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 雨が、降っている。

 僕たちは美しい世界へ旅立とうとしている。だから一歩一歩が早いはずなのに。

 泥にまみれた地面にユカの歩みは遅い。
 僕は警察に捕まりそうだと、焦りもあるが、詰めたい空気には胃を満たして思い出す、小さな、子供の頃のユカを。

「良い子だから」

 僕はそう言って君の手をとってきたと思う。

 宿屋の裏路地、表に喧騒があって。イノセントな瞳で僕をみるそれは、美しく儚い。

 あの頃にみた綺麗なワンピース、輝く金色の髪、澄んだ青い瞳。
 ワンピースはまた買えば良い、髪も、また宿屋についたら綺麗に雨を洗い流したら良い。

 だから、
 怯えた泣きそうな、そんな目で。
 見ないで欲しい。

 けれどもここで一度立ち止まろうとしゃがんで、ユカを見上げて。
 
 イノセントなまま泥が染み付いてしまったワンピースをちょんちょんと握り、ユカは何かを訴えかける。 

 ハイソックスはとうに破け、左足に一筋赤い線が滲んでいた。

 どこかで、切ってしまったのだろうか。

「痛い?」

 そりゃ、痛いだろう。ユカは頷いた。

 僕は至極温かな笑顔を浮かべるよう努めてユカの髪をなぜて抱き締める。
 君はとても幼い虚無の顔をしたから僕は背を向ければ、両肩にすがる両腕と体重と少し低くなった体温とを感じる。生きる脈も感じる。

 とても不安になり手足が凍えそうだ。頭の一点から白い染みが、広がっていくようだ。

 僕は空白になりそうな頭で神父からもらった薬を思い出し、その一瞬の灰色に条件反射でポケットのプラスチックボトルを取り出して乱雑にそれをそのまま口に飲み込んだ。

 Opioid。
 何錠いったか。

 これには沈痛作用もあったかもしれないと、横顔でユカに口付けをして1錠を舌で転がした。
 ラムネでないそれにユカは顔をしかめた。

 痙攣するような舌は甘い。がり、がり、と噛み潰して僕はユカの両足を抱え歩き出した。

 溶け出した劇薬は甘さに空白をかけるように痺れてくる。がり、がり、と溶け出して、前後の雨の景色を曇らせていく。啜り泣くようなユカの息に身を寄せて、美しい世界へと、歩道を歩いていく。
 ユカの、湿った嗚咽のような行きが耳にかかる。

「ふ、はは、」

 今ここにある気持ちは、こんなにも生々しいというのに。
 おかしくも、楽しくもないから、笑っていよう。僕とユカの幸せは昔から変わらないでいられると、そう信じて雨の中を歩いていく。ずっとずっと、こうして、遠く遠く、どこまでもずっと。

 身体の中で、熱のようなものが疼いている。
 身を焦がすような気持ちになる。ならばこの臓器の痛さは、僕が焼け爛れていくものなのかもしれなくて。

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