無色透明色彩


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すると彼は、思い付いたかのようにまた棚を探し始めた。下の段を漁り、“取り扱い注意”と書かれた箱と、もうひとつ何も書かれてない箱を取り出す。

そしてそれぞれ箱から薬品を一本ずつ取りだし、喜多先生に渡した。

「30分後に投与してちょーだい。多分これでいける」
「“厳重注意”より?」
「あれはまだ研究段階だからだーめ。だったら無難に確実にいった方がいーでしょ?最初に取り扱い注意、次にこっちね」
「ちなみに君どうだった?」
「俺はあんまあてにならないの知ってるでしょ?何ならその子の血液ちょっと頂戴。やってみるけど」
「型は君と一緒だよ」

そう喜多先生が言うと、長身は一瞬顔をしかめた。

「んー…あ、丁度いいのあった」

そう言うと先ほど自分で採取した血液を器用に数滴だけその場にあった小さいメスシリンダーに垂らし、次に取り扱い注意の箱から取り出した薬品を数滴垂らし、よく混ぜてからリトマス試験紙のようなもので何かをチェックする。

そして頷いてから、今度は白い箱から取り出した薬品をいれ、また違うリトマス試験紙みたいなものでチェック。最終的に喜多先生に見せ、

「微妙ラインだよねー」

とか真剣に話し合っている。
いや、何してるか皆目わかんない。

まさかと思うが私は、何か実験に使われるのか?いや、毎回無茶を頼むときはそれを承知で来ているが、それにしてもこう目の前で見せられると気分が良いものではない。

「やっぱ“厳重注意”の方がいいんじゃないかな?君もそれで大丈夫だったんだろ?」
「うん、まぁ。ただ…」
「ただ?」
「うーん、どっちもどっちかなぁ。あとは抵抗力とかもあるし相性もあるからねー」
「というわけで櫻井さん」
「え、あ、はい」
「注射多いのと少ないのどっちが良い?」
「どっちでもいいです」
「ああそう。ちなみに櫻井さん的には肺と指先、どっちを優先させたい?」
「まぁ指ですね」
「だそうだけど」

喜多先生が話を振るも、本人は聞いていない。また何かプレパラートやメスシリンダーで薬品を眺めている。

「もしもし天才葛西先生?」
「なんだようるさいねぇ。次それで呼んだら塩酸血管に注ぐからな」
「櫻井くん的には肺炎球菌よりも指先重視だそうだ」
「じゃぁ“取り扱い注意”と“白箱”。肺炎球菌治療は明日以降にしてね、絶対」
「わかった。
という訳で櫻井さん、腕を出してください」
「え、あ、はい…」

凄く怖いんだが。

「あぁ、大丈夫。彼は…
そっか、紹介してなかったね。彼は」

まさしく喜多先生が注射を持とうとした瞬間だった。再び、今度は医学字典が喜多先生の顔付近まで飛んできたが見事にキャッチ。

「噂話は好かないんだよねぇ」
「…はいはい」

医学事典をデスクに置いて何事もなかったように涼しい顔をして、私は喜多先生に一本目を打たれた。

長身は荒々しく立ち上がり部屋を出て行った。

「はい、押さえて。じゃぁ30分後にもう一本ね」

そう言って主治医は立ち上がり、ティーポットに紅茶を注ぎ始めた。

「一応具合悪くなったら言ってね。なんなら寝ててもいいよ、とくに何もないし、暇でしょ?」
「まぁ…あの…彼は…?」
「あぁ、まぁ彼は時期的に今殺気立ってるんでしょう。まったく女子みたい。
まぁ殺気立ってないことの方が少ないけどね、ここでは」

そもそもどこの誰なんだ。いくら人が多いとはいえ、初めて見たぞ。きっとあの感じだとこの人とも知り合いなんだろうし、医療に携わっていそうだけど。

喜多雪春。この人の名前は、研究実績ももちろんのこと、病院でも信頼されている“若き院長”、“最新医療の申し子”と呼ばれる男だ。そんな男にあんな態度を取れるなんて、よほどの世間知らずかよほどの地位を持つ者かのどちらかだろう。

まぁいい。取り敢えず、言われた通りに寝てることにしよう。

一声かけてベットを借り、ひとまず横になった。

いつの間にか眠りについてしまったようで、急に走った一瞬のちくっとした腕の痛みに目が覚めた。

目を開けるとそこには、出て行ったはずの長身が私の腕に注射器を射していて、薬品を打ち込んでいた。

「あぁ、ごめんね。色眼鏡はちょっとタバコ吸いに行ったから」

取り敢えずこれは動いちゃダメだ。
けど、なんなのこの人。普通やらない。

薬品を半分ほど打つと、そのまま注射器を抜いてゴミ箱に捨て、「押さえといて」と言われたので取り敢えず言われたことに従った。

「確かに呼吸が苦しそうだったね。明日一応リサイタル終わったら一度ちゃんと肺炎球菌ぶっ殺した方がいいよ。まぁ多分これで弱まってるとは思うけどね」

片手で何か書きながら私には目もくれずダルそうに言った。

何だろう、医者なんだろうか。でもそれにしては見たことがないな。

「それと、これに名前書いといて」

ひょいっと紙を渡された。全部英語。翻訳するとどうやら、血液の提供の書類だった。

「ん?」
「名前ローマ字ね」
「分かりますよ、英文ですからね。別にこれ同意しませんけど」
「あー…そっか。あんたピアニストだっけ」
「読めないと思いましたか?」
「そんなところ。あんたマイナスなんでしょ?」
「そうです」
「だからまぁちょっともらっとこうかなと思っただけ。嫌ならいーけどね」

全然視線を書類から上げない。まるで興味がないようだ。何かちょっと、この人イラっとする。

「あなた、お名前何ておっしゃいましたっけ」

そう言うと漸く顔をあげて視線を寄越してきた。目を細め、じろっと見られると少し居心地が悪い。

「珍しいね。大抵一回聞けば覚えられる名前なんだけどな」
「申し訳ないですね。何分楽譜以外はあまり読んでこなかったので人の名前を覚えるのが苦手なんです。物覚えが悪くてすみません」
「あれ、てゆーか、もしかして知らない?俺のこと」
「どこかでお会いしました?」

しばし沈黙の後、どうやら堪えられなかったらしい。吹き出すように相手は笑いだした。

何が面白いんだかわからない。

そんなとき、漸く扉が開いた。喜多先生が驚いたようにこちらを凝視していた。

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