国木田宅にて


現実逃避かもしれない。
めっちゃいいわ〜X。ナトリは今、嗅覚より聴覚が生きていた。

絶対夫は今激務現実逃避(でもある意味ストイック)になっているなと、ナトリの妻、美也子は、リビング隣の寝室兼自室の扉を開け、それでも気付かずに音漏れヘッドフォンを耳にしてエアドラムをしている夫に声を掛けた。

「なっちゃん、ねぇ!」

本気で気付かない。彼はどうやら今、風が吹き抜け走り出して何かに追われて人波に消えているらしい。

「なっちゃ〜ん、おい、ねぇってば!」

うるさいし夕飯出来たし。残念ながら妻はそれを遮断するしかないが、本人は全然気付いてくれない。

美也子は仕方なく夫の耳からヘッドフォンを取り上げた。

世界が一気に、武道館から自宅に戻ったナトリは、驚いて振り向いた。妻がヘッドフォンを眺めて渋い顔、愛娘の由亜もその武道館のような音源世界を興味深そうに眺めていた。

「うぉ、ごめん美也子」
「うわっ、なにこのヘッドホン、やっぱうるさい」
「パパおともれー」

自覚がなかった。というか今ナトリは倒錯中だ。

「ごめんそんなか。で、どうしたの」
「いやご飯出来ましたけど」

あぁ、そうか夕飯か。俺いつからこうしてたっけ。

「きょーはせっちゃんちのママのなち……だよー」

なんだ娘よ、可愛いなぁ。ナトリが現実に戻った瞬間だった。

てか、梨?

「梨?」

夕飯が?

「ナシゴレンね」

あぁ、ナシゴレンか。聞き馴染みがなくてわかんなかったのね由亜。どうやら妻は妻でまた現実に馴染みない夕飯を作ったらしかった。

「ナシゴレン?そんなの作れたの美也子」
「せっちゃんママから教えてもらった」

ママ友に吹き込まれたのか。ナシゴレンかー。確かに台湾にもあったけどね、紛い物みたいな料理ね。美也子、それ|魯肉飯《ルーローファン》言うばい、ありゃぁ卵掛けご飯ばい。

まぁいいや。リビングで自分達のライブみてツアーに備えようと、ナトリはナシゴレンより先に、自分達唯一のライブDVD(たしか新木場)をセットした。

「え、何なっちゃん」

え、いけませんか美也子さん。まぁ、言いたいことはわかるんです。

娘が妻の隣でニコニコしてる。俺のライブが嬉しいのかな、それとも珍しい料理が嬉しいのかな。まぁいいやとナトリは娘の隣に着席して再生ボタンを押した。

「はーい、さんにんそろったら?」
「はいいただきます」
「いただきまーす」

三人揃っていただきます。三人揃ってライブ見ます。しかし美也子は呆れた表情だった。

「また見るのぉ?」

まぁ、そうっすよね。一生分くらいこのDVD見てますからね。

「わー!まきちゃんとぶんちゃんだー!」

だけど娘は毎回楽しんでくれる。父としては誇らしいが毎回、ギターとベース担当、自分の仲間に喜ぶのだ。そりゃもう、食べるのなんて疎かになるくらいに。

「由亜、こぼすから!」
「パパいないー」
「あほらちらっと写った」
「まきちゃんだー!」

そして理由もわかるんす。ドラムって、真ん中にいるくせに後ろだから、なんか凄い曲のときしか取り上げられないんすよね。

「何回目なのこれ」

何回目かなマジでこれ。まぁ、これしかDVDが販売されていないのである。(もしかすると新木場じゃないかもしれないな)

「仕方ないじゃん、これしか映像が」

あ、一瞬映った。

「パパだー!」

やった娘喜んだ。

「由亜、ちゃんと食べないとママ怒るよ、せっちゃんママのナシゴレンなんだから!」

けど妻怒ってる。ナシゴレン。

「おいしーよママー!げんちゃん下向いてるー」
「頑張ってるからね忙しいな由亜、ねえパパはどうよ」
「ちっちゃーい」

呆れは越えたらしいけれども。

「このライブ3年くらい前?」
「うん」
「絶賛売れてないね。ナシゴレンどう?」
「旨い」
「じゃあ明日頑張ってね。どこ?」
「仙台」
「は?」

ツアーって、マジ移動多くてまぁ、この時間(ある意味仕事に割いているが)貴重なんだよなとナトリは思う。元々妻はファンだったから。呆れないで欲しいな。何回目だかわからん鑑賞だけどね。明日の朝には、またしばらく会えないし。

「マジ。朝発ち」

なのに妻はどうしてつねるの。

「いきなりやめてよパパ」

あ、なるほど。
照れたのか。理解まで少しかかったが、気付いてから今度はこちらがため息を吐く羽目になった。

「違うから!どうしてアイツらと同じこと言うの」

なのに結局ナシゴレンだし。

「あー美味しいナシゴレン」
「…そうだねー」

まぁ、楽しいけどね。

「パパうつったかっこい!」

娘が父を見て喜ぶ。
よっしゃ、明日から頑張ろうと、ナトリはナシゴレンを噛み締めた。

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