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 もしかすると辛辣な何かを聞いても当たり前だと、少しだけ腹を括っていた緊張が、勝手に解れたからだろうか。

 当たり前だ。この子とも、この子が8歳の時からやってきている。

 始めは同情するほどによそよそしく遠慮がちで、言葉は正しくないかもしれないが礼儀正しい、一言で「凄く良い子」であった、だから私にはこの子の母親に良い感情がないのだ。
 どこかで、捨ててよかったね、だなんて勝手な他人の主観が入るほどに。

 この子は家の子だ、これは勝手だけど、間違いじゃない。

「…結果母を捨てたことも僕が選んだことです。
 確かに…そう、言い表せない葛藤もありましたが、この家の人を恨んだと多分みんな思ってしまったのではないか、という気の病みは強かった、言い出せないほどに。
 でもね、違うんです。そんなことでこの……何年でしたか、まぁ20年以上ですね。そんなことで過ごしていません、これは本当に。なんと言えば良いかわかりませんけど……。
 和昭くんを捨てられないのも凄くわかります」

 大人になって、こんなに滑らかに喋る。

 あぁ話せたんだ、でもまぁそれは知っている。何故また閉ざしたのかはわからないが、確かに言葉は少ないし、病んでしまっていた…というのはそうだろう。

「…ゆずちゃんのね、気持ちは私には…計れないんですよ。私の方がこんなに生きても、貴方の方が」
「僕も恵まれています、本当にね。
 去るというの……寂しい、けど、引き止められないのはもどかしいなぁ。でも、はい、じゃあどうしましょう…年賀状とかを…」
「それは勿論ですよ、」
「うん、うん、」

 多くを語らない彼に、私はここで過ごして本当によかったと思えた。
 彼に坊っちゃんを任せることは出来る、間違いなく。

「中川さん」

 彼はふと、感慨深そうに目を細めた。

「…他人であった僕みたいな子供を、いままでありがとうございました」

 …それこそ。

「それこそ、そんなことでこの20…6年を生きていませんよ」
「…はは、」

 彼はふと笑い、「僕たち、似た者同士かも、ですね」と明るく言った。
 間の後、やはりまた感慨深く池を眺める。

 私はふとある景色を思い出す。

「あぁ、中川さん、覚えてますか。池。
 金魚を、彼が…」
「…ありましたねぇ、そんなこと。お祭りで頑張って集めて。ゆずちゃんに見せたいって。
 実はねぇ、坊っちゃん、鯉は赤くて嫌いだったんですよ」
「…そうなんですか、」
「ええ。あとまぁパクパクと寄ってくるでしょ」
「…どうして金魚なのか疑問だったんですけど、なるほど」
「昔石投げちゃってね、奥様に怒られていました。見かねた旦那様が売っちゃったんです。ゆずさんが来た頃、何もいなかったでしょ?」

 それほど貴方を、ね。

 話を聞くゆずさんのキラキラした顔。長年触れなかった確信は更に濃くなる。

 旦那様が興味のなかった書道に突然打ち込み始め今に至っていること、急に寝てしまったのか坊っちゃんを膝枕していたゆずちゃん、坊っちゃんが倒れたのだと心配した私に笑顔で「寝ちゃったみたいです」とでも言いそうな彼の姿が目の前に浮かんで思い出す。

 旦那様が脳梗塞で突然呆気なく亡くなり、まるで呼ばれたかのように突然死してしまった奥様、その仏壇の前で呆けていた坊っちゃんの肩を何も言わず抱き締めていたゆずちゃん、二人の背中。

 相乗効果で、今でもありありと思い出せるのは秋頃の静かな…いまは書斎になった、この、隣の部屋。

 障子からちらっと見えた、向かい合って胡座をかいた中学生の二人。
 いや、ゆずさんは旦那様に膝立ちで寄りかっていた、息も空気も熱く。

 「待っ…て、」と切れ切れで、あれは何故二人を呼びに行ったのか…おやつだかお茶だったか忘れてしまったけれどすぐに、はっ、となった。

 そうだった、思春期だし配慮も足りなかったと気配を消して台所に戻ったあの日。

 私は思ったよりもそれに衝撃を受けた、声も出そうになったのだ。

 女の私にはわからない事情で邪なのは重々承知だが、恐らく、そうか、二人はそうなのかとそれから今までどこか、思っている。
 多分これは間違いじゃないだろう。

「是非…圭太さんにも、もう、話されたんですか?」
「いえ、まぁ、いまからです」

 安心ではあるのだが、去るとしたら少しだけ…この子に、ならばと思う。

 純粋故に旦那様は歪んでいて、離さない、離れられない関係なのであれば…と。

 親の感覚なのだろうか、二人の未来の明るい面と暗い面を見るような気になるのだ。
 これは勿論、浅ましくも烏滸がましいのかもしれない。

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