クリスマスイヴ
職員室はいつもより、雑踏だった。
『あぁ、俺も。あの子苦手だな』
『俺ももう指名しないことにしたよ』
『それ皆言ってますよね。男の先生とは口利かないって』
『途中かららしいよね、それ』
『まぁ、もうすぐ卒業だし、いいけどね』
『あ、最近あの子、社会科の高塚先生と、最近良くいるみたいだよ』
『えっ』
『“宝塚”って呼ばれてるよな、あの人。それはなんか、変なの』
『俺あの先生苦手だわ。なんか取っつきにくいよな、さばさばしてて』
明日は、終業式。
今年は、クリスマスが終業式なんだと、思い出す。
ミーティングの15分前、ドアに近い3年教師のエリアを通れば男性教師も女性教師も、気まずそうに「おはようございます」と各々挨拶をして来て、私は「…おはようございます」と、意味もなくただ返して。
私の背中で「やべぇな」「聞こえてたかな」「しかし色気もないよな」「ちょっと、」だのがひそひそしている。
「高塚先生、おはようございます」
私のデスクの向かい側、教科エリアで私と同じ社会科の「中城先生」は、いつも通り、定年近くの優しい笑顔で然り気無く挨拶をしてくれる。それにだって同じ温度で皆に等しく「おはようございます」と返答するのが日課だった。
「今日は寒いですねぇ」
「…そうですね」
「今年は体調管理が難しい年でしたね」
中城先生はもう、64歳。来年の今日はこの会話もないだろう。
来年の今日は私の赴任先もここではないかもしれない。
「そうですね」
「その後、高塚先生はどうですか?」
優しい、祖父のような言葉。
その後。
「あぁ、ええ。冬は寒くていけませんね」
「そうですねぇ…」
懐古をする、遠い目のあてに覚えがある。
夏以来、中塚先生はよくこの質問を投げ掛けてくれる。夏に、職員室で倒れてしまったときから、たまに。
「暖かくしなければなりませんね。社会科資料室は寒くないだろうかと、今朝に鈴木先生が灯油を入れてくれましたよ」
中城先生が隣の、国語科の鈴木先生に微笑んだ。
「ついでだし、俺も使うんで気にしないでください」と、20代の清潔さで言う。
「…ありがとうございます」
「最近、花が増えましたね、中塚先生」
優しい、祖父のような笑顔が言う。
それから各々ミーティングまでは作業をして。
確認作業のようなミーティングも正直重かった。今日は終業式の準備もあるし、生徒の下校時間も早いが、学期末の打ち上げもある。その話だってあり、とても腰が重い。寒さと曇り空のせいかもしれないけれど。
「あぁ高塚先生、今日は来ますか?」
中城先生の還暦祝いはきっと、3月だと思う。だけど。
「仕事が済めば…」
仕事をする時間が限られるのは事実だけど、こんな返答しか出来ないでいて。
朝の会話はそれで終わる。
職員室が、嫌いだった。
『それは悲しい過去があったのですね。
…辛かったでしょう』
私の過去を聞いて中城先生は言葉を詰まらせた。過去の夏に、私は子供を一人、見ることもなく殺してしまったという話に。
唯一話せた先生だった。
今日はどうしようかと、学期始めのテストだとかを、自分で生徒に出した宿題や教科書、大学入試の問題を眺めながら一人、社会科資料室で仕事をしている。ちゃんと購買でほうじ茶も買っておいたし、鈴木先生が灯油をいれてくれたおかげで暖かく、お腹に響くこともない。だからこそ、今日はどうしようかと考える。
あまりはかどらないなぁと、少し手を止めたときに資料室のドアが開く。
「先生、待った?」
赤と緑の花なのか草なのか、クリスマスあたりによく見る植物の鉢を持った吉野恵梨香が現れた。
秋ごろからずっと、彼女は放課後ここに現れるようになった。
『男の先生とは口利かないって』
『途中かららしいよね』
朝の会話が浮上した。
「あら、お仕事中?」
暖かいねと続けた彼女はとても嬉しそうに、隣の席に私が広げた教材を退けてその植木鉢を置いた。
これは少し仕事はお仕舞いだと、教材を閉じて隣に座った、リカちゃん人形のように整った顔の彼女を頬杖をついて眺めた。
「教師はいつでも仕事だよ。吉野さんは椅子並べじゃないんだね」
「明日私、出ないもの」
