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 勿論、他の家政婦もそれは同じ、寧ろ私はかなりの若手だったのに。それに意味はひとつしかなかった。

「8歳で亡くなってしまいました。
 私も奥様に言おうか迷っていました。そうです、今はなんて言うのだったかしら。当時は我が儘と片付けられましたけれど」
「貴方のお話も、和昭への対応も的確で」
「いいえ。私は奥様ほど息子に優しくありませんでしたよ。
 理解が出来ず、すぐに叱りつけてしまって。それがより悪化してしまうと、今になって知ったくらいですよ。
 息子がそういった…病だと知っていればと思ったこともありましたが、いや、私は却って冷たく接してしまったかもしれません」
「…難しいですよね」
「そうですね…でも、まぁ、いまの時代の方が寛容ですからね」

 自分のことも少しは、責めなくてもいい、そんな優しい世の中でよかった。
 奥様を見てそう思えた。

「その分私たちより、豊かで優しい子なのだと、私も当時に思えていたらと思います」
「…確かに、感受性が豊かなんでしょうね…きっと」

 赤い目の正体は、それから間もなくわかった。

 晴耕雨読、のような生活の中でも、奥様はきっと私よりも遥かに「寛容であること」という面で悩むこともあったのだろう。
 奥様が坊っちゃんに怒ったことは過去に二回だけだった。

 ある日、坊っちゃんが庭の池に石を投げていたのだ。

「やめろっ!あっち行けよっ!」

 聞こえた声で、夕飯の買い物に行こうとしていた私はすぐに庭へ向かった。
 一人の手伝いも困り果て、「和昭くんっ、」と声を荒げる状態。

「どうしたの和昭」

 しまいには側にいたその手伝いにまで石を投げようとした坊っちゃんを「辞めなさい!」と奥様が止めに入る程のものだった。

「たくさん、たくさん!!」
「和昭、」
「たくさん来た!!」

 坊っちゃんが片手に鯉の餌を持っていたことに、私はなんとなくピンと来た。

 しゃがみ、パニックになった坊っちゃんの腕を掴んで宥めようとする奥様に、その手伝いが「和昭くんがいつも石を投げるので…」と話し始める。

「鯉の餌を渡したのですが…」
「い、いつも、いなくなるのにっ!!こいつら!」
「和昭、」
「鯉が怖かったんですね、坊っちゃん」

 池の畔にはばしゃばしゃと口を開ける鯉たちが群がっている。

 坊っちゃんは泣きそうに「だって、だって!」と過呼吸にすらなりそうだ。
 状況を理解した奥様は静かな声で坊っちゃんに「謝りなさい」と諭した。

「うぅ…、うぅ、」
「まずは山田さんに謝りなさい。山田さんは鯉じゃないでしょ、どうするの当たっちゃったら」
「だって、」
「謝りなさい!」

 初めて声を荒げた奥様に、坊っちゃんはおろか私たちも一瞬は黙ったのだが、すぐに坊っちゃんが泣き喚き、ただただ言葉にはならない言葉をずっと吐き始めるのだった。

「…山田さんごめんなさい。お怪我はないですか?」
「はい……」

 明らかに手伝いの山田さんは「関わりたくない」と言うような、引きつった顔で「大丈夫ですよ奥様…」と口上を延べ困っていた。

 奥様は顔を見合わせ山田さんをその場から去らせてすぐ、「痛くなったらどうするの」と坊っちゃんに畳み掛ける。

「山田さんに嫌われたかもしれないね和昭」
「うぅ……、うぅぅ…っ!」
「ねぇ聞いてるの?」
「…奥様、」
「どうしてそんなことをするの、」

 坊っちゃんはいま話したくても、きっと話せない。

「…奥様。
 少々お買い物は遅くなりますが、お茶を入れてきます、座ってください」

 私はすぐにお茶を用意し縁側に持って行ったが、二人はそのまま膠着状態だった。
 「ねぇ、」「和昭、」と奥様が一方的に根気強く諭している。

 池の鯉も散り、水面は穏やかさを取り戻している。
 これなら坊っちゃんも少しは落ち着いてきたかもしれない。

「…石が当たったら痛いのよ和昭。そんなことをされたら山田さんだって怖くなるでしょ。和昭とおんなじよ。
 鯉だって、食べて死んでしまったらどうするの、当たっちゃったら痛いのよ、」

 私は黙って二人を見守ることにした。

「…何が怖いの?
 わからないなら、わからないからってそういうことをしちゃダメ」
「でも、」
「うん」
「ばしゃばしゃしてて、」
「うん」
「口も開いてる」
「…もしかして、食べられちゃうと思ったの?」

 頷いた坊っちゃんに奥様はただ、「大丈夫よ」と言った。

「じゃあ、遠くからこの餌を投げなさい。怖いならお部屋に戻ること」
「…うん」
「山田さん、怖がってたわよ。
 まずは今すぐ山田さんに貴方が謝りに行きましょう。お母さんも後ろについてる。
 …けどその前に、お茶を飲んでゆっくりね。わかった?」

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