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「…あいつが悪いんだよ、全く…」

 まだ手に残る、あの感触。
 皆勝手だ。勝手に手放し勝手に離れていく。血生臭くて、それが命で。
 案外ちっぽけで何も出来ないと悟ればすぐに手放しやがる、それが、昔から嫌いだった。

「南條、」

 土方がふと、朱鷺貴を呼んだ。

「…公家の重鎮と聞いた。俺も会津の身だ。参列して良いものなのか」
「……やめた方がいいだろうと…思う」
「そうか。じゃぁ個人として」
「何故、」
「…興味だよ。お前らの生き様という名の」

 生き様。

 翡翠の脳裏に、藤嶋が笑いながら「お前は泥沼より、清流の方が似合うだろ!」と言ったあの時。新しい、ライフを始めないかと言った日が浮かぶ。

「………一応、密葬かと…」

 駕籠の方を眺めた朱鷺貴と、駕籠から出てきた親王。
 それを見てふ、と息を吐き「どの道大したことは出来ないだろうし」と朱鷺貴は言った。

「あぁしゃらくせぇ。神さんなんて誰が何しても怒らんだろ。…訳わかんねぇし気に入らねぇおっさんだったけどな。関わったからには仕方ねぇんだよ、本当は。特に、田舎じゃな」

 出てきた親王はふっと下を見て「そうだな、気にするでない」と言った。

 説明を待つような間を持ったが、朱鷺貴は兎に角、と言うように少しだけ柔らかい表情をし、「ま、どうぞ」と堂を開けた。

 いままで凛としていた親王が先に早足で入っていくことに、あぁ、仕事だ…とちらっと眺める。
 ちゃんとした寝棺がそこにあり、まずはと…逃げる心境で急ぎ足、湯呑みを取りに行くのだけれども。
 ただ少し無になろう。だけど、どくどくする。
 親王が「あぁ、間違いない」と棺の側で……頬あたりに触れているのを見た。

 少し早足で現実がにじり寄って来る。

「…親戚か何かなら丁度、戒名なんかをと考えてい」
「こやつは安仁親王じゃ」

 彼女は静かにそう言い、朱鷺貴を見つめた。

「…もう、とうに死んでいる、こん人は。当の昔…妾も生まれる前に」

 その一言に場はピリついたが、まず彼女はふっと、湯呑みを持って入れずにいた翡翠を優しく見つめ「おいでなさい」と頷いた。

 そう言われて漸くというか…動けないような気持ちなクセに、側に寄り棺を覗いた。

 自分の知っている藤嶋宮治の筈が、やはり数々見てきた遺体…もう生きてはいないのだとは見てわかった。
 怪我も見た筈だ、なのに穏やかな顔に見える事へ、やはり朱鷺貴を見上げ、溜めていたようなものがふっと片目からひとつ溢れ出したけれど。

「…一発くらい…、殴るのを許してやろうと思ったが…どうやら」
「いや、妾が許そう。
 お主、名前を聞いていなかったなぁ」
「…え、今ですか」
「まぁ、よいのだが…。
 そうだな、語らねばならぬ。そうだな?」

 朱鷺貴を見上げ聞く彼女に、朱鷺貴は二回だけ頷いた。

「……これは、兎に角ここだけの話。
 とは言っても妾がここにいてこうして黙認した。漏れたとて…意味もなくなってしまった話になる。
 安仁は妾の…腹違いの兄に当たり、前天皇仁孝にんこうの、第一子にあたる」

 ……前天皇の、第一子…?
 硬直した空気の、質が変わった。

「…は…?」
「前天皇…。
 は?待て待てちょ、どういうことだそれは!」
「…会津の。お主先程“藤原”と言うたではないか」
「え、あ、まぁだってそいつがそう」
「妾の母もまぁそう、旧姓は“藤原”でありこれの母もそうであるが…これの母は、父、仁孝の正妻であった」
「……ちょっと待てよそれ」

 意味が浸透してきたらしい、後れ馳せながら朱鷺貴もそう食いついたが、更に遅ればせた翡翠も「え、殺した男って…」と伝染してゆく。

「…殺した…」
「…藤嶋さんが昔言っていました。父親を殺したのだと…まぁ、その後わてと出会うわけですが…」
「…つまり、そいつぁ天皇殺しのってか……待て、普通なら天皇だったってことだよな、現天皇じゃねぇってのはそういうことなのか!?」
「いや、そもそもこの男が父に手を掛けられたのは、恐らく先程言った“既に死んでいる”からだと思う。下手人としては上がっていないし父は斬られた後に発見された。
 妾の母がこれの育ての親なのじゃ。母は、宮内の貧困打開案にて出家を余儀なくされた。
 その際に一つ別の駕籠を用意した。それが、この男が生き延びられた理由じゃ」
「…死んだことにされた…?」
「逆説だ。1歳の童にそんなことが出来るわけがない」

 ぽつぽつと。

「…どう見ても…」
「ああ、だから逆説なのじゃ。
 “早逝したことになっていたが、生きていた”ということになる」

 ……深い霧に包まれていくような。

「…藤嶋さん、」

 そうだったのか。

「……母はこれの母の下女だった。これの祖父が、藤氏長者とうしのちょうじゃである鷹司家なのじゃ」

 切れ切れに。

「母はよく妾に言うた、主の隠し玉を守らねばと」

 …話すたび、まるで捨てるように消えていく。

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