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知っている。それほど良い環境ではなかった。
初めましてを果たした日、「ヴィルでいいよ」と彼は爽やかな笑顔だった。
「隊長の親戚だって聞いたよ」
「…うん、そう…」
仲良くやろうな。
そんなものなんだろうかとその時は思ったが、彼の記憶というものはこれくらいしかない。
後は、最後の日と…ドアの前で入れずに踞って震えていた、それしか知らない。
世間知らずさにそれを「気の毒だ」などと、互いに傲慢だった。
隊員に注射器を出されて泣き喚いた日を思い出す。部屋を出て行った隊員に蹴られた彼を知り、ぼんやりしながらただ、泣いて謝るヴィリバルトにすら自分はどこか黒い念があったから。
「…俺はヴィルに対しずっと、後悔の念を打ち付けてやっていたんだ」
帰ろうと立ち上がる朔太郎は「なんだ?」と言った。
「俺はそういう男だよ、サクちゃん」
「…なんか知らんが、」
「クロエ…、」とボロ泣きで、息を潜めていたヴィリバルトが部屋に入ってきても自分は至って普通、なんなら笑ってすらやったかもしれない、「あぁごめんね、換気すらしてなくて」と言った際に彼は目をより開いた。
「クロエ、クロエ…」と狂ったように泣き自分の手を取ったヴィリバルトに「はは、それさっきエタンが使った所」と皮肉を込めた、彼はそれを舐めるほどに従順で…いや、もう単純にその頃には狂い始めていたのだと思う。
手を眺める。だから自分がどうして今ここで立っていられているのかがわからない。
…拳銃自殺しようとしたときですら彼は自分を止めた。その感情の微妙な濁りを感じ取ったとき、「気の毒だ」という物の効果を味わったのだ。
今日初めて足が止まりそうになった。
「…クロエ?」
やはり最後の、異常な笑い方が耳から離れない。
呼ばれてふと足元に気がついた。
「…あ、」
どうした?と、先にいた朔太郎の影が側に落ちる。
黄色い…花がひとつだけ根を張らせていた。
「こいつ強ぇな」
震えそうなのがピタリと止まり、クロエはまるで我に返ったような心境になる。
「…普通、こーゆーとこって咲かないもんね」
「向こう5年くらいは無理だろうな。お前もよく見つけたな」
確かに。
「はは、確かにね。ロシアではアドゥヴァンシュクって呼ぶけど、日本はどう発音するの?」
「タンポポ」
「どういう意味?」
「いやこれでしかねぇ」
「あそう?」
不思議な気分だと朔太郎は感じた。
「英語ですらフランス語の意味を汲むのに」と、心なしか明るく話すクロエに、全く興味もなく「へぇ、そうなの」と返すのは、しかし関心だ。
「ライオンの歯だよ、ライオンの歯」
「ライオンの歯?」
「ダンテは歯で、deはofなんだよ」
「英才教育?」
まるで子供のようで。
「いや、おフレンチに教わったことがある」
「この国特有だよな、その感覚。そうか、デンタルって言うもんな、なるほど。
うーん、俺はなんでタンポポをタンポポというかなんて知らないけど…あー、漢字はあったな確か」
「漢字?」
「うーん、中国語」
「意味汲んでるんじゃないの?」
「多分そういうんじゃない」
変なの!と明るいクロエに、意外とそういうところがあるのかと知った。
普段クロエは、そういえば人畜無害な人間だ。
自分は恐らく扱いにくい人間だが、例えばこちらが資料にのめり込んでいるときクロエは自然と静かだ。だからやはり、あの事件もこの事件も、意外でしかない。
故に、より信用というのがわからない。犯人に於いてはよくあることだが、またクロエのこれは質が違う。
「サクちゃん、なんでこの事件に興味あんの?」
「は?」
「サクちゃんのそれは興味でしょ。警察云々じゃなく」
そして、案外人の心は明確に読むらしい。
「…性かな」
「あそう、へへっ、なるほどね」
非常に暗いなと、ついネクラに考える。元来バカではないから見通してしまうところが、きっとこの青年にはあるのだ…と、肩入れに近くなるのに「いや、」と正す瞬間がこちらにも出来る。だから不思議なのかもしれない。
「…お前はどうなんだ。本当に知らないとすれば、知りたくはないのか?」
「どうかなぁ、そこまでギラついてないかも。どう思う?見方が変わるのかな?」
「どうかな、事件ってのは最後の余韻は「人とは」みたいな漠然とした倫理観になるからなぁ」
「だよね、きっと。サクちゃんのそのルービックキューブみたいな考えは良いと思うよ」
「…よくわからんけど、そうかい」
多分、これは対等だ。
単純に今日の収穫には満足した。やはり時給を掛けてもしょうがないものだった。
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