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「掛かるかな…」
「え?」

 呟いた彼は車の鍵を眺めてから「大丈夫だと思うけど…」とちらりと私を見る。

「いつもは事務所の乗ってるからさ、」
「…はい?」
「一応週一で動かすようにはしてるんだけど、」
「…はい」
「毎回この瞬間が、」

 鍵を刺して回す。
 特に何事もないことにふぅ、と息を吐いた千秋さんは「あぁよかった…」と肩を下ろした。

「…上がらなくてよかったバッテリー」
「そういうものなんですか?」
「そう。毎週とか言ったけど今回は少し長く乗らなかったんだよねぇ…」

 車は走り出す。

「洗車もすっかなぁ…これ」

 しかしそれからの無言は至って重く『自然』だった。
 まだ、お昼時。

 景色はぼんやりと走っていて、多分いつもより人通り、車通りも多いけど、コンビニは3つほど通り過ぎた。

 彼はどうやら遠くを眺めてタバコの煙を窓から捨てている。

 ケータイ、持ってきたっけな。

 この沈黙に勝手な居心地の悪さを感じてきた。
 彼にとってはいま私の存在は恐らくいないものなのだろう、というくらいにぼんやりとしている。

「ケータイなら置いてきたぞ」

 なのに彼は、そうやって引き戻す。

「…あ、」
「風呂入ってる間、鳴りっぱなしだったけど」
「…すみません、うるさかったですね」
「別にいいんだけど、お前も大変だな、兄貴?」
「…いえ」
「あっそう」

 千秋さんと漸く目があって、彼は「ふふふ…」と、何故だか優しく笑ったのだった。

「あぁ、忘れてたなポカリ。少し先にコンビニ、あったよな」

 その一人言は私の返答を待たずに「調子はどうだ」と、走って行く。

「えっと…」
「少し立ち眩みでもしたんだろ」
「あ、はい…」
「そうだよなぁ」

 先にコンビニはあった。
 そこに停まって「腹減ってるか」と聞くのにやはり、「食欲ねぇかな」と、どこか一人でふらふらしているような、そんな様子に見える。

 黙って着いて行くと「お菓子はいるか」とか、「他なんかいるか」とか、それまでよりは私に話しかけているような感じがした。
 まるで子供のようで、つい「大丈夫です」だなんて返してしまったけれど、レジで「138番を二箱で」と言っている千秋さんを見てふと、少しお腹も空いていることに気が付いた。

 結局、本当にタバコとポカリしか買わなかったけれど、車に戻り私がポカリを一口飲んで一息を吐けば、「どこ寄ろうか」と千秋さんは聞いてきた。

「あ、そっか…」

 そうだった。
 そもそも今日は買い物に行こうと…言っていたんだった。

「…どこでも、」
「了解。やっぱ飯食えるところにしよ」

 車を走らせる。

「シャツ忘れたな」

 なんだか、やっと現実を掴んだかのように千秋さんはぼんやりと呟く。

「…アイロンとかって、ないんですか?」
「あるにはあるけど使ってない」
「…私、掛けましょうか?帰ったら」
「あ、マジで?助かるかも」
「わかりました」

 少し、千秋さんの自宅からは走ったのかもしれない。
 だけど、いつも…どれくらいなのだろうか、電車では。いつもより早いような…予想とは違う道のりだったせいだろうか、少し見慣れた西郷隆盛の公園が急に現れた。

 休日の時間感覚が不思議。
 いや、きっとそうじゃない。
 こんな過ごし方が初めてなのかもしれない。

「…西郷隆盛ってさ」
「…はい?」
「なんでここに銅像あんだろうな」
「確かに」
「パンダとの関連性も全く見えないのに。無血開城とかの関係なのかな。確かにすげぇよな」
「歴史、好きなんですか?」
「並みに。
 あと俺、この池はクソ汚ぇと思うんだけど、東京のやつらってそういうところあるよな」

 不忍しのばず池に差し掛かる。
 確かにこの池自体は綺麗だとも、なんとも思わないのだけども。

「…千秋さん、東京の人じゃないんですか?」
「うんまぁ長野」
「あぁ…きっとお水、綺麗なところですよね…」
「俺は最初こっち来てまず3日で高熱を出したよ、マジで。東京っ子にはちょっと、わからん話かな。だからといって別にあっちはなんもないし帰らないけども」
「…えぇっと、長野は…真田幸村?」
「そう、流石学生だな。まさしく上田辺りに住んでた」

 そうだったんだ…。

「私もどうやらおばあちゃんの家がそっちらしいですよ。千秋さんはどうして東京に?」

 ありがちな話題が繋がった。

「………なんとなく。うーん、まぁ嫁はこっちで会った」

 とても答えにくそうにそう言った。

「やりたいこともまぁあったような気がするけど、正直いまとなってはなんだったのかな、思い出せない。10代の衝動って意味不明だから。親とも喧嘩別れだし」
「…大人の答えだ」
「そうかぁ?まぁ、そうか」

 また何かを考えるように、千秋さんは黙ってしまった。

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