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 …金曜日、て。
 千秋さん、それで「児相」だなんて言ったのかな。

「…千秋さん、」
「ま、それで話したことあって。結構スムーズに聞いてくれた。朝は門で誰か立ってるってさ」

 そう、大人の意見はぶつけてくる。

 白い靄。それは有害物質。
 わからない。ただ彼はその煙を吐いて「まあ、」と、煙の匂いを纏わせ私の髪を嗅いだ。

「帰りは学校の門でいいか?待ち合わせてもいいけど、わからないからな」
「…はい、」
「時間もわからないし。一応こっちは18時まで営業になってるが宛にしてない」

 なんだろうそれはと思ったが「え?」と言えばごく普通に、

「浮気調査やらなんやらってのはな、寧ろ20時くらいから動くもんで。いまのところそういう依頼は消化しているが、毎日何が入るかはわからんからな」
「なるほど…」
「まぁ…言いようだな。昨日の件は聞いてきてないが一方的に社長には言ってある。俺が抜ければ上里が引き受けるんだ」

 ぼーとタバコを吸いながら「あぁ、あいつだ、もう一人の方だ」などと補足してくる。

 チン、とパンが焼けた。
 私は一度立ち「バターでいいですか」だなんて平然に聞いているだろうが、心中はそれほど穏やかなんかではなかった。

 女はひとつを求めて受け入れて貰えるとね、あれも、これもと自然にまた渇望するのよ。

 そう言えばこれは先生が言ったのだ。その通りだと身を持って知った。私は今、「普通にいつも通りだが、距離が近くなったことにすら違和感がなさそうな千秋さん」に、何かを求めそうで。
 ただ、先生は確かその後に続けたのだ、「だから嫌になるのよ」と。先生はレズビアンだけどと、彼女に反論するような言葉も湧いたが私は言わなかった。不思議が勝ったからだ。

 大人なんて、いや、人なんてよくわからない。
 何かを捨てているのではなく、私たちをただ上から眺めているようにしか思えないことばかりで、けどそれは私にまだ「足りないのかもしれない」ともわからないからだ。見えた試しもないのに。

 パンを持った私を、座って上目使いになり見つめた千秋さんになんとなく、まるで前からそうしていたかのようにキスをする。
 彼も当たり前だった。前からしていたのかもしれない。

 あとは平然に「頂きます」をして。
 どうしてなんだろうとモヤモヤしたまま私はそれから千秋さんの車で学校に向かった。

 なんだか、昔から連れ添う夫婦はこうなんだろうか。

 いや、

「児相から連絡って、あの場合でもいくみたいだけど」
「あ、はい」

 多分違う。そうなんだろうけどこれはその類いではなく。

「驚かないように前置きというか。先生はある程度知っていると思って挑むべきだと思う」
「…兄は、どうなんですかね」
「近頃はそんなとき、連絡もせずに児童を引き剥がすと聞く、現にそんなんで行方を探してくれという依頼も受けたことはあるけど、真相は五分五分というのが見てきたものかな。
 実際は人の心の中だから確証はないが、思い込みもありそうだという件もあったし、そもそもそんなとき、探偵如きに児相は情報を開示しない。なんせ、警察にすら秘密保守の関係で開示を拒否出来る機関だからな」
「千秋さんは…」
「…なんだ?」
「その子供たちが、本当はどっちで、どっちの方が幸せかと考えたこと、」
「あぁ、いや、ない。
 考えようもないし、仕事でしかないし。多分そんな豆腐偽善メンタルだとこの仕事は勤まらない」
「でも…」

 夢を見ているだけだろうか。
 千秋さんは少しだけ寂しそうに、「そんな人間だよ」とどこか煙の先の宙を見て言った。

「子供だって人間だと、俺はそう思うけどね。俺もでも、人間だからな」

 …そうか。

「すみません、批判では」
「わかってるよ。まぁ、どっちでもいいんだけどな」

 あぁ、そう。
 それはずっと変わらないこと。大人は上から眺めているようにしか思えないことばかりなのに。
 この人は多分、出来るだけ同じ高さなんだ。それなのに、いや、それだからこそかもしれない。
 とても、寂しくなる。

「…浮気調査って、自分でしたんですか?」

 噎せた千秋さんは「なんだって?」と涙目になった。

「あ、やっぱり」
「…からかうな。違うわ」
「…ん?そっかぁ、」
「いや、合ってるんだけど残念ながら探偵になる前で…」
「そうなんですか」
「探偵だったとしてもやらないわ恐ろしい…」

 それもそうか。

「…いや、まぁ、俺もかなり鬱だったというか、ほっといたのもあって、止めもせず惰性でしかなく…」
「ん?」
「…今傷に塩塗ってんの多分己自身だわ…」
「はは、」

 笑ってしまった。
 気まずそうに「だからからかうなって」と千秋さんは言った。

「こんな大人には」
「私も似たようなものかも?」

 更に千秋さんは「うん…」だか「うむ…」だかと。

 そうか、惰性か。
 兄が言った「二人だけの世界」と言うのをぐるぐると。

 千秋さんは子供をきっと、誘拐していない。それすらしようともしなかっただろう。

 なんだかそう、思った。それを手離したことを私が考えても仕方がないらしい。

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