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呆けていたら急に、頭をがしゃがしゃっとされ、我に返る。
少し手を伸ばしたお風呂上がりの千秋さんが「風邪引かないのかそれ」と、どうやら、タオルで私の髪を拭いたようだった。
「あ、あぁ…はい」
「ん?…どした?」
「いや…」
確かに髪は冷たい。
「…乾かしてきますね、確かに、風邪引く…」
ケータイはテーブルに置きっぱなしにした。
…普通に、いまいる現実にビックリしているようだ、私は。
でもおかしい。飯島の方が遥かに現実に溢れていたことじゃないか。
それが無性に息苦しいと今、感じているのだと、いや、最早怖い。なんなのあいつ。重いとかそういうんじゃなくて勝手じゃん。
そんなことにすら今気付いたのか私は。
気付いたら、腹が立つというより微妙な心境に至った。なんせ、私も勝手だ。
…なるほど、これは洗脳に近いのかもしれない。思考が押し流されそうで…だから止まっちゃったんだろうか。
少なくとも私は案外、飯島とセックスしたことは後ろめたかったようだ。
ただなんでもよかったはずが、だからやはり割り切りがよかったんだろう…。しかし、嫌でも目に入れば気になる、という相乗的な物かもしれないけど───
確かそう、確かにそうだった。彼、熱くて仕方のない、興味深い目だったけど、私の前髪を掴み顔を眺めたその表情は優しかったような気がする。
私はそれに何も思わなかったけれども、考えてみれば、今までに見たことのない男の表情だったんじゃないか。口でして、等と言われた事に気を取られていたけれども。
…あぁ、消そ。
途端に糸が切れてしまった。無理だ、そう、無理。あぁあ、うん、無理。でもなんでだろう、冷や汗を掻きそうで。
そんなこといくらでもあったと思い出そうとすれば耳元ではぁはぁと聞こえてくる気がする。それはわかる…父親か、兄のもので、あぁそうか、私に幾らか絡み付いてくるものは…。
どうして直結してしまうのか、当たり前だ、私は探していて、まだ探し当てていないのだから。
髪はまだ湿っているような気がした。
自分を大切にしろ?そうかもしれない、けどそれが…そうしていればよかった?
いや、そんなことが出来るほど簡単じゃなかった…言い訳ばかりする。
違うよ、わかっていたことをさも当たり前に言われるのが…非常にモヤモヤするの。
なんで?
そんなこと聞かれたって、もうぐちゃぐちゃでわからないんだ。わからないんだ。ただ、シンプルに嫌いだとしか、思えなくて。
そう、好きなものじゃない、というだけ。頭に来る。
「瑠璃ちゃんは好きな食べ物を教えてくれない質だもの」
…しゃがんだ洗面台の扉に自分の顔が写らなくてよかった。
初めてかも、こんなに、こんなに…息苦しいのは。やめたい。
あの人は私の秘部に爪を立てず、優しく撫でるような人だから、核心を隠すことが出来る。
爪はちゃんと切る人、女はデリケートなのよと、そして続けた「攻め入る必要がないから」と、紳士さを感じたそれが、もどかしくて。
誰か、誰か責めてくれたら、だなんて。
少しだけドキドキしてるのもわかった。なんでなんだろう、今更、限界かもしれないなんて、どうして気付いたんだろう。
良い加減不自然だろうか、と、頭が冷えて立ち上がるのに少し眩暈がした。
はぁ、と息が漏れた時、千秋さんが背後の扉に凭れ私を眺めていたことに気が付いた。
…不意打ちで言葉も出なかった。
「頭痛ぇからポカリ買いに行きたいけど、いる?」
しかし、何を言おうか、何を考えようか、とあぐねている私に声色ひとつ変えずに彼はそう言った。
ふと、まるで耐えられないとでも言うように吹き出し「めっちゃ顔色悪いなお前」と笑う。
「ま…」
「焦らせたか。まぁコンビニ行ってくるわ」
ふらっと、まるでフラットで。
何故だろう、それに焦って「私も、」と言うことは。
「…具合悪い」
「はは、変なやつ」
それだけだった。
それだけで彼は何も言わないし、私もそのまま着いて行くし。
ただ、非常に醜い感情に気付かざるを得ないほど、それは暑く、燃えるようだった。
なんでもいいから、離れたくないという感情。
あとからくっついてくるのは「面倒だろう」だとか、「こんなに迷惑なのに」だとか、でも、だからどうして良いかと…もどかしくなってゆく。
これは利己的で汚いもの…かはわからないが、腹の奥や喉やらを…イガイガ燃やしてまるで刻み付けるようで。
苦しいな。
ただ背中を見るだけで生理的に涙腺が緩んだけど、それは抑えてしまえた、何故なら彼は私の顔を見るかもしれないからだ。
車に乗ろうとしただけだった、から千秋さんは振り向いたわけではないのに一瞬、そんな状態で身構えてしまう。
「………」
明らかに彼は私を見て、間があった。
しかしそれもなんでもなく「どうした、乗れよ」と自然に……。
なるほど。
彼はもしかすると。
自然ではないかもしれないけど。
……当たり前か。
そう、当たり前の不自然だった。
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