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考えていればふわっと、現実的な風呂上がりの臭いがする。
那由多が窓の外を眺めながら髪をわしゃわしゃとタオルで拭いていた。
胸の切迫は消えずにその、シャツと下着だけの那由多の姿に駆け寄り抱き締めた。
臭いがする。
俺のシャツの臭いと、那由多の風呂上がりの臭いが。
少しそうしていれば那由多は淡々と、「風呂へは入らないの?」と聞いてきた。
百合枝とのセックスで百合枝はよく、こうしてよがるダルさにそう優しくこえをかけてくれた。裸のまま細い腕を伸ばして、頭を撫でながら。俺たちは恐らく、普通の夫婦だったんだ。
那由多の髪を撫でるようにタオルで拭い、そんな百合枝を思い出しては「髪を乾かそうよ」と、いつも通りに近い会話をしようと試みる。
「整えようか、那由多」
時計をみても、6時くらい。そしたら朝飯を作って、
「遅刻するから」
「しないよ。ねぇ那由多」
どこもかしこも甘い臭いで。
だからそう。
肩の張りだとか、身の縮め方だとかにすらそれが貯まってゆき。
「…雨祢、だから、」
そう言うわりに君は暖かくて、暑くて。
「もうさ…」
首筋が痛く綺麗なんだ。その黒子が色っぽくて、ボタンを外すのも嫌がるように制そうとするわりに、唇で黒子をなぞればそれは強く拒否をするのに、どうして伸ばして俺の髪を嗅ぐのか。
「全部要らない。もう、全部」
堪えるように息を殺して那由多は「雨祢、」と呼ぶ。耳元へ降るような、苦しさに。
「違うでしょ、…ねぇっ、」
「違わないよ」
驚くほど自分の返事は冴えていた。那由多の腹をなぞれば雫が降るように頬に当たって。
那由多は泣いていた。だけど目が合えば笑った気がして。
溺れる。
頭でそう自分の内に潜めた声が重く聞こえたのに、ベッドに那由多を倒してしまった。
欲っしていた。
俺は君を欲っしていた。ずっと前から果てしなく。生きる意味になるように。
「ならおいでっ…、雨祢、
死ぬほど溺れてしまえば…いいんだ」
苦し紛れに絞り出した生意気に。
今切ってきたんだろう手首の傷を隠すように手を握って体に指を這わせれば唇を噛むように耐える那由多が。
堪らなくどうにかしてやりたくなった。
どこか冴えてる部分でわかっている俺は今最大級に狂っている、泥酔している。この生温い淡水のような人肌に。同じ決壊を持ったこの年下に。
翅なんて物は水面につければ飛べないんだ。だから俺はもう。
「死にたくない、死にたくなんてない…!」
「雨祢っ、もう、やめ、」
堪らないな。
こうして寂漠と恍惚を逝き来する。温く浸かったそれはもう、居心地さえ“ここだ”と示すようで。
力なく制するようなその那由多の利き手を掴んで指を這わせて、咥えて。諦めてパタンと額を隠す平にキスをして。
白く細い裸体を貪りながら指を淡水へ這わせる。腹の傷へ舌を動かせばびくっと痙攣した綺麗な足から、そして興奮し始めた性器から、何から何まで。
食い尽くすように味わってみる。
「うぅっ、」と唸るのを合図に自分の熱を押し入れて、ギシギシとなるスプリングの合間の吐息は苦しみから、甘く変わる。
緩み始めた表情に、唇を食み、舌を入れ、それから絡み取られるように首と、腰に這われる那由多の手に俺の欲情は止まらない。
恍惚とし始めて一瞬だけ口を開き、「ぃ…ね、」と、
名前を呼ばれたか罵られたか。しかし次に言う「あいして」に、
「那由多、」
俺も恍惚だ。
「愛してるから、だから、」
そんなに哀しまなくてもいいだろう、那由多。そんなに耐えなくても、これほどまでに美しく、泥沼じゃないか。
しかし彼は、達して微睡みで俺を見て薄ら笑った。
「ただ愛されたいのは、同じじゃないの?」
酷く歪んだ笑顔に、
動くことを止めてしまった俺がいた。中は生温い、人肌のような体温で、居心地はいいはずなのに。
がっつりと心臓を捕まれ、抱きつかれ、耳元で濡れたような疲れた那由多の声が聞こえる。
「だから受け入れないで」
…それは。
「泥沼へは、浸からないでよ」
あぁそうか。
これは。
激しく那由多を抱いた。
それから何度も、何ヵ所も。力尽きるのを待つように、ただそれだけに。
俺は自分が嫌いだったんだ。
許せなかったんだと感じて。
虚しくも情けなくも、虚無にどっぷり浸かってしまった。
なぜ、なぜ。
あぁそうか、そうか。
俺は何一つ見つめて愛することなんて出来なかったんだと、泣くように、荒い息遣いで語った。漸く自分の本能を知る。
ただただ俺は、自分を愛そうとした君に、深く、深く沈み込んでしまっただけだった。
「愛したかったよ、那由多、」
だから、もう。
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