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「このUSB、貴方に託します。そうだなぁ、僕の猫に預けてください。家でお腹を空かせて待っているでしょう。ま、僕の遺言と財産です。このデータは、もうここにしか存在しない」

 そう言って彼はこの目の前にいる男、|茅沼《かやぬま》|樹実《いつみ》にこれを託したそうだ。

 それはまだ、俺が警察学校で|流星《りゅうせい》と出会う前だった。

 |海軍訓練所《かいぐんくんれんじょ》立て籠り事件。今からは10年近く前になると思う。当時、海軍訓練所で働いていた元|二等海佐《にとうかいさ》、|熱海《あたみ》|雨《あめ》という名の知れた天才が起こした事件だった。

 やはりそれなりに大きく、マスメディアはこの事件を取り上げた。

 俺を引き取り育ててくれたその恩人は、警察関係者では知る人ぞ知る天才的な戦術で数多の場面を切り抜けてきた人物だったらしい。
 彼がここまで有名になったにはもちろんそこには戦があるからであり、それはいまだに明るみには出ない部分ではある。

 彼は、上官であり施設の最高責任者、俺とも過去がある|栗林《くりばやし》|一等海佐《いっとうかいさ》のみを人質にし、海軍訓練所の全ての機密データやら武器やらを最早建物ごと一人で抑えたらしい。

 手口としては、栗林の左足の腿あたりを撃ち抜き動きを封じてから手足を結束バンドで縛る。
 やる気のなさがあるように思えるが、人質の人選や手際が確実で狡猾、そして用意周到さに彼の優秀さを誰もが感じたようだ。俺だって、あの事件を樹実さんから聞いたとき、「怖い」とすら感じた。

 その捨て身感と見えぬ心情に、なかなか警察や政府も手出しが困難な状況に陥ったらしい。
 だが、捕獲、交渉に樹実さんが現れ、結果、栗林一等海佐は殉職し、雨さんは訓練所を明け渡し、降参したのだ。

 テレビ画面には連日、手錠の上に白衣を掛けられた熱海元二等海佐の姿が晒されていた。
 しかし闇の事実があり、真実だけは煙に巻かれてしまい、罪は消え去ろうとしていた。
 USBは然り気無く紛失したことになり熱海雨は二階級特進となった。

「雨さんは、帰ってこないんですか?」

 俺は16歳になる年だった。
 あの日現れた樹実さんから渡されたUSBの意味なんてわからなかった。
 樹実さんからUSBを渡された俺は、その時は、震える手で受け取ったが、その場でそれを床に投げつけ、

「あの人を助けてくれてありがとうございました」

と嫌味を言ってしまったのだ。

「…助けてなんてねぇよ、多分」

 その時の切なさや、悔しさを浮かべた樹実さんに、俺は困惑してしまった。

ただ事実も悲しくて、無責任な雨さんがした原因は俺かもしれないとか、
だけど恨めないような、そんな樹実さんの態度に、泣くことしか出来なくなった。

「…あんたがそんなんじゃ、お、俺は、今、誰を、恨んだらいい…」
「俺でいいんじゃない?楽して生きたら?」

 そんなことを言うのに。
 樹実さんの抱擁に、耐えられなかった。

「うっ…、うぅ…」
「まぁ俺も正直、わからないんだよ。殺したくないから殺さなかった。ただそれだけだった。今後のこととか考えてなくて」
「でも…」
「あんたガッコー行くんだっけ?まぁ、それまでなんとか生きていける?住む場所は確保してやるよ。それなりの金もな。
 あとは自分次第だ。クソつまんねぇとこに立ち止まって安全に暮らすもよし、あ、一応暗殺されないように俺の連絡先教えるから。
 腐るのが嫌なら地に足つきな。ただそれだけだよ、生きるのなんて」

 言葉が響いた気がした。

あんた。
どうしてそんなことを、言うんだよ。

「なに、それ」
「早い話がてめぇで決めなさいってこと。結果は一年待ってやる。一年後どうしたいか、出資者である俺に連絡してこい」
「…はぁ」

 体温が離れる。
 そして、
雨さんの、リボルバー拳銃をあの人は俺に渡したのだった。

「襲われたらそれを使いな。あとはまぁ、死にたいときかな。じゃぁね」

 それだけ言って去って行く樹実さんを見て。
 拳銃を握ってみた。
 蟀谷に当ててから、トリガーは引けなくて。

「…てか、使い方わかんねぇよ」

 一人呟いて泣いて、USBを拾った俺は、それから少しの間、苦しかったんだ。

「これは僕の記憶なんです。それでいいんです。ただ、少しだけ贅沢を言うなら、ちょっとくらいでいい、覚えていて欲しいなぁ」

 後に樹実さんに、何かの機会で聞いた。
 こんなことを、あの人は俺に託したんだと、そう聞いた。

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