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 まぁこれ、正直正しい訳じゃないから弟弟子に教えるのは微妙だが、まぁ、三味線は結局太夫に乗せなければならないし、太夫も乗せられなきゃならない。

 実は少しの違いだ。楽器は意図的にも自然の気候でも音が変わるが人の声は年齢で大きく変わる。それに劣等感よりも憂鬱感を与えられなければ、意味がない。

 相方はそれが仕事。お互いに。
 ってこれ今の俺の課題じゃないか、多分。

「兄さんは…、」

 ふと雀三は、俺が少し弾いた合間に聞いてきた。

「何故今日は、勇咲兄さんと喧嘩を?」
「いやぁ…」

 喧嘩、なのかなぁ。

「まぁ、俺が合わせられんかった、それだけだね」
「何故今回は、合わないんですか」
「んー…」

 はっきりとした答えなんて。
 いや。まぁ、わかってる。

「最近俺少し、調子がな」
「そうですか…。何故、」
「なんやろね」

 わかってるんだけど。

「情けない兄弟子で悪いな、雀三」
「…俺少し、なんか勇咲兄さんと兄さんを組ませた師匠の気持ち、生意気ながらわかる気がします」
「ん?」
「兄さん、わりと頑固だし、何より人に何も語らないんですよ、自分を」
「んー…」

 そうかなぁ。

「弟弟子に絞られてんのかい紅葉」

 そしてふらっと、相方(今回の雀三の相方となった)の竹垣穂咲太夫が現れた。

え、

「あれ穂咲兄さん」
「勇咲くんがそっち行ったから嫌でここ来ちゃったの?」
「流石に違うよ。お宅の師匠が居合わせて引っ張られてったよ勇咲」
「うわっ、」
「なんで引き止めてあげなかったの」

 酷いなぁ穂咲兄さん。だから嫌われるんだよ。
 まぁ置いていかれた俺が言える口じゃないけど。

「引き止められるわけないじゃん国宝だよ?俺紅葉みたいに弟弟子に優しくないからね?大体あいつ嫌いだし」
「ほら〜、そゆとこだよ!」
「てか紅葉、お前のせいだよ多分あれ」
「えっ、」

 なにそれ、何故?

 ふと穂咲兄さんが雀三を見つめると、雀三は物言わずにすごすごと俺の前を空ける。そこになにも言わずに座る穂咲兄さんの性格を感じる。

「見事にへし折ったね紅葉」
「え?」
「あいつ凄くへこんでたけど。
 あぁ、弟弟子も居ることだし弾いてたんだし、やるか、桜丸」
「え、はぁ」

 そう意地悪くにやっと笑う穂咲兄さんを見て、
まぁこの人もどうせ雀三と俺の話を聞いてたんだろうと、
これもまた修行かと、調弦そのままに菅原伝授を弾いた。

 やはり俺と雀三の話を聞いていたらしい。
 穂咲兄さんは全て入り出しをズラしてきた。それに気付く雀三は息を呑んだ。

「掴んだら入れよ雀三、
「心安いは親子兄弟夫婦。かう並んだ中、願ひあらば口では言はいで、ぎつとしたこの書き付け。さらばおらもぎつとして、代官所の格で捌く」と、」

 穂咲兄さんの視線に、慌てて雀三は音を入れる。満足したのか穂咲兄さんは笑い、「願ひ書き手に取り上げ」と続ける。

 ツレとしての音の調和、確かに師匠と俺とじゃ違うかもしれないが、なかなかウチの弟弟子だって、悪くはない。あとは性格の問題だ。

 悩むが良い、悩んで得た芸はけして無駄じゃないはずだと、心底弟弟子に対して思う。

 雀三は芸を追う、求める。それは穂咲兄さんだってそうで、俺だってそうだ。この、闇のように涌き出る泉水《せんすい》は果てがない。死んでも、こうして枯れることはない。

 どうして満ち足りないのかは、喉が乾くような現象だ。いくらでもある湧き水を前にして、少しずつ試飲したら良い。

 枯れない、枯れない。

 ふと語り止め穂咲兄さんは「紅葉?」と俺に声を掛けてきた。

 はっと気付いたら二人はどうも思案顔で。

 そうか俺は今なにか、穂咲兄さんに足りない演奏をしたのかと察する。追い討ちを掛けるかのように「少し狂気的だなやはり」と穂咲兄さんは笑った。

「あぁ、はぁ」
「この演目、全体を通しても、どこか愉快でいて猟奇的ですよね。まぁ、合作ですが竹田出雲がわりと色濃いと言うか…」

 珍しく興味深そうに穂咲兄さんは雀三を眺め、「ほぅ」と一息吐く。どうやら漸く穂咲兄さんは、雀三を見つめてみる気になった、そんな演奏だったようだ。

「ちなみにコレ、好き?」
「え、はぁ…。
 生意気を言うようですが、まぁ弾き手としては力量なので好きですが、話の内容としてはなんだろ…。
 三大演目の中でダークサイドかなぁ、と」
「まぁそうだな」

 だーくさいどぉ?

「どこか全話気が狂ってる。しかし観客の泣き処は演者が思うような綺麗な物じゃない。
 桜丸だって、儚い、切ないと言えば綺麗なもんですが、俺にはこれ、自業自得だろうと感じてしまう」
「その儚い、切ないはどこで?」
「周りの人間ですかね。八重しかり梅王丸しかり。しかしこれははっきり言って、お前も悪いよねと桜丸には思います」

 確かになぁ。
 演者と観客では明らかに見方が違うもんだ。しかし観客はお涙や怒気をここに見出だす。だが、我々としては見解を演じて、それでこうなるのだ。

 だからこそ。

「雀三のが正直いまのは良かったな。俺はしかしなんだろうな、桜丸応援派なんだよ雀三」
「ん?」
「哀愁と暴挙ある桜丸に、陳腐ながら思い入れる。八重も梅王丸も嫌いな質だな。白太夫なんて持っての他嫌いな質《たち》だ、勇咲のようで」
「そうですか」
「だが雀次はいまは勇咲の相方だ。だからかな、その狂気は桜丸より、白太夫を浮かべたよ」

 それはそれは。

「…相方じゃないから別にいいですが、相方であったならそれは芸に反しましたな」
「ま、お前は普段役に肩入れしない質だったからこそ、また違う一面が見れた気分だ。
 雀三、悪いが勇咲を迎えに行ってくれよ。今頃雀生師匠の楽屋で魂抜けてるから」
「あ、はい…」

 穂咲兄さんに命じられれば雀三は、心なしか嬉しいような、複雑な面持ちで稽古場を出た。

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