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 ある日、母に見せられた絵本の天使が忘れられない。
 あの恍惚を粉々にしたような純真さは僕の胸を打ち、釘付けになり、大人になった今でもこうして焼き付いている。

 僕の天使はきっと、幼い頃から君だった。
 君はとても綺麗な金色の、太陽に透ける髪で、目は真っ青で白い肌。
 刺繍しかない純白でふわふわなワンピースを来た君は過去に、僕へ振り向いて笑ったんだ。

Adieuさようなら

 と。
 後に「またね」だと知る僕は、もしかするとその日から動けていないのかもしれない。

 けれど僕は、その絵本で観た「真実の愛は滅びない」を信じて生きてきた。あの日の、輝いた笑顔を思い出せば、いつだって胸を暖かく出来る。

 僕が君と再会したのは、僕が三十歳を過ぎた頃だった。
 僕はとあるボランティア団体に所属し、あの絵本、聖書の意味を世界に広げる活動をしていた。

 18歳から親元を離れ、大学で宗教学を学び、二十歳の時に大学を辞め、活動を始めた。
 世の中には僕の知らない貧富があり、聖書の意味をそこで漸く理解した。

 しかし現地に行けば、どれ程に僕は汚れた、いや、ある意味綺麗な了見でこの聖書を学んだのだろうと知る。

 己が信じた真実は酷く偶像的な、グロテスクへと変貌を遂げた。

 そんなときに君は僕に指を這わせて頭の中で言うのだ。「aime encoreまだ、好きよ」と。

 僕はその純真さを粉々に打ち砕き、君の中の温かい真空に触れ、犬のように這うのだ。君に飲み干して欲しい、僕の愛をと。
救いなら僕は欲しくない。今すぐに指を絡ませたいと恍惚を見る。

 肺に水を浸したように溺れ、朝になり、なんの意味もないと知る。寝床に広げっぱなしの聖書を力なく閉じるんだ。

 君は確かユカと言う名前だった。
 その綺麗な瞳の奥で僕に言った「さようなら」を、繰り返して涙が出る。
 僕はいつだって歯を食い縛り、そう一人で生きていた。

 また朝に空っぽになれば、何もない顔で痩せこけた子供たちと接する。
 絶望も道で買えるほど、何もかも安く見えるような世界観が胸を浸すのだ。

 僕はそうやって三十を過ぎた。
 君のことを忘れたことは一時もなかった。

 潰れた教会で見つけた君は、痩せこけ、怯え、隅っこで身体を震わせるように、野良犬のような白人野郎に跨がり、泣いていた。

 この、フランスのとある教会は、経営やら、信者の暴動やらで潰れたと聞いていた。
 この建物を再建出来ないかと金を持ち、訪れたのだ。

 男の動作には幾分かの荒々しさが見えた。
 彼女がユカだと僕はすぐにわかった。

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