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 コーヒー牛乳をテーブルに起きっぱなしにし、体育座りで微動だにせず空を眺めていたカノンをちら見した相方に、カノンは目もくれなかった。

 P226を手にして無言で出て行く相方にイライラのような、切なさのようなものをカノンは感じていた。

 元来、体育座りはカノンの癖だった。
 身を小さくしていれば寒さも凌げる気がしていた幼き、殺したはずの自分の癖。今では優しくそれを許容、言い換えれば開き直れた自分に、なんとも思わなくなっていた。

 …あの銃口はかつて出会った日にこのこめかみに当てたものだった。サイズと軽さが丁度良い。自分に無理がない物を支給されたのだけど。

 あれの手軽さは身を持って知っている。

 左手で握り「動くな」と言いながらあの、ハンマーを押し開けた自分は酷く寒かった。孤独の蕾がまだ春を見ていないフィンランドの大使館。
 紅く滲んだ雪国に佇んだあの時、冷静さは欠いていて、未だに判断を誤った気がしている。

 結果、今は亡き存在になった。
 あの国で、一人のSPは死んでしまった。

 あの日自分の前に立ちはだかった、さっぱりした、アジア系で人形じみた顔立ちの男の姿を思い出す。口元の黒子に漸く人間味が出た気がして。

 カノンはポツンと置いてあった緑のパッケージに手を伸ばした。フタは開けっぱなしにして一本抜いて火をつけた。

 煙はどこへ逝くのか、あの男が撃った先は真後ろ、どちらかと言えば右寄りに自分の首元を硬く抱き、「殺すならこいつを殺せ」と言った政治家だった。

 「カノン・セルシンキ」と呼んだのちそれが合図で漸く笑い、「命緩めろよ」と男は続けたのだった。

 「張ってもいいことねぇよ」と。
 軽くなってしまった肩を上げハンマーを引くしかなかった。

 まだ長いままのタバコを揉み消し更に火を点ける。

 考えたら硝煙の向こうにいたあの男の言葉の意味は、あの時はわからなかった。

 ただ、P226をやっと上げられた自分の利き手は降ろせない。降ろしたら、あとは死ぬだけだと思えたが、歯を食い縛り、死んでやろうと考えたのだ。

 しくじったからにはそれが当たり前だと、感じて。

 玄関の扉が開く音がした。

「ただいま」

 あの声が低く聞こえる。まだ三口目のタバコを消してカノンはもう一本を抜いてはつけた。心は安定しない。過去は、未だに優しさをくれない。

 だが。

 相方から火薬の臭いはしなかった。メンソールでもそれだけはわかる。

 相方、|日向《ひゅうが》|湊《みなと》は寝室前、リビングの自分の真横に立ち、見下ろしたのがわかる。

「タバコ吸いすぎだろ、腹壊すぞ」

 痛く自分に優しかった。

 返事をしないままカノンはまたタバコを消し、また同じく繰り返す。湊が溜め息を押し殺してから寝室の硝子引き戸を開けるのがわかった。

 そのままコートを脱ぐのだとしたら、あのP226はやはり|切山《きりやま》の手に、渡ったのだろうかとぼんやり考えては、こちらが溜め息を吐くしかなかった。

 自分が警護していたクラント氏が、脱税して逃げ回っているのなんてわかっていた。だが、引き受けたからにはそれが正義だと信じるしかなかった。それは言い訳だ。

 本当のところその脱税で有り余った恩恵を受けていた自分が嫌いだったのかもしれない。あの頃いまより若かった。恐らくは切山くらいには。

 寝間着のVネックにコートを着て出て行った湊は彼を殺したかったのだろうか、守りたかったのだろうか。考えた先、隣になにも言わずに座り自分を眺めた湊を、なんとなく睨んでしまった。

 しかし彼は、綺麗なアジア系の黒目で自分を眺める。この目はなにか、咎められる気になってしまい、好きじゃないなと煙を吐く。

 また消せば湊がポケットからセブンスターを取り出し、咥えて火をつける。ジッポを擦る彼の、利き手でない左手の薬指には、質素な飾り気のないシルバーが嵌めてある。それは、あのころから変わらず、ある。

 着火してすぐ、思い付いたように湊は立ち上がった。

 コーヒー牛乳を作る気配がする。

 湊の分は、目の前にあるというのに。これは、自分にもしや、作っているのか。

 案の定、そうだった。左手のシルバーが嵌められた手が視界に入る。流石にカノンは睨み上げ、「いらないって言ってんじゃん」。

 これをぶっかけてやったら果たしてこの無表情はどう、動くかとカノンは考えたが、想像してもわからなかった。

「…殺したの」

 結局、不機嫌は口をつく。

「あぁ」

 表情動かずタバコを吸い冷めたコーヒー牛乳を飲む湊に、衝動が動いてそれを、ぶっかけようと手にした。

 しかし予想したのか湊はその手を包むように取り、「不機嫌だな」と、
口調のわりには心配そうな目をして言う。

 俺は誰に優しくなれないのか。

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