無色透明色彩


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新年早々肺が犯されてしまった。厄年は去年で過ぎたはずなのに、過ぎた瞬間にこんなことになるとは思いもしなかった。

しかし明日からリサイタルがある、どうにかして早く治さねばなるまい。不本意ながら、そんなことが可能な医者はこの大学内にしかいないということは、分かっていた。

かといって今は元旦。大学の病院はやっているはずもない。が、あの人なら間違いなく研究室にはいるだろう。

あまり行きたくはないが事は急を要する。仕方なく私は休日を返上し、職場でもある行き慣れた場所へ向かうこととなった。

電車に乗って15分、|帝都中央国家学院大学《ていとちゅうおうこっかがくいんだいがく》に足を運んだ。

最早名前がわかりにくい。
ただこれだけわかりにくいということは、学科もわかりにくいくらいにたくさんあって、都内でも有数の大学なのだ。

私が向かうのは2号館。ここには医学部や生物学部などがある。はっきり言って何があるか全ては把握しきれない。こんな時以外には私とは全く関係のない学部の集まりだ。

受付に入館証明書を見せて場所を尋ねた。その場で彼に内線を繋いでくれて、居場所を教えてくれた。

受付から教わった2階の研究室3へ行ってみる。何度かこうして来たことはあったので場所はわかった。扉をノックすると、「どうぞ」と聞こえたので中に入ってみた。
何度か見たことのある、診察室ではないのに診察室に似たような部屋。

そこには毎回ながら、白衣を着た黒縁眼鏡の主治医が、柔らかい笑みを浮かべ、椅子に座っていた。

そしてもう一人、見慣れない長身の、柔らかな茶髪で少し髪が長めの、マスクをした白衣の男が腕に注射器を指しているところだった。

なんだこの光景は一体。

「あー、全くもう元旦早々勘弁してよね」
「ヤクルト冷蔵庫に入ってるから飲んでいーよ」
「はぁ〜、ガキじゃねぇっつーの。人のこと呼びつけたと思ったらなんだよお前」

長身男は注射器から、どうやら血液を抜き取って投げるようにしてデスクに置くと、言われた通り、冷蔵庫からヤクルトを取り出しまた椅子に座って飲んでいた。

「やぁ|櫻井《さくらい》さん。気にしないで座ってくれ」

私の主治医である|喜多《きた》|雪春《ゆきはる》は、不機嫌そうな長身男を無視して笑顔で私に前の椅子を進めてきた。

凄く居心地が悪い。

「今日はどうしたの?」
「肺がちょっと痛いので来ました。明日からリサイタルだし、早々に手を打つならここしかないなと思いまして」
「息苦しいの?」
「はい」

私がそう答えると、喜多先生は白衣のポケットから聴診器を取り出し、音を聞き始めた。すぐに、

「あぁ、多分肺炎になりかけてるね。|鶇《つぐみ》、その棚にある厳重注意取って」

言われた本人(長身注射男)は、先ほど採取した自分の血をプレパラートで覗いていたが、物凄く鋭い目付きで喜多先生を睨み付け、棚から箱を取り出したかと思いきや、またデスクに座って手元にあったファイルを、相手を見もせずぶん投げた。危ない。

だが喜多先生は慣れたように、表情を代えず相変わらずなにたにた笑顔で見事キャッチした。

「機嫌が悪いな|葛西《かさい》先生」
「…ぶん殴るよお前。薬の説明書よく読んでちょーだいね喜多教授補佐」

なんだろう、この二人もの凄く険悪。

「あれ…?」

|葛西《かさい》と呼ばれた長身は、ふと私を見た。何秒か見つめ、「君、誰?」と、至極冷静ながらポカンとして言った。

もしや今更私の存在に気付いたのか。まぁ確かにここに来てから一度この人と目なんて合っていなかったが。

マスクで見えないけど目だけ見るとなんか物凄くビックリしてるんだけどこの人。確か葛西とか鶇とか呼ばれてたっけ。どっかで聞いたことあるような気もするが、この大学では有名人なんていっぱいいるから正直わからない。

「有名なピアニストだよ。|櫻井《さくらい》|詠司《えいじ》さん。明日からリサイタルなんだって」
「あ、あぁ…どうも…」

明らかに葛西さん、挙動不審。そんなに驚く必要あるかな。名前を聞いた瞬間凄く警戒心に満ち溢れた目で見てきて。

「ふぅん、ピアニストねぇ…」
「あれ?知らない?」
「そんなに有名なの?」
「…君が世の中に関心がないのは知ってるけどさ、ちょっと疎すぎない?」

何か言ってやりたい気もするが、肺炎のせいで咳が酷く、あまり喋りたくないのでやめておこう。

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