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「これの母は、そう……すぐに第二子を産んだ、これは女子だったそうな。身体が弱かったそうで、母子ともに亡くなってしまったと聞いた。
 父はそれからすぐに正妻藤原ふじわら繁子つねこの妹を娶ったが、まだ16の娘でな。母は主が死んだ故にその娘の下女になったが、それにこれを守れと、そう言われたのだと。
 彼女たちがどういう経緯でか…少し、わかるような気がする。あそこは女の園なのじゃ。じゃが、大切にはされない。
 せやから妾が、女の身でありながら桂宮を継承したのじゃ」

 それが、藤嶋の言った「お前の理」なのかもしれない。
 誰かを思い、何かを捨て…それは、犠牲でしかないのだとしたら。この傷は、どんな犠牲で何を思ったのか、きっと墓場まで持って逝かれてしまった気持ちなのだ。

 感情すらも捨てるのが仏教であり、神道と通ずるものがあるのなら。この橋渡しをするのは、一体誰だったのだろうか。

「……そんなら、気に入りませんよ、藤嶋さん」

 何かを守りたかったのかもしれないし、解き放ちたかったのかもしれない。

「こんな、つまらんことで…わてなんかのことで死んでどうするんですか」

 地位だなんだと、そんなものすら言わなかったくせに。刑場でガキ一人を拾ってきたくせに。やはり、徳を忘れている、この男は。

「…国とかどうとかじゃなくて。守りてぇもんに理由なんざねぇんじゃねぇの?そんなの、自分のもんなんだから」

 土方にそう言われ、翡翠はひどく驚いた。
 まさか自分がこんなに心を痛めているなんて。

「…ひっそりと暮らしひっそりと帰って行くか…」

 これが、どれだけ孤独で寂しいことなのか、いや、きっと。

「孤独を捨てたのかもしれないな、こいつは。翡翠、それはお前の事かもしれない」
「……せやからぁっ、こん人は、ただの忘八やったんやて、」

 俯き拳を握る翡翠に「まぁ、そうだな。でも」と朱鷺貴は、それも前説かと続ける。
 例え気紛れだったとしても。

「確かにこの男に国は守れなくとも…まぁ、自害に相違ないな。全く勝手な野郎だ。
 あんたはじゃぁ、神道か。でも」
「構わんから赴いた。これが妾の心の…大部分じゃ。
 …ふっ、まさかな、良い死に方はしないと思っておったが、これでは」

 いや。

「まぁ、ぐだぐだ言ってもやることは変わらない。お偉いさんから勅令が出たのであれば、俺は経を読むよ。この調子じゃ…墓に、心配もなさそうだし」 

 …バカな男。
 誰しもの足元には死が土となり積もっている。
 だから全部、終わらせてやるよ。

 数珠を出せば自然と親王も、副長も自分の後ろに座るものだが、翡翠はどうも棺の側から動けないようだったが。

 そもそも…と、朱鷺貴は般若心経を読んだ。

 何一つ物を持たない「無一物」と…今や流行りの「垂加神道」…似てもいないなら非なるのに、同じような気もしてくる。誰しもに上下がない。

 あんたはだからきっと、神を信じなかったんだろうな。確かにこうなればもう、どこにも神は存在しないよ。それを、平らだともまだまだ言えなかったのだから…あんたらしいよ。

 後説を考えた。人は人である。土は土である。火は火である。木は木である。金は金である。水は水である。そう、説いてみた。

「…なるほど。
 …坊主や」
「はい、なんでしょう」
「では、己の神は、なんなのじゃ」

 そんなもの。

「どこにもいやしませんが、自分はいます。彼は、さぁ果たして、どうだったんでしょうね」

 そもそも、徳等という考え方ではなかったらしいですよ。
 そう考えたら全てに合点が行った気がした。
 全ては自然の摂理、か…。

「…なるほど」
「俺は仏教の坊主なんで、まぁわかりませんが」

 思いを馳せることもなく、妹はお忍びで帰って行く。

 …幹斎の背が浮かんだ。
 出会った若かりし頃の彼らは結構、実は気が合ったんじゃないか。それは言わずに留めておいた。

 親王を見送る頃には翡翠も立ち、ただただ頭を下げていた。

「…翡翠」
「……はい」
「お前が今ここにいるのも、去るのも、恐らくは摂理なんだと…あれはそう残したかったんだよ」

 はっと見上げてくる翡翠の顔はもう、どうにも感情的すぎた。
 それにふと満足し「多分ね」と、朱鷺貴は答えておいた。

 やはり随分と物は持った。
 これを減らすのか、そのまま自然と化すかは多分、今の状況が一番の考え時なのかもしれないと、朱鷺貴は法衣を脱ぎ捨て「バカ野郎」と密かに藤嶋へ投げ掛けた。

 半端なままで、どこまで行くのか。

 どうやらこの先を見守るには、お前らじゃダメだったようだぞと、心に秘めて。

 親王の駕籠が見えなくなると、一人考え込みどかっと座っていた土方が「こんなときに悪いが」と声を掛ける。

 確かにそうだなと思い当たり、「ふむ、」「はい」と、朱鷺貴と翡翠も座り込む。

「…茶は、いりますか」
「残りがあるだろ」
「…そうですね」

 まずは藤嶋の元に供えた茶を一気に飲み干し、翡翠は渋くなったほうじ茶を二人に出した。
 誰かに頼もうにも、人はあまりいないしこれは、密葬だ。

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