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 彼女の背中には、翼が生えているんだと僕は信じて生きていた。

 僕の中の彼女はずっと、キキだけだったんだと思う。

 感謝はしていないが夕陽は太一に告げる。「ありがとう」と。

 驚愕の表情を向けた太一に夕陽は薄笑いを浮かべた。

そうか、
あの陸橋と君は変わらない。
俺もそうで、
全部亡くなれば良いとどこかでまだ思ってる俺がいる、と太一は痛感した。

 何がそんなに嫌いか、愛しいか、はっきりしないが多分、本当は答えなんて。

 逢った瞬間からこの感情は動き始めたんだ。

「…たいち、太い一と…書くんだよ夕陽」
「…そう」
「夕陽、君は、」

 誰にも壊せない何か。触れない何かを君は夢見ているんだね、ずっと。

 あの雨の日の疑問が浮遊した気がした。君は何も知らない、無垢なままでここまで、やってきてしまったんだと友人を思った。

 多分、誰も愛してなどいないんだ。君は。

「…太一と僕は、どんな関係だったの?」

わかっている。
大したことのない友人だった。

「…親友、だったよ」

 嘘を互いに吐くしかないと、倦怠が勝った。

「…じゃぁ、僕の素敵な夢を話そう。幼い頃から、見ている夢を」

 そうか。
 讃美歌が聴こえるような、綺麗で真っ更な夢。

 僕はこれをララバイとし、メメントモリを捧げよう。

 現実の僕は君を、
頭の中の君ですら、葬らなければいけないらしいな。

仕方ない。
太一は最早泣いていた。

 初めから棲む場所は違かったんだと、無念と虚無に揺れる。

 泣きながら「ベットを倒そうか」と世話をする友人に、夕陽は目を閉じた。

 大丈夫だ。
 どんなときにもキキ、君は僕の中にいた。漂い浮かんで消える君のために、僕は友人らしい男を多分、傷付けたに違いない。

 そこへ行くには何かを棄てるべきだ。僕は君ほど幻のようには生きていなくて。
 この男もそう、雨の日を生きている。

「今日は、雨かい?」

 と訪ねる夕陽に確実になった。閉じた薄目は綺麗だ。幻想をさ迷う自分も夕陽も、ただただ人として生きた筈なのに。

 ずいぶん遠くまで来たものだな。君と出会って7年。親友でも友人でもなかった。

 太一は漸く夕陽の気持ちに気付いた気がした。君が失いたくないもの、渇望した幻は俺にも、あったんだ。

 ベットを倒し、「疲れたかい」と優しく声を掛ける太一は、目の前にあった夕陽が唯一命を繋いでいた機械のコードを一本ずつ外した。

 飛び立てば良いんだね、夕陽。生憎今日は曇りだが。

 点滴で繋がれた栄養剤だかなんだか、これも早めて満足した。

 異常を知らせる音はしない。だがゆっくりと夕陽が落ちて逝くのがわかった。

 一生起きないかもしれない。まだ混濁した意識のまま、こうして降下するのは、あのときと違う。

 全部ぶっ壊れたら君はキキに会えるだろうか、一生二人で漂い浮かぶだろうか。

俺は忘れないよ。

 それだけを残し、最後に夕陽の額に口付けてその場を立ち去った。

 三人殺した悪魔のような自分は、あとはやることなんて決まってるんだ。

 すれ違った晴香と、看護士にもかまわなかった。

 10階の廊下、階段の窓に足を掛け、
急降下した先の未来は遠く、儚いと知った、曇り空。
 雨が降り、流してくれるように。自然に返ろうと、太一の最後の意識はそれだった。

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