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 頷いて漸く「中川さん、お茶、ありがとう」と奥様は私に振り向いた。

「…どうやらこれだったみたいですね」
「そうですねぇ…きっと沢山寄ってきてビックリされたんですね」
「なかがわさん、」

 泣きべその坊っちゃんは「ありがと、おちゃ」と言えるだけまわりを見れるように戻っていた。

「いいんですよ。山田さんにもその調子で行きましょうね」

 ほっと胸を撫で下ろした奥様は後に「なるほどと思いました」と語った。

「あの子の道徳や…とにかく怖いというものを使えばわかるのだと……いや、あの子がもしも理解出来なかったらどうしようだなんて…心配だったんです」

 彼女の悩みは尤もだった。

「それどころか、なんだか酷い話で、人として…あの子を私が蔑視しているのではないかとすら思えてしまって。そういうことを言っていないと怖くてたまらなかった。全く酷いですよね」

 彼女は相当悩んでいたのだ。
 それをきちんと誰かに言え、自覚できる彼女に、私は少なからず傷付いた。恐らく私は息子をそうして愛していなかったからだ。
 彼女はとても繊細で難しく、聡明な人だったのだ。

「…ご立派ですよ、奥様、」

 だからこそ私には掛ける言葉なんて、ない。

 山田さんは坊っちゃんと奥様の謝罪に「あぁ、本当にいいですので、」という調子だった。
 坊っちゃんもそれを「嫌われちゃったのかもしれない」と、感じてしまうような子供だった。
 早くして、皮肉にもとても賢い子供であったのかもしれない。それだって、奥様にも私にも何も言えないことなのだ。

 自分は実は生きにくいと坊っちゃんは早くから知っていた。そういう感性にきっと、大人になるまでも悩んだだろうと思う。私たちより遥かに、感受性が豊かなのだから。

 奥様が二度目に怒ったのはそれから近く、それは私には忘れることが出来なかった。

「中川さん家の子供は取られたってほんと?」

 ふと、坊っちゃんが私にそう言ってきたのだ。

「取られた?」
「手伝いさんが言ってた」

 一瞬意味が汲み取れなかったが、もしかして長男のことかと気付けば、容易に陰口だとわかった。
 しかし坊っちゃんは「それってどういうことなの?」「悪いことなの?」と、とても心配そうに言っているのだとわかった。

 すぐに「あの人出来が悪いから」と噂話をしている手伝いたちの姿を頭に浮かべてしまう自分に、坊っちゃんの純粋な顔を見て何とも言えない気持ちになったのだけども。

「そうですねぇ…」
「どうして悪いことをしたの?」

 私が悪かったのか。

 それどころか大人の私は、もし坊っちゃんや奥様が…「あの子も癇癪だし」だとか、「奥さんも若いからなのよ」だとか、その場で罵倒されていたのだとしたらとありありと頭に浮かべてしまう。

 私が直接聞いたことなどないのだけど、最早手伝いは坊っちゃんに根を上げていたし、皆の雰囲気でありありと感じていた。
 それを大人は隠しもしなかった、それらを自ら坊っちゃんが見ているのだとしたら…言葉など見つかるものではなく。

「悪いこと、ではないのですが、出来は悪かったんですよ」

 しかしそれは。

「けれど、息子は良い子でしたよ」

 本当に私はそう思っていたか、ただ答えに困っていた。

 でも、間違いなくそう答えたときに「あの子を否定したくない」という大人の利己が走ってしまっているとも自覚した。
 その延長線上に坊っちゃんがいることすらも否定しなければならない気になってしまい、非常に切なくモヤモヤした。

「そうなんだ」
「ええ」
「おれもそれがいいな」
「…そうですか?」
「うん。おれもそれがいい」
「…坊っちゃんはとても良い子ですよ」
「中川さんの子がいい子なら、中川さんも悪いこと、ないんじゃないの?」

 それが純粋に言われてしまうのだから、やはりこの子は沢山のものを見て考えているのだと思えたのに。

 坊っちゃんが奥様にどう聞いてしまったかはわからない。
 ただそれからすぐに帰った坊っちゃんの部屋から「なんてこと言うの!」と、奥様の怒鳴り声がした。

 駆けつければ地面に伏した坊っちゃんがいて、奥様が叩いてしまったのだと「やめてください奥様、」、私は坊っちゃんを庇うことになった。

 驚いた坊っちゃんは最早何も言えなくなってしまっていた。

「奥様、どうされました、」

 奥様が非常に言いにくそうにしている。

 我に返った坊っちゃんは「うぅ…」と徐々に泣いてしまい、その事にも奥様は動揺を隠さなかったが、頑として怒りは改めなかった。

「お母さんは、お母さんは!!」
「坊っちゃん、大丈夫ですか、」
「お母さん、悪いんだ、お母さんは悪いんだ、」

 手をあげてしまったということに奥様は我に返り、「和昭、ごめんね」と謝ったが「中川さんがいいよ!!」と坊っちゃんは私に抱きついてきた。

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