見かけによらず破天荒なことを言うのはいつものことだった。
「先生だってそうでしょ?」
「教師は皆出るし、生徒も皆出るんだよ」
「じゃぁ先生、私と朝にここを飾れるね」
「…何が?」
「覚えてるでしょ、ここを花一杯にするって。増えたけど、明日が最後の仕上げなの」
…ここに来た最初の日に、そういえば彼女はそんなことを言っていた。
「丁度クリスマスの鉢も持ってきたし、いいでしょ」
「…これはなんて花なの?」
「これは木なのよ」
「そうなんだ」
「でも、3月くらいで枯れちゃうかも」
「木なのに?」
「水やりが難しいの。ストーブを炊いているし、でも、ここは日が当たらないから、先生がちゃんとしてくれたら来年も枯れずに済む」
「来年かぁ…」
来年。
「この木はでも、先生の家に飾ろうと思って持ってきたの、きっと、寂しいでしょ?」
「え?」
「私も来年これを見たいから。先生、今日はそんなお誘い。クリスマスイブだし、素敵じゃない?」
この子は見かけによらず破天荒なことを言う。
「…先生にはお仕事がありますから」
「明日やればいいじゃない、私と来るなら」
「どうして吉野さんと来るの」
「じゃなきゃ行かない」
「まったく…」
年頃の女の子は困ったものだ。
「さつき先生、来年には私はいないのよ、ねぇ」
「…そうだね」
「先生が来年ここにいてもいなくても、私には関係ないの」
「そうだろうね」
「だけど私はずっといたい、先生とずっと。
ずーっとよ。ねぇ」
「どうして」
貴方にとって私は今年一年、週三、50分いただけじゃないか。最近放課後には会うけれど。
「…吉野さん、そう言えば男の先生と口利きかないって本当?」
「そうよ?知らなかったの?」
「それはよくないんじゃないの」
「どうして?」
「先生なんだから」
「それだけ?」
「それだけ」
「どうして女子高なのに男がいるの、気持ち悪いじゃん」
当たり前のように言うのに、少しだけ俯いた彼女が少し引っ掛かった。
「…男の人が気持ち悪いってこと?」
「そう」
「…そっか」
「だから先生がいいの」
…そっか。
「言ってる意味わかる?」
「そうだねぇ」
「ねぇ、私って気持ち悪い?」
「なんとも言えない。いいとも言えない」
「どうして?先生だから?」
「そうだよ」
考えても見なかったけど。
「気持ちはわかるけどさ」
私も確かに、同意はしないでもない。
ふと気付けばお腹を少し、さすっていた。
リカちゃん人形の顔の感情は読めなかったけれど、「先生?」と、少し声が震えているような気もした。
「お腹痛いの?」
「うんちょっと、」
気持ちが悪くなりそうだ。
けど、この子に嫌悪はなく、私の自己嫌悪に気持ちが悪くなりそうだ。私はどうして子供を死なせてしまったのだろう。
「大丈夫なの?」
それには答えられなかったけど、
「…今日は、打ち上げもあるから仕事を片付けなきゃいけないの、吉野さん」
「先生、」
「だから帰って」
「どうして?」
「だから、」
声を少し荒げてしまった気がする。
「…やっぱり気持ち悪いの?私」
「…違うよ、」
吐き捨ててしまう。
「先生も、そうなんじゃないかって、私…、」
少女はそれから荒く立ち上がり、みるみる泣いて、そして。
「子供なの…?先生、」
「そうだけど、違う。もう…違う」
「もう?」
「構わないで欲しい。だって私は出来た先生じゃない」
怖いんだ。
吉野恵梨香はそれから歯を食い縛った息切れで「この嘘吐き!」と吐き捨てて出ていってしまった。
吉野さん。
貴女がどうしてそうなったのかなんて先生は知らないけど。なにも教えられなかった。
…何に対しての嘘吐きだったんだろうか。
ふぅ、と一息を吐いて、考える、痛みを伴ったその日を。寒気がする。
また一人になった、縁起の悪いことに、これが神様が生まれた日の、前夜祭なのかと、赤と緑がぼんやりと目についた。
※[大]長くてすみません(´。・д人)゙[/大]
先月お題、
「エリカ(躑躅科の植物)」×「陶器」
の、続です。
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