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 それから公演前、一度きりの舞台合わせを終える。

 文楽は三業《さんごう》(人形、太夫、三味線)一体。しかし合わせは一度きり。だがぴったり、それで合うものなのだ。普通なら信じられないが、ここに古典芸能の素晴らしさを俺は見出だす。

 舞台合わせをしてみて毎度ながら文楽一座の息が詰まるような切迫と芸能をひしひしと皮膚に感じる。どの演目も、どの役割も配役も無駄なくしのぎを削って洗練されている。

 俺は結局その中のひとつ、三味線の中堅の一人でしかない。されど、俺一人の拘りが太夫を左右し、それに合わせる人形遣い達にも影響がある。

 俺は昔、穂咲兄さんと組む前に人形遣いに言われたことがある。
 「お前の芸能には主遣いがない」と。そりゃそうだ。俺は芸道の浮気者だから。しかしあちらもプロだ。どんな音、語りにも合わせるものである。

 演目で鉢合わせとなった弟の鵜助《ていすけ》も、自信がないと言う割りにはなかなか極め細やかに六代目高山鵜志師匠の艶ある演出についていけていた。

 人形遣いの一門制度はどうやら三味線よりも分岐がある。ざっくりすれば高山が女形、楠竹《くすたけ》が男形。しかし高山から楠竹姓を頂く事もある。それはまぁ、下積みの殆どが体部分の扱いだからだろう。

 鵜助は後に父を離れるかもしれない。だがある意味あいつは父の信者だ。

 遠き日に亡くした母を思い出す。最期看取ったのは俺と雀生師匠だった。
 父は母が死んだことすら、果たして知っているかはわからない。

 鵜助が俺を疎むのも仕方のない事だ。なんせ、鵜助、春暁《しゅんぎょう》の母は俺の母ではない。鵜助に初めて会ったのも稽古の中で、しかも俺は春暁を弟と知らずにいた。春暁の母に俺と母が追い出されるまで。
 そう思えばある意味弟は不憫だ。9歳まで、隠れて暮らすような感覚なのだから。

 だからこそ、父の後継者にしがみつく理由が俺にはわからない。多分春暁から見たら俺はろくでもない兄でしかなく。ろくでもないから思う、お前は少し高山から離れて芸をした方が多分身になるのではないかと。

 舞台合わせを終えれば勇咲くんに、「ゲネが一番よかったな俺ら」と言われた。

「練習じゃぁボロックソだが、本番に強いのかな」
「そうだねぇ」

 確かによかった。
 互いにどうにか引きも押しも覚えた、漸く相方としての立ち位置を掴んだようで。

「なんだかさぁ…」

 笑ってしまった。

「昔の…月さんと組んだときを思い出しちゃった。勇咲くんには悪いけど」
「へぇ、どうよ俺は」
「きっと師匠からぶっ殺叱咤だ、俺。けどいーや。だって一番よかったもん」
「ふーん」

 勇咲くんはにやにやとして俺を見た。

「悪いが俺はぶっ殺叱咤は免れるな。俺上手かったもんね。精々ぶっ飛ば叱咤だ」
「あ、それ「辞めてまえ貴様」って言われるやつだ」
「あ、こんな感じだったわけ?」
「さぁね〜」
「え、マジ?ねぇ、よしみで教えて」

 さてさて。

「あー俺もう行かなきゃ。変わりにぶっ飛ばされといて、亀甲縛りだし良いでしょ?」
「えやだ、なんでよ」
「楽しそうですなお二人」

 背後から。
 黒子姿の弟の声がした。とても、皮肉混じりだ。

「あ、依田弟じゃん。やっほー」
「それ止めていただけませんかぁ?」
「やっほー鵜助。必死だな」
「当たり前でしょ。
 あんたら聞きましたが喧嘩中なんじゃなかったでしたっけ」

 頭巾を取った弟の額には汗が滲んでいた。
 茶髪。今頃父がこんな息子を見たら多分ぶっ殺されているだろうに。

「喧嘩するほど仲が良いんだよ、弟くん」
「はぁ、気持ちがわかりませんな」
「なかなかだったじゃないか鵜助。八重垣姫を思わず抱きたくなるような腰遣いだったわ」
「下品な人。まぁ、あんたらもあんたらでなかなか、いやぁ勇咲さんがどうなるかと思いましたが考えたらどちらも暴れ馬でしたな。競馬を見ている気分でした」
「あらどちらがジョッキーかしら。俺的にはケツぶっ叩いたつもりでしたが雀次兄さん」
「でも君ほら、あれだから」

 亀甲縛りだから。
 しかし俺がそう言うと勇咲に腕を思いっきり叩かれた。
 酷い。腕は商売道具なのに。

「酷いね勇咲くん」
「外れちゃった腕、ハマったんじゃね?」
「なんだか凄いふざけようですなぁ。お師匠様方が大変だ。このあと」
「いや俺そんな暇ないし」
「俺も行くからそんな暇ないし」
「え、マジで勇咲くん」
「マジマジ。つーことで!」

 勇咲はがしっと。
 まるで勇気付けるように春暁の両肩を掴んだ。そしてにやりと、

「叱咤、頼んだ依田弟!」

 あ、

「ふふっ、ふっ、」

 ウケた。地味に。
 つまりはまぁ。

「…うるさっ、」

 自信が無いくせに強気を通す、子供みたいに露骨な反応で春暁は勇咲の手を払いのけた。
 つまりはそーゆー出来だよ、春暁。いや、鵜助。

「…あー気に障る。さっさと稽古でもしますわ、
 明日見てろよ二番煎じ共が」

 憎まれ口を叩いて春暁は踵を返し、去って行った。

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